ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。 18代インド首相 前グジャラート州首相
銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 05月 22日
インド常識・マナー学習
2003/6/27
多摩大学ルネッサンスセンター
40歳台CEO育成講座
2003年6月27日
「インド常識・マナー学習」
講師:清 好延
1. 食
インドの食物は原則として火を通すゆえ安心して食べてよい。
中国との対比
生野菜のサラダ等は最近紹介されたものが多い。
インドにはベジタリアンが多い。宗教的意味とそうでないものと。
一家の中でも違う。日によってベジタリアン。各曜日に神様を割当てその日を忌日として菜食を取る人がいる。
もっとも厳格なベジタリアン 根菜も食べない
普通の野菜はOK
銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 05月 22日
| インド常識・マナー学習 | 2003/6/27 |
| 多摩大学ルネッサンスセンター 40歳台CEO育成講座 2003年6月27日 「インド常識・マナー学習」 講師:清 好延 |
| 1. 食 インドの食物は原則として火を通すゆえ安心して食べてよい。 中国との対比 生野菜のサラダ等は最近紹介されたものが多い。 インドにはベジタリアンが多い。宗教的意味とそうでないものと。 一家の中でも違う。日によってベジタリアン。各曜日に神様を割当てその日を忌日として菜食を取る人がいる。 もっとも厳格なベジタリアン 根菜も食べない 普通の野菜はOK 無精卵まではOK 卵はOK 以上何れもミルクをはじめとする乳製品はOK ノンベジタリアン 鳥と魚はOK 豚を食べない 回教徒 牛を食べない ヒンドュー教徒 何でも食べる インド料理は禁欲的な香りがする。 腹が膨れればよい。うまい不味いは言わない。 凝った料理はムガールが持ち込んだ宮廷料理。 今では味を云々するようになった。 乳酸発酵文化圏 たんぱく質発酵調味料圏、アルコール発酵調味料圏 納豆を食べる人たちがいる。マニプール州。 酒はあまり無い。 ソーマは酒かの議論あり。 酒はただなら大量に飲む人がいる 酔っ払いは軽蔑される。酒の上のと言う言い訳は通用しない 米を食べるのは南。北は米を必要としない人たちがいる。 小麦粉から作る食べ物 チャパティ、ローティ、ナン、パラタ、プーリ、バトゥーラ等々 米や他の穀類から作る食べ物 ドサ、ウプマ、イディリー、ワダ、ウパッタム、 水はミネラルウォーターを飲用とする。 紅茶は北インド、コーヒーは南インドといわれる。 水に関するタブーと寛容さ 古いインドの教えでは(マヌの法典等)客人に水と食べ物を寄進することを徳と教えている。一方、アンタッチャブルには井戸を使わせないとの地域がある。 塩は岩塩と海水からのものがある。 ブラックソルトと呼ばれる一寸紫がかった硫黄のにおいのする岩塩もある。 外食の習慣は無い。自分の家で食べるのが一番安全。 自分のカーストより下のものが作ったものは食せ無い。 ブラフマンがコックに最適。(理論的)お菓子やナド。 食べるに際し特に規定は無いが、左手は使わないほうが無難なところもある。 手で食べる人が未だ多い。食器はバナナの葉っぱやホウノ木の葉を固めて作った皿など。現在はステンレスの食器が便利と重宝がられている。 食事は一日二回の地方もあるようだ。 カレー以外の食べ物は無いと考える。カレー=おかずと考えると分かり易い。 2. 衣 現在の都市では西洋と変わらない服装のビジネスマンが殆どである。 伝統的な服装をしているのは、政治家、特殊な職業に限られる。 パーティーなどでは小うるさいことを言う場合もあるが、背広一着で十分すぎる。 サファリで押し通すことも可能である。 ドビーと言う洗濯やがいる。カーストを形成している。 回教徒の女性は黒を身に着けて皮膚をあらわにしないことがある。ヒンドュー教徒の寡婦は白しか着れなかった。初潮を迎えるとサリーを着るようになる地域もある。 坊主の法衣の黄色は防虫剤のウコンである。 法衣だけでなく、お経の紙にも。 インドは絹を中国から輸入している 絹のサリーが高級サリーで結婚式の金糸を織り込んだ赤いサリーは女性の憧れ。 輸入した中国の絹糸を縦糸にして各地で名産のサリーがある。バナラシー、ケンチープラム、ベンガル、イカット(絣)等々 既製品よりオーダーメイドの方が安い。 コットンパンツRs.1500~2000 オーダーでジーンズRs.700以下 暑いところでは上半身裸の場合が多い 3. 言葉 言葉のダブルスタンダード 言葉の種類が多い 200~500種類と分類する学者もいる 大きく分けて3種類、プラス英語 言葉が通じない、分からないのは当たり前 英語が分からないのは人間扱いされない 母国語を捨てる人たち 一方ヒンディーを国語にとの普及活動 エンターテイメント系はヒンディーが圧倒的になっている現象 テレビ・映画・音楽 日本語の50音はヒンディーの音韻表から 世界的に完全な言語は無い 英語のでたらめさ加減 STR ie ea ae ei ee I チャ 中国語の出鱈目さ 4. 住 上流階級は英国人を初めとする西欧人が持ち込んだ住宅形式を模す 熱帯地方では住居はあまり重きを置かないのでは 家の中には家具が無い 5. カースト 血縁を基本的なベースとした同業者集団、氏姓制度、コミュニティー 日本人がカーストを知っている理由 釈迦の教えの意味を説明するため 人間は同じ 同じカースト同士の結婚が前提だが、同じカーストでもゴートラが同じだと結婚できない。近親結婚を避ける意味。 保険、社会保障の意味合いもある コミュニティーの謝意小単位 50人 長老が裁く コミュニティーのルールがインドの一般法に優先する 結婚、遺産相続等 伝統的なコミュニティー間にはルールが出来ている 上下関係、契約関係、 外国人はアンタッチャブルであった 英国人は別格 日本人も別格 6. タブー コミュニティーの中には各所のタブーがある 他のコミュニティーのやることについては無関心 人に暴力を振るわない、特に他のコミュニティーの人に対して裂ける 非暴力が最低のルールの一つ 生き物の殺傷を嫌う人たちがいる 7. 宗教 意味 ヒンドュー教徒、回教徒、キリスト教徒、シック教徒、ジャイナ教徒、仏教徒 全ての宗教の祝祭日がある(restricted holiday) 無宗教は考えられない 他人の宗教を容認するのが一般的 親子で崇拝する神が異なることもある 寺院では革製品を身に着けて入場できないところが多い。履物も脱がされる。 ヒンドュー、仏教、シックは火葬、回教、キリスト今日は土葬 8. 対人距離 非常に近い 30センチくらいの人が結構いる インドを一言で表現すると「多様性の国」 インドの歴史の特徴「他を侵略しなかった」 インドの哲学「自己をいかに生き抜くか」が主題で、そのための世界観 宇宙が相手 領土的な現世に野心は抱かなかった 原則に忠実 金儲けが目的とすると何でもする 添付: 私のインド七不思議 インド人のビジネスマナー 夢のジョイントベンチャー |
| 2005/4/11自由社会研究会 講演 |
| 「インドの現状、将来そして日印関係について」 清宮 おはようございます。まだちょっと早いかもわかりませんけれども、大体食事も済まされたようですから、できるだけたっぷり清さんの話を伺うことにして、これから始めたいと思います。 |
| インド開発発展の可能性 | 技術同友会卓話 2005/2/15 |
| 自己紹介 日本人の苗字では清という苗字は、珍名まではいかないまでも、わりあい少ない苗字でございます。 バイオデータのほうに入れてございますが、昭和13年生まれ。いまの坂井さんと同い年でございます。三菱商事におりまして鉄鋼輸出、日本の鉄の輸出をずうっと手掛けておりました。 実は外語のインド語に入学しまして、在学中に一度、自分の選んだ語学が実際どんなところで使われているか見てみたいなということで、1961年、友人3人と数ヵ月インドを旅しました。その時、いろんな方にお世話になって、インドを一周回ってカルカッタまで帰ってきました時に持った印象は、『この国は20年住まないとわからないんじゃないかな』という素直な印象でした。 三菱商事に入社 それで何とかインドに関係あるところに就職したいなということで、たまたま縁あって三菱商事に入りまして、そのへんの話をするとくどくなりますからやめますが、その当時はまだ電話なんかございません。内定の電報が来るんですね。翌日、「内定ありがとうございました。ただし私のほうも条件があります。5年以内にインドに出してくれなかったら三菱商事辞めますけれども、それでよろしいでしょうか」と人事部長に掛け合ったんですね。そうしたら人事部長は「いいでしょう」と。本気でそう思ったのか知りませんけれど も、とにかく入りまして、4年目にインド・カルカッタ駐在ということで出していただきまして、インドに都合、三菱商事から3回にわたり16年駐在しました。 日印調査委員会事務局長経てJICA専門家 その後、三菱商事を辞めて、大来三郎さんが昔やっていた日印調査委員会という会がございますが、そこの事務局長をやり、そのあとでJICAの専門家として対印投資促進ということで、インドの商工会議所に3年おりまして、足掛け19年インドにおったことになります。 ですから最初20年経たないとわからないだろうなといって19年ですから、まだ完全にインドをわかってない。あと1年、どうにかして駐在することができないかなということで、いま盛んに工作をしておりまして、できれば今年の中頃、三井金属さんの仕事で向こうへ1年くらい滞在したいなと。そうすると満願ということで、多少インドのことも言えるようになるんじゃないかと思いますので、今日は至らないところがあるかと思いますけれども、よろしくお願いします。 自分探し 先ほど私の清という名前について申し上げましたが、これもまったくインドに縁のない話ではございませんで、実は私の先祖は鎌倉時代のちょっと上まで遡れるのですが、大内という名前だったらしいんですね。頼朝に追われた日蓮が、富士川をずうっと遡って逃げてまいりまして、その当時、私の先祖は、いまの富士宮市に編入されております芝川村というところに住んでおりまして、日蓮をかくまったんです。そうすると頼朝のほうから、その地方の豪族に対して、日蓮をかくまうとかなんとかいうことがあっちゃいかんぞという指令が来ていたんでしょうね。先祖が呼ばれまして、「おまえ、日蓮をかくまってるんだろう。」「いや、かくまっていない。」と押し問答になったんです。 その時、さすが私の先祖だと思うのですが、「かくまってない証拠をご覧にいれる」といって、その豪族からもらっていた大内という名前を返上しまして、身の潔白をあらわす清というのを名乗り直したという大詐欺師でございまして、そのせいで私はずっとおしゃべりで、学生時代、英語で「SAY」と綴っておりまして、死んだらお墓に「SAID」と書いて、言い残すことはないというふうにしたいなという、そんな曰くのあった名前でございます。ですから鎌倉時代にできた姓で、清少納言とかそういうものとはまったく関係ございませんで、新しい姓ですね。 静岡県にそういう清というのがありまして、もう一つ九州の指宿のほうにも清というのがあるんです。元西鉄のピッチャーで清というのがおりましたが、これと関係があるかどうかは、そこまでまだ調べが行き届いておりませんで、そんな私ですから、完全な日本人です。 高校の世界史の中でのインド 実はインドと日本ということで、高校の世界史でだいたい1年の中で45分から50分かけて、インドのことを先生が教えるという時間配分になっているという話を、高校の先生から聞いたことがございます。 こんなこと皆さんすでにご存じのことだと思いますが、ちょっとインドのことを思い出していただくために繰り返しますが、この45分の中で、アーリア人が北の西のほうから入ってきて、ヒンドゥ教というかバラモン教というのをつくって、バラモン教には四姓制度というのがあって、僧侶階級、武士階級それから商人階級、奴隷階級、その下に不可触民――その当時は不可触賎民という言葉を使っていましたが――というのがあってという話が行われるわけです。カースト制度があってというようなことを言われるんですね。 なぜ日本の高校でそれだけ詳しくインドのことを、カースト制度まで教えるかといいますと、実は日本には仏教というのがあるわけですが、仏教はインドで生まれました。しかもそれはヒンドゥ教のアンチテーゼとして生まれてきたので、その仏教を説くためには、アンチテーゼの元になるバラモン教を教えておかないと、仏教の話に入れないということで、高校でカーストのことまで教えるというのが日本です。 それで最後は英国から独立してということで、インドの歴史は終わるわけですが、この話だけしていても一日くらいたっちゃいますので、それはそこでやめますが、それで仏教が日本へ入ってきたんです。 神道と仏教 その当時の日本では神道があったわけです。神道というのは、皆さんご存じだと思いますが、始まりの宗教なんです。ものの始まりについていろいろ哲学的に、現象的に説明しようというのが神道であって、終わりに関してその当時の日本はどうしていいかわからなかったんです。だから神道で終わりは、死骸は不浄なものということで、目に見えないところへ持っていって、黄泉の国へ捨ててくるというような感じだったんですね。 そこへ仏教が入ってきて、仏教が「終わり」ということを日本人に教えて、日本人はいたく感激したわけです。終わって来世があるなんて、すばらしい科学を持ってきてくれた。科学の一端として、そういう仏教思想が日本に入ってきて、なるほど、これで始まりと終わりがはっきりしたというので、日本人は始まりは神道、終わりは仏教で処理するような格好になっていったんですな。 日本人宗教 その間をつなぐのが儒教というようなものがあって、さらにこれを冗談めかして言いますと、楽しみのためにはキリスト教というのがあって、やれクリスマスだ。バレンタインだ。カーニバルだと。さらにそれをいくと戦いのためには回教。日本人くらい宗教心に富んだ人達はいないのではないか。こうインド人に説明すると納得してくれるんですが、インド人に対して「日本人は無宗教である」というとびっくりします。「えっ」とびっくりして、「How」というんですね。「Why」じゃないんです。 インド人にとっての宗教 なぜHowかというと、インドでは、インドに住んでいるあらゆる人がどこかの宗教に属しているんです。その宗教に基づいて日常生活が成立しているわけです、朝起きて夜寝るまで。あるいは生まれて死ぬまで宗教に依るのです。インドにある宗教はヒンドゥ教、先ほどのバラモン教がヒンドゥ教になりました。回教がございます。回教徒人口は12%くらいおります。そのほかにヒンドゥの一派から分かれたシーク教徒。ターバンをかぶった人達です。それからキリスト教があります。キリスト教も古いユダヤ教がずうっと流れてケララのほうに住み着いた非常に古いユダヤ教から、新しいクリスチャンから新教、あらゆるキリスト教があります。そのほかに仏教徒もいます。 そういうふうにあらゆる宗教がインドにあるんですが、それのどこかに属しているんですね。だから宗教に属さないで、どうやって生活ができるの?ということでHow、いかに生きていくんだという質問になってインド人から返ってきます。このへんが日本人の宗教観とインド人の宗教観のものすごく違うところです。 三大社会主義国 こっちの話もすごく面白いんですけれども、これも時間がかかりすぎますので、こっちのほうへ置いときまして、実は世界三大社会主義国という時代がありました。それはソ連と中国とインド。これが人口的にも非常に大きくて、社会主義国といわれるレッテルが張られたわけです。 その当時、1980年代ですけれども、ゴルバチョフだとか鄧小平だとかインディラ・ガンジーだとかいうすごく優れた人が指導者となって、三大社会主義国が世界で存在していたわけです。こういう国の独裁者に近い人達が外国へ旅行すると、分刻みでスケジュールがずうっと行って、ピシッと終わる。彼らが国内で何かやる時も、ピシッーといくんです。 この人達は、それだけのトップに立つ人ですから頭がいいんですね。よく観察してみると、外国では自分だけじゃなくてほかの人も、一般の人もピシッとやっているようだと。だけど自分の国に帰ってきてみると、自分はピシッといってるけれども、ほかを見ると、どうもそうではなさそうだ。『一将功成って万骨枯る』ような格好で国が運営されている。これはおかしいぞと、さすがに頭のいい方々ですから、いまの隣の隣の国の人とちょっと違いまして、そのへんに気がついたんですね。 それで時期をだいたい同じゅうして、この3人が言い出した。ゴルバチョフが言い出したのは『ペレストロイカ』鄧小平が言い出したのは『外国文化の学習』インディラ・ガンジーが言い出したのは『最新技術の導入』ということを言い出したんです。それぞれがこれをやらないと、自分の国は日本やアメリカみたいに、あるいはヨーロッパの国みたいに、万民が幸せになれないんじゃないかということを感じたわけです。 例えば私、三菱商事の駐在員をして向こうへ行って、副社長がインドへ来るなんていうことになりますと、飛行場の出迎え、飛行場の中へ入る許可を特別にもらって、通関がスムーズに行くように。車はいつも陰に1台空の車を走らせといて、何か事故があったらそれにくっ付けるとか、お腹が減ったといったら、すぐおむすびができるように、奥さん方に待機してもらうとかいう大変な努力して、副社長のスケジュールをやるわけです。社長までは来ないんです、なかなか。そうすると副社長は、なかなかインドもやるね、という格好で帰るわけですけれども、そのあと万骨枯るで、引っ繰り返る駐在員とか引っ繰り返る駐在員の奥さんとかいっぱい出てくるわけです。 そういうことをしないためには何かしなきゃいけないということで、インディラ・ガンジーは、最新技術を導入すればインドもよくなるんじゃないか。ゴルバチョフは国の再編成、見直しをすればということを考え、鄧小平は外国の技術だけじゃなくて、その背景にある文化を知らないと、外国の要求を満たすような輸出製品はできないよと。それには外国文化を学習しなきゃいかんよということをやったわけです。 その結果、ソ連は見事に崩壊してロシアになっちゃったわけですね。見直したら、やっぱりソ連というシステムはよくなかったとわかったんでしょうね。その結果そうなっちゃった。 鄧小平の言う外国文化の学習というのはどういうことか。年をとってきますと、文化の学習というのは、映画を観たり本を読んだり情報誌を見たりして、ああ、これが外国の文化というものか、ということになるわけですけれども、若者達にとっては学習ということはキャリアウトなんですね。実際ディスコで踊って民主主義の投票をやってということで、天安門まで走っちゃった。 唯一インドだけが近代最新技術の導入ということで、インディラ・ガンジーが生きている間はできませんでしたけれども、1991年に門戸開放いたしまして、それまで自立、自給自足、セルフリライアンスということを言っていましたマハトマ・ガンジーの思想から180度転換しまして、国際相互依存、インターディペンデンスというふうに180度国の政策の転換をやったんです。 それが三大社会主義国の背景にあるということを、まず頭に入れていただきたいというふうに考えます。 インドのIT アメリカのカーネギー・メロン・ユニバーシティというのは、すでに皆さんご存じだと思いますが、そこに私の名前、SEI――Software Engineering Instituteという機関がございます。アメリカの国防省が金を出してそのインスティテュートをカーネギー・メロン・ユニバーシティの中につくるんですが、ここでやっていることは、世界のソフトウエア開発会社のランキングをやっているんです。 いろんな会社が申請して、ランクがレベル1からレベル5までありまして、レベル5がいちばん高いんです。米国の国防関係組織がのソフトウエアを発注する際に、関連企業あるいは国防関係の工場が、どの企業にどのへんのソフトウエアを頼んだらいいかというのをわかるために、1、2、3、4、5というレベル5まである。2002年の4月現在ですけれども、世界全体で69社、レベル5にランクされています。そのうちの約7割がインドの会社です。アメリカの会社よりもインドの会社のほうが多いんですよ、そこに出ているのが。 これが2004年、去年の5月の数字だと、75社がインドの会社なんです。中国の会社が1社入っています。日本の会社はどこも入っていません。差し支えがあったらごめんなさい。大きな顔をしている東芝だとか富士通だとかNECだとか何とかかんとかというのは全部入っていません。どこで入っているかというと、去年の暮れ私、インターネットでいろいろ調べてみたんですが、レベル3の会社が散見される。その中の一つが日立さんであり、オムロンさんなんですね。 森首相の時に日本のコンピュータ会社が、総理がコンピュータについてなんだかんだ言うから、一生懸命やらなきゃいかんということで、アメリカのコンサルタント会社にある日本の大手さんが、自分の会社どのへんのレベルにあるか診断してくれと頼んだ。 そうしたらその会社が来て、膨大な金と時間をかけてだと思いますけれども、調査して判定した結果、「おたくのはレベル2だ」といわれたんですね。日本のその大手会社はレベル2じゃ、総理の意向にかなわず言っているあれで大変だからといって、これをレベル3に引き上げるにはどのくらい時間がかかるかと聞いたら、そのコンサルタント会社は、「私が引き受ければ48ヵ月でやりましょう」と。4年ですよ。レベル2から3に上げるのに。それでその会社は慌てて、インドのコンサルタント会社に頼んだ。そうしたら「私だったら1年半くらいでワンランク上げることは可能ですよ」という返答があった。その後、その会社はどうなったか知りませんけれども、とにかく日本のコンピュータのソフトウエア開発は、世界の中でも相当遅れています。レベル5なんて行ってないんですね。レベル5というのは、定義を見ればわかりますけれども、要するに問題点の指摘をしてソリューションができる会社なんです。 日本の大手の会社も、インドのソフトウエア技術開発能力に関して、注目は始めています。それで向うに支店だとか学校だとか、組織をつくってやっている会社も出てきていますが、まだまだアメリカなんかと違うんですね。 アメリカのNASAの職員の30%以上が、インド系の職員だといわれています。IBM、マイクロソフト、みんなそうです。だいたい2割から3割くらいがインド人です。だからアメリカのIT産業はインド人なしでは、もう動かなくなってきているんです。 その証拠があります。実は1974年にインドは核実験をしました。その時の核実験装置は、日本の小学校の教室くらいの大きな装置だったといわれています。それが、1998年の5月にインドは核実験をまたやりまた。その時はミサイルの弾頭に付くようなコンパクトな核の実験をやったというふうに言われています。 ここのところで、ちょっと関係ないことかもしれませんが、日本にはすごく記憶力のいい橋本総理という方がその当時、総理大臣をやっておりまして、インドが核実験をやりました。途端にその日のうちに彼は、中国が核実験をやった時の例をちゃんと覚えておりまして、非常に記憶力のいい方ですから、あの時、無償援助を停止したということを明確に覚えていて、すぐその日のうちに「インドに対する無償援助は中止」というふうに言ったんですね。 その時、日本の外交官も世界のマスコミも、大ボケをやっちゃったんです。インドが核実験をやったと発表した時に、誰も「これで終わりですか」ということを聞かなかった。誰一人聞かなかったんです。インドは予定どおり粛々と二日後にもう1回実験をやった。橋本さん1回目やった時に、「無償援助停止」といっちゃったんですね。二日後にまたやられたら、「円クレ停止」といわざるを得ない羽目になっちゃった。 そのあとすぐG7があって、橋本さんが「サンクション」という言葉をG7で言ったら、ほかのG6ヵ国から笑われたんです。それで橋本さんが言った「サンクション」という言葉だけが独り歩きして、橋本総理のインドでの評判はガタ落ちになりました。 本当は橋本さん総理大臣らしく、やったすぐ「無償停止」じゃなくて、1週間くらい考えた振りをして、2回目が終わったあとに「無償停止」といえばよかったんですが、あまりに記憶力がよすぎたんでしょうね。言っちゃった。最近はどうも記憶力が落ちているみたいですけれども、そんなことがあったりしました。 で、アメリカがインドの核実験をやったあとの対応がすごいんですよ。タルボットという長官が、そのあとでインドの外務大臣になったジャスワント・シンという男と、1年半にわたって8回会談をしているんです。1998年の5月から1年半かけて8回。ほぼ2ヵ月に1回の割合で、本当に真剣に世界情勢、世界の核の問題、あらゆる問題について、アメリカとインドは話合うんですね。その結果、両者一応認め合うような格好になって、それ以降、アメリカは国際外交の場で、インドを無視してはできないところまで行ったんです。 なぜそうなったかというと、タルボット長官も、いまのアメリカ人の政府筋も、インドがNASAをはじめとするコンピュータ産業にものすごく深く食い込んでいて、ちょうどアメリカの金融界がユダヤ人なしでは動かないと同じように、アメリカのコンピュータ業界はインド人なしには動かない状況になってきちゃっているんです。いまアメリカにいるインド人の数は、150万人とも300万人とも言われています。300万人を超えているという議論もあります。 実はインドから海外に行っているインド人の数、どのくらいいるかといいますと、2000万人いるそうです。世界110ヵ国にインド人は行っているそうです。そのうちアメリカが150万から300万いる。 アメリカに行っているインド人は三つに分けられます。一つは、アメリカで勉強してコンピュータ以外の部門、物理学もありましょうし、特に医学、要するにドクターの称号を取るのは、アメリカではいまインド人の比率がいちばん高いそうです。アメリカ人も入れてですよ。そのくらいインド人はアメリカで勉強しているんです。英語を勉強するためにアメリカへ行こうなんていう不届きな日本人とぜんぜん違うんですよ。 インドのカレッジでは共通試験があります。全部序列がつきます。点数がつきます。そのカレッジ卒業の成績と、カレッジの校長の推薦状があると、アメリカの大学は彼が行く前から、ボストンだったりマサチューセッツ、カリフォルニア、ロサンゼルス、そういうところの大学が、あなたの奨学金は3000ドルです、5000ドルですと、前もって大学がコミットしてくれるんです。だからインド人は国を離れる前に、自分がアメリカの大学へ行った場合、奨学金を幾らもらえるかわかっていてアメリカへ留学するんです。それで一心不乱に勉強するんですよ。 要するにパチンコをやったり、ディスコへ行ったり、そんな遊びの精神なんかまったく歯牙にもかけないで、そういう低級な楽しみにインド人は興味を示さないんです。知的なものに異常な関心を持つんですね。 アレキサンダー大王とインド 話は飛びますが、知的なものにインド人は関心を持つというのに、西洋人でいちばん感心したのはアレキサンダー大王なんです。いまアレキサンダー大王、200億かけた映画をやっていますけれども、アレキサンダー大王がマケドニアからインドのほうへと来るわけです。最初、出始め、何人だか知りません。5000人か1万人の軍隊か知りませんが、マケドニアからずうっとインドのあたりまでは、完全に不毛とは言いませんが、だいたいちょっと小高いところへ上がれば、一望千里で向うが見えるんですよね。 あの当時はみんな都市国家ですから、先を見ると煙が何本上がっているから、だいたい人はこのくらいしかいないだろうというようなところで、ずうっと行くと、そこの都市国家の王様は、攻められて滅ぼされちゃ大変だということで恭順の意を表して、自分の娘といって娘をアレキサンダー大王に捧げて、この国は大王の名前をいただいてシカンドラバードにしますとか、シカンドラにしますとか、アレキサンドリアにしますとか、国の名前を全部変えちゃうんです。それで恭順の意をあらわして、ワーッといってアレキサンダー大王は1週間か一月そこへ滞在するわけです。捧げた女は、まあ今日は女性がいませんから、そういう言葉を使っちゃいますけれども、自分の娘と称する奴隷の娘かもしれないのを、アレキサンダー大王にやるわけですな。 アレキサンダー大王はそういうふうにやりながら、だんだん軍隊が増えていって、インダス川のほとりまでくるんです。インダス川のほとりまで来て、びっくりするんです。陰がある。ヒルがいる。樹の陰にはどんな動物がいるかわからない。一望千里不毛のところからジャングルのところへ来て、気味悪くて入れないんですね。谷崎潤一郎じゃないけれども、陰のある世界というのは、あんまり歓迎できなかったんでしょうね。 それでインダス川のほとりで、インドの七つの国から7人の王を集めて、「インドの地はインドの王達に任す」といって、彼は帰ることにするんです。帰る時に、陸路を帰ると便利なんですよね。その当時、軍隊が最終的に何万人になったか、何十万人になったか知りませんが、ぞろぞろ帰ればマケドニアに帰れるはずなんですが、ずうっと征服した都市国家があるわけです。来る時は1週間か一月でよかったけれども、そこにお妃がいるわけですよ、1ヵ所1ヵ所に。帰りに寄って2年3年といったら、一生かかってもマケドニアへ帰れないということもあっただろうと思う。それで海路帰ることになる。 海路帰ることになりますと、船に乗るのは人数限られますから、全部帰れないです、何十万なんて。せいぜい数千人か数万人。数万人、船で帰るって大変ですよね。そうするとインドに住み着いちゃった人がいるんですね。 しかもアレキサンダー大王はそこでびっくりしたのは、自分は戦って征服するということしか考えてなかった。ところがインドへ来て、インドの王達と話をして、いろいろインドのことを聞いてみると、インドでは宇宙と人間の関係を考えているという人達がいる。ヒンドゥ教の僧侶達にびっくりしたんです。宇宙の本質と自我とを合一させる梵我一如なんていう思想をやっているやつがいる、とびっくりしちゃった。そういう知的なことは考えたことがなかった。それでインドの坊主を7人だか10人連れて帰るんです。その分、船は人数が乗れなくなるんです。そうすると残っちゃう人たちが出てくる。 それでインドにはいまだに、その当時残った人が住み着いちゃって、ヒンドゥ教徒に改信して、インドに住んでいる人達がいるんです。マンガロールという港がボンベイのずっと南のほう、ケララに近いところにございますが、そこから数百キロ山奥側に入ったところにクールグという地域がございまして、そこに住んでいる人はクールギというんですが、これが「おれ達はアレキサンダー大王の末裔である」ということで、いまでも住んでいる。ヒンドゥ教徒です。顔はギリシャ人みたいな顔をしています。彼らはマケドニアからずうっと来て、牛肉を食べる習慣がずっとありましたから、いまだに牛肉を食べてます。 したがってヒンドゥ教徒は牛を食わない。インド人は牛を食わないなんていうのはとんでもないことで、インドではキリスト教徒、回教徒、これは牛を堂々と食います。ヒンドゥ教徒の中にも、牛を食う人達もいます。だから安易にインド人は牛を食わないということを信じちゃいけないなというような気がします。 アレキサンダー大王がすごく感心したのは、知的なこと、宇宙の本質と自我とを合一させることによって、なんていうことを考える人がいるというのにびっくりした。インド人はその当時から、そういう知的なことが非常に得意だったんですね。 それがゼロの発見にもつながりますし、それから中国人みたいに時間の流れというものを書いてというのじゃなくて、時間というものは本質的なものじゃないというようことで、インドでは時間というのは不変でずうっと流れていくのだから、これをあまり重きを置いてもしようがないということで、クロノジカルに時間を述べた歴史的な書物がないんです。これが中国とインドのものすごい大きな違いです。 中国の場合は、何年の何月何日に誰が何をしたということを、歴史を全部書いて残しておくんですね。国書というのができて、代々の皇帝がそういう専門家をつくって残しておくんですが、インドではそういうことはないんですね。要するに宇宙の本質と自分とをどうのこうのというような考え方のほうに行ったのがインドで、同じ四大文明の発祥国あれで もずいぶん違うなというような気がします。 先ほどのちょっと横のほうの話の続きですけれども、クールグに住んでいるクールギという人達は、いまだにインドの軍人だとか銀行家の中にたくさんいます。非常に信用がある人達です。彼らはいまだにアレキサンダー大王の末裔であるということを誇りに思っていますが、私に言わせれば、「アレキサンダー大王は帰ったんだ。その重要な家来達、親戚も一緒に船で帰った。その下の部下の主だったのも帰っただろう。譜代はみんな帰っている。外様あるいはその家来の家来の召使くらいの末裔が、いま残っているおまえだろう」と、こうインド人に嫌味を言うんですけれども、そういう人達もインドに住んでいます。 インドの多様性と周辺への影響 だからインドというのは、そういうふうに非常にバラエティがあります。先ほどもちょっと言いましたけれども、ユダヤ教の人達がいまだに住んでいるんです。それも新しく入ってきた人達じゃないんです。ずうっと昔に流れ流れてインドに着いた人達が残っているんですね。 そういう意味では日本なんかもインドの影響を受けているんですよ。いちばん受けているのがはっきりしているのは桃太郎の話です。桃太郎というのは、岡山県出身の人がいたら怒るかもしれませんけれども、あれはラーマーヤナの焼きなおしなんです。インドでは困ったことに、地名、どこで何が起こったかという、「どこ」はわかっているんです。だけど「いつ」というのがわかってない。ラーマ王子が生まれた場所もわかっている。どこで猿と一緒になったかというのもわかっている。鬼が島がどこだというのもわかっている。鬼が島はセイロン島なんですね。セイロン島へとラーマ王子と猿が攻め入って、悪魔を滅ぼすんです。 その話をしても1時間くらい必要になるから簡単に言いますが、その時に猿がラーマ王子と一緒になって攻め入って、焼いちゃうんですね。終わったあと猿がこう顔をやったら、猿の顔が黒くなったということで、黒い顔をした猿というのは神のお使いであると、インドでは非常に珍重されているんです。日本猿みたいに赤いやつはたいしたことはないんだけれども、ハヌマーンという黒いやつが非常に崇拝されたりしているんですが、それがセイロン島、鬼が島、そのあたりからずうっと流れ流れて、フィリピン諸島あたりまでインド人は進出しているんですね。タミルナドのいまのマドラス中心の人達が、シュリランカだとかシンガポール、マレーシアにいっぱい進出していると同じように、昔から海岸伝いで、あっちのほうの諸島に行っている。それが台風かなんかで紀伊半島などに流れ着いた人達が、先祖の話として、要するに「昔むかし、あるところに」というような格好で桃太郎が日本へとくっ付いたというようなのが、真相じゃなかろうかなと私は思います。 さらにこれは日本史のほうで、僕らはわりあい知らないんですが、高校のさっきの45分間の歴史の中で、やればいいのに教えてくれないんですけれども、聖武天皇が大きな大仏をつくって、私はいま国分寺に住んでいますが、全国に国分寺をつくりまして、大仏の開眼供養をやろうと思ったら、日本に大仏の開眼供養というか、入魂式を仕切ることができるようなMC、Master of Ceremonyがいなかったんです。それで聖武天皇しようがないから、「中国から誰か偉い坊主呼んで来い」といって、中国へ坊主を呼びにやらせるんです。 中国へ行きますと、「なに、倭の国?倭の国の儀式、MC。そんなのはご免だよ。そんなところへ行ったってしようがないよ」というんで、中国の坊主誰も興味示さないんですよ。そこのところへインド人の仏教の坊主がいるんですな。これ、坊主の名前すら残ってないんですよ。菩提僊那というんですよ。要するに仏教徒ということしか残ってない。そのインド人を、その当時誰だか知らないけど、日本人がそれを日本へ連れ帰って、大仏の開眼供養をやるんです。 めでたく大仏は入魂式を終わりまして、全国の国分寺も威信が置かれるようになって、開眼供養をやったインドの菩提僊那というのは、中国へ帰っても、また中国の坊主の足洗ったり飯つくったり、そんなのやるよりも、こうやって厚遇してくれる日本にいたほうがいいなということで、日本へ住み着いちゃうんですな。この人が奈良五山の梵学の祖なんです。この人がサンスクリットを日本へ教えるんですよ。それの教えが脈々脈々と続いて明治まで来るんです。 アイウエオの採用 で、明治時代に日本の当時の偉いさんが西洋へ行って、法律だとかなんとかいろんなことを勉強してきます。その中で、西洋の言葉にはグラマーというものがある。日本もグラマーをつくらなきゃいかんだろうということで、日本文法をつくろうと。その基になるのは音韻表じゃなかろうか。英語のアルファベットを入れてもどうもうまくいかん。いろは四十八じゃ、ちょっとこれは……、ということで思いついたのが五十音なんです。 私、外語のインド語に入りまして、ヒンディ語の授業でいちばん最初にびっくりした。土井教授というとんでもないできる教授がいまして、いちばん最初、黒板に梵字を書くわけです。僕に言わせれば梵字ですね。ヒンディ文字を。「これは、ア・アー、イ・イー、ウ・ウー、エ・アイ、オ・オゥ」というふうに読むと。1時間目それだけなんです。次の週は、それでいきなり読めというんですよ。要するに自分で勉強しろ。 何のことはない。ヒンディ語というのは、アイウエオ順なんです。いや、そうじゃないんです。日本のアイウエオというのは、サンスクリット、ヒンディをそのまま写したものなんです。アの次にアーという長母音は来ますけれども、長母音を抜かすとアイウエオなんです。アのあとにもう一つ母音。日本では母音として認められませんが、サンスクリットの「リ」というのが母音としてインド語にはありますが、これを抜かしますと、アイウエオの次に来るのはカキクケコなんです。インド語の辞書がですよ。カキクケコのあとに来るのは、やはり向こうは音韻学が進んでいますから、同じ系列のガギグゲゴが来るんです。これは嘘じゃないんですよ。アイウエオって、そのままインド語なんです。 これが日本人は、五十音は日本の発明だと大勘違いをしているんですね。そうじゃないんです。インド語から持ってきた。しかもそれは大仏開眼をやった菩提僊那という男に端を発した梵学が影響を与えて、明治維新に五十音となって、こうなっている。 インドというのはそういうものを日本に与えているんですよ。仏教だけじゃないんです。仏教だけじゃないというのは、差し支えがあったらごめんなさい。神道で祝詞というのがありますが、祝詞をあげる時に神主が最初、何と言います?地鎮祭でも何でもいいですわ。「オウーム」というんです。オウム真理教のオウムです。これは神を呼び出すヒンドゥの儀式の最初の音なんです。 日本の当時の神道は、神に呼び掛ける音がなかった。どうしていいかわからない。お辞儀をして拍手だけじゃどうも頼りない。何か祝詞の前に一声掛けたいなということで、その当時バラモン教の「オウム」というのが入ってきて、これは便利だ。神を呼び出す音があるじゃないかということで、いまだにこれを神道の祝詞の前に使っているんです。これを神主さんの前で言うと、すごく神主さん困った顔をします。神道は日本古来のものだと思っていますから。そうじゃない。そういうものを日本は輸入しているんですよ。 これはしようがないんです。日本列島というのはアジアにくっ付いていますよね。日本で明石原人なんていたかいないか知りませんけど、それがいまのわれわれにつながっているかどうか知りませんが、いまの定説では、アフリカで人類が生まれて、ずうっとシナイ半島あたりで左右に分かれて、流れ流れて日本に来ている。どう見たって向こうのものがこっちに来たに違いない。こっちのものは向こうに行ってないです。 人類の流れ おかしなもので、実は人類の流れに沿って、文化とかそういうものが流れやすい傾向があるんですね。ちょうどシナイ半島で生まれたキリスト教は左のほうへ行って、回教はこっちのほうへ来て、それに基づいて文化が流れてくる。だからこういう流れがあるから、それに乗った仏教というのは、こっちに流れるだけで遡らなかった。 ここでもう一つ、ちょっとよけいなことを言いますが、シナイ半島へと上がってきた最初の人類、あそこで夫婦喧嘩するんですな、為政者が。女が東のほうへ行って、男が西のほうへ行くんです。その女というのは呪術的な能力を持った女で、その当時まだ生きていた恐竜に乗っていたんですな。男は「あんな女の顔も見たくない」といって、西洋のほうへ行っちゃった。その時に、あんな悪女、悪魔ということで、女のことをデビルと呼んだんですよね。 だけれども、女を奉じた東のほうへ行った人達は、「いや、女神様だ」と、こう言ったわけです。だから英語のデビル、悪魔というのは、デビ夫人のデビ、女神と裏表になっているんですよ。同じ女の名前が、デビというんだったかデビルというんだか知りませんけれども、男から見れば、あれは悪女だとなるし、悪魔だとなるけれども、女神を奉じたほうは神様になるわけですな。 それで西洋では女神、悪魔、悪女、要するに悪魔をやっつけるためには、魔女をやっつけるためには、その使いであるドラゴン退治をしなきゃいかんということになっているんですね。だからドラゴンは、西洋では悪魔の使いになっている。 ところが東洋では女神に仕えた動物ですから、ドラゴンは神格化されて良いいい動物なんですね。このへんが西と東の考え方のすごい違うところで、中国でも日本でもインドでも、ドラゴンは神格化されているんですね。西洋では退治すべき対象物として扱われている。このへんはすごく面白いなと思う。 三菱商事にいてインドにいますと、夜、何にもやることないんですね。そうするとみんなでくだらん話、こういう話をしながら時間を過ごさざるを得なかったというのがあって、こんなことが頭の中に妄想として浮かんできて、これは定説でもなんでもありません。私の妄想です。だけど考えてみれば正しそうだなという感じはしますよね。 東から西へ流れたものは、重要なものが幾つかあります。例えば小麦の殻を取る手法。これは中国で開発された手法ですが、西洋にも流れて、すごく珍重されましたし、火薬がそうです。紙がそうです。羅針盤がそうです。チェスがそうです。こんなのみんなインド、中国で生まれたものが、西のほうへ行ったものです。こういうものは非常に数が限られていて、だいたいは西のほうから東に流れるという格好で動いてきています。 現職のアメリカ大統領の訪印 また話を元へ戻しますが、タルボットが8回にわたってインドのジャスワント・シンと話合った結果、クリントンが辞める前にインドを訪問するんです。クリントンはインドに五日間滞在するんです。アメリカからの距離を考えますと、実は七日かけているんですね、行き帰りもかかりますから。現職のアメリカ大統領が一つのほかの国に五日間滞在した例というのはほとんどございません。 なぜクリントンがそうまでしなきゃならなかったかというと、これが先ほど言いましたアメリカのIT産業、情報産業、コンピュータ産業は、インドなしでは成り立たない状況まで追い込まれているというひとつのエビデンスですね。 韓国の読み 日本の政治家はなかなかそこまで読み取っていませんで、その点、韓国の大統領、韓国政府は、インドとアメリカの関係というのはそこまでいっているんだから、21世紀はインドとアメリカの蜜月、ハネムーンとなる。そういうインドを前もって自分達はやらにゃいかんということで国を挙げて、政府が韓国系財閥の尻を引っぱたいて、インドに進出させています。 韓国の四大財閥、金星だとか現代だと大宇だとか三星だとか、みんな出てきました。大宇はちょっと本国のほうでだめになっちゃいましたけれども、相変わらずこの三つの財閥は、インドで隆々たるものです。最近は韓国の大統領がインドを訪問しまして、その時に付いていった韓国の人達というのは、200人以上いたというんです、実業家が。小泉さんが出かける時、日本の経済界、何人が随行者として付いていくかというのはわかりませんけれども、そんなことはないと思いますね。ロッテなんかもその時に行っております。 ロッテなんかすごいです。次はインドだと。ガムとインドってあんまり関係ないのかなと思うかもしれませんが、インドではパーンという、キンマの葉にいろんなものを包んで噛む習慣があるんですね。これをペッペッと捨てるのは汚いからということで、だんだん禁止のほうへいっているんですが、噛む習慣は残るだろうということで、ガムが非常に有望だということで、まず韓国のロッテが進出し、日本のロッテもいま北のほうへ進出しようと思っています。 インドで何かをやる場合に、金星なんかもそうですし、三星もそうですし、現代もそうですが、本社が本気になって力を入れてやっているんですよ。そうしないとインドでは成功しません。インドで失敗例としてあげるには、ちょっとまだ時期が早いんじゃないかなと思いますけれども、ウーン、ちょっと……と思うのはソニーの出方なんですが、腰掛的に出て行っているんですね。 ところがスズキ自動車の出方はそうじゃないんです。社運をかけて出て行っているんです。これはインドのマルチウドヨグという会社の会長が、その当時は社長だったですが、日本の晴海へ来て自動車ショーを見た時に、「三菱自動車に決めようかな」と、ある日言ったんですね。 ところが翌日、朝10時から夕方4時まで、鈴木修さんが帝国ホテルへ乗り込んで、ひざ詰めで一日かけてクリシュナムルティさんと修さんが話合って、すべてのペンディング事項を二人でさばいて、スズキがインドへ進出することに決めたんです。これはインドが門戸開放する1991年よりも5~6年遡った時です。スズキは全社一丸となって、このインドプロジェクトに進めるんむんですね。それで大成功をおさめるんです。 インドではその当時、アンバサダーという車とフィアットという車がありまして、細々とつくっていましたが、桁が違うんですね。一時は90%くらいスズキ自動車がシェアをとってやっていました。いまはスズキ自動車、マルチウドヨグのシェアは、乗用車で約6割くらいになってしまいましたが、それでも一つの工場で乗用車を50万台つくっているんです。一つの自動車工場で50万台乗用車をつくる工場が、世界中に幾つありますか。ほかにないと思いますね、まだ。生産能力は50万台あるというのはあるかもしれませんが、実際つくった例というのは、私、聞いたことがないんです。だいたい自動車というのは10万~20万台前後を一つの塊としてやっていますが、いまスズキは一つの工場で50万台つくっています。 インドの自動車生産台数は今年度、インドも暦年じゃなくて、財政年度は日本と同じで04―05で110万台くらいになりそうです。2010年には200万台だろうと。あそこに旭硝子が、アサヒ・インディア・セーフティガラスという工場をつくっておりますが、ここが自動車ガラスのインドの需要の9割5分くらいサプライしています。 一昨年の話ですが、そこに行っていろいろ話をしていたんですけれども、そこの方が曰く、2030年にインドの乗用車生産台数は1000万台を超えるというんですよ。なぜそれがアサヒ・インディア・セーフティガラスに予測できるかというと、95%のシェアを占めている自動車ガラス会社に対して、自分の生産計画を理解していただいてサプライしてもらわないと、自動車会社はどこもやっていけないわけですよ。 そうするとすべての乗用車が、ベンツも現代も、タタもマルチも全部自分の生産計画を、10年先の計画を、20年先の計画を旭硝子に持ってくるんです。お宅でサプライして下さいとお願いせざるを得ない。だからすべての自動車会社の本当のデータが、インド・アサヒ・セーフティガラスに集まっちゃっているんです。インドにもインド自動車工業会、AIAMというものがございますが、そこに出てくる数字は非常に政治的な数字が多いんですけれども、自分の生産計画に合わせた数字というのは、旭硝子さんが全部持っているんです。当然のことながら、旭硝子さん、儲かって儲かってしようがないです。95%のマーケットを持っていたら、儲からないはずがないですよね。 マルチウドヨグ、スズキさんも、鈴木修さんが「スズキの世界戦略は」なんて大きな話ができるのは、インドで儲かっているからなんですね。すごい儲かっている。この蓄積というのは大変なものですね。だからパキスタンでどういうふうにしよう。東欧でどういうふうにしようなんていうことを修さんが言えるようになったのは、インドで大成功をおさめたからなんです。これは社運を賭ける覚悟で進出したからにほかならないと思うんですよ。 片手間でインドでやると、インドという地は非常に商売的にも厳しいし、インド人も商売が非常に上手ですから、なかなか成功しない。やっぱりきちっと社運を賭けるような形でがっぷり四つに組んでいただかないと、うまくいかないような気がします。 先ほどちょっとお話しましたが、いま私は三井金属さんのアドバイザーをやっておりまして、これはもう新聞発表されてますから構わないと思いますが、三井金属さんがインドに新会社をつくって、そこで触媒をつくろうという計画をしております。 インドは核不拡散条約に加盟していません。インド人というのは原理原則を非常に大事にする人達です。だからすでに核を持っている5ヵ国だけが、言いたい放題のことを言えるような世界システムというのは、地球にとって好ましくないということをはっきり言っているわけです。アメリカに対し、核を持っている国に対し。で、自分も核を持っていますよということで、先ほど橋本さんが顰蹙を買うような結果をもたらした核実験をやったわけですよ。 エイズにかかっている人が、「自分はエイズにかかっているよ」というふうに言うほうが、私は正直だと思うんですよ。日本政府の立場は、エイズにかかっている。それはいいと。だけど黙っててくれよというのが日本政府の言い方で、核は持っていてもいいけれども、持ってない振りをしてくれよというのが、どうも日本政府の言い方のような気がしてしようがない。 原子力関係の方もここにいらっしゃるから、耳に逆らうかもしれませんけれども、インド人は私に言うんですよ。「日本人はアメリカの航空母艦や軍艦が日本へ寄港する時に、核をグァムだとかハワイへ行って下ろして入ってきていると本気で思ってるの?」と言うんですよ、インド人は。「だから持ち込まないというのは、とっくのとうに反故になってるんじゃないの?そういう日本人の建前論には自分達は付いていけないよ」とインド人は言います。 それから日本という国は、もしアメリカの核の傘の中に入っていなければ、歴史上から5年前、10年前あるいは20年前に消えていたかもしれないねという言い方を、本当に腹を割って話すことができるインド人は指摘します。反論のしようがないですね、これは。インド人のほうがきちっと日本を見てます。 インド人の対日感情 日本に対して批判的かというと、そうじゃない。日本の外交というのはすごいねと。自分の経済発展のために、国防費をアメリカにかじけてここまでやってきた日本人の知恵ってすごいねと感心するんですよ。インドの教科書では、日露戦争でアジアの国で初めてヨーロッパを負かした国が日本だということで、日本を褒めたたえているんです。 日本にも若干ではありますが、インドの留学生が来ています。日本にもインド人が何人かいます。日本に来た、日本で経験を持ったインド人で、日本を嫌いになったという例を私はまだ知りません。アジア、ほかの国から日本へ来ている留学生で、日本嫌いになって帰る留学生が3割とか、あるいは7割とか言う人がいます。そんなインド人一人もいません。みんな日本びいきになって帰って、本国へ帰ると熱く日本について語ります。こんな親日国はないと思います。インドで世論調査をしますと、外国でどこの国がいちばん好きかというと、日本はいつもトップです。こんな国ないんですよ。 インドの治安 インドでテロはたくさん起こります、小さなテロは。例えばオールドデリーなんかでは起こります。パキスタンとインドの間でカシミールというのがあって、これをああでもない、こうでもないとやっていますので、その関係でテロは起こりますが、外国人を対象にしたテロというのは一度も起こっていません。日本人がそういう不愉快な目にあったことは一度もございません。そういう意味では日本人が生活をするには、精神的にはすごく楽に生活のできるところですね。 相違点 ただし、風俗習慣がまったく違うんですね。まず食べ物がまったく合いません。私、言うんですけれども、世界は三つに分けられる。一つはタンパク質発酵調味料圏。これは日本からビルマまで。それからアルコール発酵文化圏。これはだいたいブドウ酒ができるところですね。その間、インドからギリシャのちょっと手前くらいまで、乳酸発酵文化圏。ミルクですね。調味料としてはスパイスなんです。 インドにはカレー以外ありません。私、学生時代に旅行した時に、サイクル力車というのがございまして、インド人というのはだいだい日本へ一方的にみんな与え続けたんですが、日本人がインドに与えた数少ないものの一つには人輪力車。日本で言う輪タクをサイクル力車というんですよ。人がこうやって引っ張る人輪力車ですね。これはカルカッタにいまでもあります。一時戦後はやった輪タクというのがありますが、これはインド各地にあります。 サイクル力車という輪タクの運転手と仲良くなって、学生時代に話をしたら、彼曰く。「おまえ、カレーを食うか」というから「食う」と。「日本ではどのくらいカレーを食うか」というんですね。「おれは一月に1回か2回は食うぞ。ひどい時は1週間に1回食うこともある」といったら、その力車が「気の毒だな。おれは少なくとも1週間3回は食う」というんですよ。何のことかなと思った。 そうしたらカレーというのはおかずという意味なんですね。だから日本人はおかずのある日が一月に二日か三日。おかずのある日が一日ある週もある。インドではいちばん下級の労働者は、豆の粉を水でこねて食べて、青い唐辛子をバリバリ、塩がちょっとあって、それが普通、いちばん下の人達ですね。カレーを、というのはおかずがあってご飯だとかチャパティだとか食べるというのは、大変なぜいたくなんです。そういう人達にとってみれば。僕はすごく同情されまして、カレーをおごってやろうかといわれましたよ。だからカレーという意味は、そういう人達にとっては日本で言うちょうどおかずに当たるかなという意味です。 そういう意味では、日本人が向こうへ行きますと、インド人にとってみれば全部がカレーですから、例えば1週間日本から交渉に行く。「じゃあ全部食事はおれのほうで面倒みる」といって、昼夜、昼夜呼ばれるわけですよ。彼らにしてみればおかずの種類を変えようということで、昼夜、昼夜違ったカレーを1週間出すんですよ。で、違ったおかずを出したというふうに彼らは思っている。 日本人にしてみれば、田舎の定食屋へ行くとカレーライス、ハヤシライス、ラーメンに天丼というふうに書いてあって、あのカレーなんですね、全部が。そうすると「なんだ、毎日カレーか」ということになる。 日本人は中国へ行った時に、例えば中国人と1週間いて全部二食、昼夜、昼夜と、今日は北京料理、今日は四川料理、今日は上海料理、広東料理、いろいろやってくれているなと。だけれども、言ってみればカテゴリーとしては全部中華料理なんですね。 それと同じように、インド人はカレー料理の中でいろいろ細部やっているわけです。インド人自身は感覚的に中華料理があり、フランス料理があり、インド料理がある。日本料理がある。そのくらいにインド料理というのは確立した文化だというふうに彼らは考えているわけです。 だから日本人は、「なんだ、また。行ってる間ずうっとカレーじゃないか」という不愉快な目をするけど、だけどよく考えてみれば、それはこっちの勘違いだということに気がつかなきゃいけないと思います。 ただし向こうで生活するには、気象状況だとか食べ物も含めて瘴癘の地といわれる地ですから、非常に生活しにくいところです。 日系進出企業は儲かっている ただし、JETROで調査したものがございますけれども、あそこに進出している日本企業のうち、だいたい7割から8割くらいが黒字または儲かっているんです。中国の2割か3割しか儲かってないのに比べれば、大きな違いだと思います。現在向こうに進出している日本企業はだいたい200社。中国は2万社といいますから、100分の1ですよ。進出している企業は、黙っていますけれども、7割8割儲かっているんですよ。儲かっていないところも、あと1~2年すれば儲かるという確信を持っていますね。 現在の経済成長率はだいたい6%から7%の間くらいで伸びていっています。世界の歴史を見ますと、7%以上の経済成長率を無限に未来永劫続け得た国はありません。上昇すると、必ずストンがあるんですね。そういう意味ではなだらかな伸び、6%から7%の間くらで伸びていくというのは、非常に健康的でいいんじゃないかなというような気がします。この間の東南アジアの通貨危機の時も、インドは微動だにしませんでした。まったく大丈夫でした。 インドの影響で、先ほど仏教の話だとかアイウエオの話をしましたけれども、もう一つ、ちょっと思いつかないものがあるんですが、ご披露しておきましょう。何かの話題になるかと思いますが、インドにはベーダというのがございまして、ヒンドゥ教の教えを説くひとつの聖典ですけれども、四大ベーダというのがありまして、リグ・ベーダというのは哲学的なこと。サーマ・ベーダというのは神に捧げる賛歌を集めてあるやった。そういうようなのがあるんですが、神に捧げる賛歌の歌い方、これがいまだにインドに残っているんですね。この神に捧げる賛歌というのが、結局、お経の読み方に影響を与えて、中国経由で日本に入ってくるんです。 お経の読み方だとか声明だとかいうのを元にして、室町時代に謡というものができたんです。だからお能というのが完全に日本発生のものだという勘違いをしないでいただきたい。インドで起こった神に捧げる賛歌の歌い方、腹式呼吸、腹から声が出るやり方は、インド発生なんです。それが脈々と流れて日本に声明として、お経として伝わり、それが室町時代に世阿弥によって謡という分野を確立して、いまに続いているんです。これは観世のお家元も認めていらっしゃることです。 実は観世のお家元のお手伝いをしばらくしたことがございますので、そのへんのことは家元とも何回も話し合っているんですけれども、そういうことで、意外にわれわれの身の回りにもインドの影響のものがあるんですね。 例えば言葉で言えば「卒塔婆」という言葉、それから地獄という意味で「奈落」という言葉。奈落というのは、いまでもインド語で地獄のことで使われております。日本では舞台用語として奈落の底だとか、ああいう意味での奈落。せり上げのあれのことを奈落といっておりますけれども、そういうように言葉の中でもたくさんあります。 例えば「さら」という言葉があります。さらというのは新しいという意味で日本は使いますけれども、ヤクザの方々が使うらしいんですが、インドではサラというのはやっぱり新しい、完全なというような意味なんですね。これは英語に入ってサラリーのサラと、ひょっとしたら同じじゃないか。そういう意味で同じものがずいぶんあります。 インド語というのはヨーロッパ語から分かれてきていますので、英語やなにかの兄弟だといわれていますからね。アーリア人というのはインド・アーリア語族といいますから、ヨーロッパのほうへ行ったのとインド側に来たのと両方いるんですけれども、ヨーロッパへ行ったほうの方々は、途中でキリスト教に影響を受けてキリスト教、一神教になっちゃうわけですね。それまではギリシャを中心としてわかるように多神教だったわけですけれども、ごまかされて一神教になっちゃった。インドに来たのは、いまだにヒンドゥ教という多神教なんです。 一神教の方々から見ると、多神教なんていうのは宗教じゃないと。神というのは一つなんだという考え方が強いんです。ご存じだと思いますけれども、中近東でうまくいかないのは、回教というのは非常にレトリックがうまかったんですな、モハメッドというのは。上手に説明したんですね。いままで神はモーゼを使わした。だめだった。キリストを使わした。だめだった。それで神はしようがなくて最後にモハメッドを預言者として地上に送った。だから回教がいちばん正しいんだと回教では言うわけです。これはどうしようもないですよ。あとからできたものが正しくなっちゃったんですね。すごい上手なレトリックですよね。モーゼがだめで、ユダヤ教。キリストがだめで、キリスト教。で、神は最後にモハメッドを使わしてできた回教、これがいちばん正しいんだということをモハメッドが言っちゃったんですね。それを信じているんだから、キリスト教と回教はうまくいくはずがないです。 ただ、これは全部共通しているのは一神教ということです。一神教を信じている英国人がインドに来て、「God is no where in India」といったんです。要するに、何でもかんでも、石ころまで神にするような国には神はいないというふう言ったわけです。そうしたらインド人が、「それはそのとおりだ。ただしおまえ、ちょっと綴りが間違っているよ」といって、no whereのwを前へくっ付けて「God is now here in India」と、こうインド人はやった。このインド人のユーモアというのは大変なもので、感心させられます。 日本とインドの共通点 インドと日本でもずいぶん違うところがあるんですけれども、共通点も幾つかある。共通点というのは、共通なことが起こっているということですね。似ているという意味じゃないんですよ。例えばインド人は働くことが好きなんです。日本人も当時は好きだった。ワーカホリックといわれていた頃、皆様が現役だった頃は、仕事が面白くて面白くてしようがなかった。面白い仕事の合間に麻雀やったりゴルフやったりするから面白かったのであって、暇を持て余した時ゴルフやっても麻雀やっても面白くないんですよね。仕事の面白さというのは、ものすごいものだと思うんですね。 要するに工場で一日仕事やって、5時になって家へ帰ってきて5時半。「今日、会社でなあ」というのをビール一杯飲みながら、あるいは焼酎でもいいんですわ。親父さんが女房あるいは子供を前にして会社の自慢話をする。それが日本人の生き甲斐だった時代があるわけですよ。 それを称して、要するに「労働は時間の切り売りである」なんていった西洋人が、日本人をワーカホリックといった。だけど仕事が面白かったら、それに超したことなかったわけじゃないですか。それを否定することはぜんぜんなかったわけですよ。 いまインド人はまさにそういう状況で、働くことが、金を儲けるというのが、面白くて面白くてしようがないんです。 カルカッタにインドで有名なマルワリの一人のミッタルという家族がありますが、これが小さな町工場の親父だったのが、いまや世界の鉄鋼王になったんですね。その会社1社で2000万トンつくっているんですよ、鉄鋼を。 しかも、この鉄鋼景気ですから濡れ手にアワ、言い値で売れる格好になっていますから、すごいですね。英国に豪邸を構えて、世界中に君臨していますよ。 こういう金儲けの仕方というのは、インド人はものすごく上手ですね。ロンドンのLME、要するに非鉄をやっているLondon Metal Exchangeの会長も、ミスター・バグリというインド人です。英国でサーをもらったインド人もたくさんいます。それからシリコンバレーに働いているインド人の数、数知れず。しかもそれのミドルマネジメント、いまや上層部あるいは社長になっている人は、枚挙にいとまがないくらいたくさんいます。 世界各国で政治家、代議士になっている異邦人の数というのは、インド人がいちばん多いそうですね。そういうふうにインド人は世界に進出しています。国連、ワールドバンク、インド人だらけです、上層部は。日本人は英語で太刀打ちできません。 インド人はものすごく自己主張が強く傲慢で、世界中で嫌われています。嫌われていますけれども、世銀やIMFや、WHOもそうですが、インド人なしでは動かなくなっちゃっているんですよ。ものすごいです。 アメリカ人が感心するのは、インド人のマネジメントというのは、採用したその日からマネジャーが仕事ができるというんですね。インド人には2種類あります。一人は命令を下す人。一人は命令を下される人。この2種類です。生まれた時から人を使う訓練ができているインド人達、これが上層階級になったり、あるいはアメリカへ行ったりしているんです。こういう人達は生まれた時から訓練を受けていますから、新しいオフィスへ行って、「今日からおまえはここのマネジャー」。「わかった」と、自分のジョブ・ディスクリプションをもらうと、それでもってその日から部下を使って仕事ができるんです。アメリカ人は感心しますね。日本人はだいたい半年から1年くらい様子を見ながら、少しずつ人に命令できるような格好になってきます。それに比べるとインド人を使ったほうが効率がいい。 そういう意味では中近東でも大活躍していますね。要するに中近東の人達の下でミドルマネジメントをやって、インド人は非常に優秀だと。インド人は目がいい。手先が器用。仕事が好き。こんないい人達いないじゃないですか。 だからインドに進出しているホンダだとかそういう方の経験談を聞きますと、中国人、インドネシア人は、後ろ向くと何をやっているかわからないけど、インド人は1週間留守にしても、ちゃんとマニュアルどおり仕事をやってくれているということなんです。 木に竹を接ぐ 先ほどインドと日本の共通点、ワーカホリックが出てきているというのも一つですが、もう一つ最近気がついたのは、日本とインドは文化的にはものすごく違うんですが、木に竹を接ぐことができた人達。要するに日本は明治維新、幕政から天皇親政になり、終戦を迎えて天皇制からマッカーサー制になり、自民党から村山政権になり、村山さんからさらに橋本さん、ずうっとこう来て、ずうっと木に竹を接いできたんですが、一日たりとも、イラクで起こっているようにマーケットが封鎖されたり、水道が止まったりしたことがありますか。 インドも英国から独立し、コングレスが政権をとり、BJPになり、BJPからさらにまたコングレスになった。この間の選挙でBJPというところからコングレスに戻ったんですけれども、その時負けたほうのBJPの党首が言ったことがふるってますね。「BJPは選挙で負けたけれども、インドの民主主義が勝利した」と。一日も停電もありませんし、何にも起こらなかった。きちっと木に竹を接いでいままで来ている。 先ほど言いましたセルフリライアンスからインターディペンデンスに180度転換しても、ちゃんと軟着陸しているんですよ。混乱は起こってないです。これがインドと日本でできているんですね。 それを経験したアメリカがイラクで、アフガニスタンでやろうとしたって、うまくいくはずがない。普通の国では木に竹は接げないんですよね。それがインドと日本ではできているというところ、非常に面白いなと最近は思っています。 まだしゃべりたいことの百分の一もしゃべってないんですが、時間が来たのでやめます。どうもありがとうございました。 |
無精卵まではOK
卵はOK
以上何れもミルクをはじめとする乳製品はOK
ノンベジタリアン
鳥と魚はOK
豚を食べない 回教徒
牛を食べない ヒンドュー教徒
何でも食べる
インド料理は禁欲的な香りがする。
腹が膨れればよい。うまい不味いは言わない。
凝った料理はムガールが持ち込んだ宮廷料理。
今では味を云々するようになった。
乳酸発酵文化圏
たんぱく質発酵調味料圏、アルコール発酵調味料圏
納豆を食べる人たちがいる。マニプール州。
酒はあまり無い。
ソーマは酒かの議論あり。
酒はただなら大量に飲む人がいる
酔っ払いは軽蔑される。酒の上のと言う言い訳は通用しない
米を食べるのは南。北は米を必要としない人たちがいる。
小麦粉から作る食べ物
チャパティ、ローティ、ナン、パラタ、プーリ、バトゥーラ等々
米や他の穀類から作る食べ物
ドサ、ウプマ、イディリー、ワダ、ウパッタム、
水はミネラルウォーターを飲用とする。
紅茶は北インド、コーヒーは南インドといわれる。
水に関するタブーと寛容さ
古いインドの教えでは(マヌの法典等)客人に水と食べ物を寄進することを徳と教えている。一方、アンタッチャブルには井戸を使わせないとの地域がある。
塩は岩塩と海水からのものがある。
ブラックソルトと呼ばれる一寸紫がかった硫黄のにおいのする岩塩もある。
外食の習慣は無い。自分の家で食べるのが一番安全。
自分のカーストより下のものが作ったものは食せ無い。
ブラフマンがコックに最適。(理論的)お菓子やナド。
食べるに際し特に規定は無いが、左手は使わないほうが無難なところもある。
手で食べる人が未だ多い。食器はバナナの葉っぱやホウノ木の葉を固めて作った皿など。現在はステンレスの食器が便利と重宝がられている。
食事は一日二回の地方もあるようだ。
カレー以外の食べ物は無いと考える。カレー=おかずと考えると分かり易い。
2. 衣
現在の都市では西洋と変わらない服装のビジネスマンが殆どである。
伝統的な服装をしているのは、政治家、特殊な職業に限られる。
パーティーなどでは小うるさいことを言う場合もあるが、背広一着で十分すぎる。
サファリで押し通すことも可能である。
ドビーと言う洗濯やがいる。カーストを形成している。
回教徒の女性は黒を身に着けて皮膚をあらわにしないことがある。ヒンドュー教徒の寡婦は白しか着れなかった。初潮を迎えるとサリーを着るようになる地域もある。
坊主の法衣の黄色は防虫剤のウコンである。
法衣だけでなく、お経の紙にも。
インドは絹を中国から輸入している
絹のサリーが高級サリーで結婚式の金糸を織り込んだ赤いサリーは女性の憧れ。
輸入した中国の絹糸を縦糸にして各地で名産のサリーがある。バナラシー、ケンチープラム、ベンガル、イカット(絣)等々
既製品よりオーダーメイドの方が安い。
コットンパンツRs.1500~2000 オーダーでジーンズRs.700以下
暑いところでは上半身裸の場合が多い
3. 言葉
言葉のダブルスタンダード
言葉の種類が多い
200~500種類と分類する学者もいる
大きく分けて3種類、プラス英語
言葉が通じない、分からないのは当たり前
英語が分からないのは人間扱いされない
母国語を捨てる人たち
一方ヒンディーを国語にとの普及活動
エンターテイメント系はヒンディーが圧倒的になっている現象
テレビ・映画・音楽
日本語の50音はヒンディーの音韻表から
世界的に完全な言語は無い
英語のでたらめさ加減 STR ie ea ae ei ee I
チャ 中国語の出鱈目さ
4. 住
上流階級は英国人を初めとする西欧人が持ち込んだ住宅形式を模す
熱帯地方では住居はあまり重きを置かないのでは
家の中には家具が無い
5. カースト
血縁を基本的なベースとした同業者集団、氏姓制度、コミュニティー
日本人がカーストを知っている理由
釈迦の教えの意味を説明するため
人間は同じ
同じカースト同士の結婚が前提だが、同じカーストでもゴートラが同じだと結婚できない。近親結婚を避ける意味。
保険、社会保障の意味合いもある
コミュニティーの謝意小単位 50人
長老が裁く
コミュニティーのルールがインドの一般法に優先する
結婚、遺産相続等
伝統的なコミュニティー間にはルールが出来ている
上下関係、契約関係、
外国人はアンタッチャブルであった
英国人は別格
日本人も別格
6. タブー
コミュニティーの中には各所のタブーがある
他のコミュニティーのやることについては無関心
人に暴力を振るわない、特に他のコミュニティーの人に対して裂ける
非暴力が最低のルールの一つ
生き物の殺傷を嫌う人たちがいる
7. 宗教
意味
ヒンドュー教徒、回教徒、キリスト教徒、シック教徒、ジャイナ教徒、仏教徒
全ての宗教の祝祭日がある(restricted holiday)
無宗教は考えられない
他人の宗教を容認するのが一般的
親子で崇拝する神が異なることもある
寺院では革製品を身に着けて入場できないところが多い。履物も脱がされる。
ヒンドュー、仏教、シックは火葬、回教、キリスト今日は土葬
8. 対人距離
非常に近い
30センチくらいの人が結構いる
インドを一言で表現すると「多様性の国」
インドの歴史の特徴「他を侵略しなかった」
インドの哲学「自己をいかに生き抜くか」が主題で、そのための世界観
宇宙が相手
領土的な現世に野心は抱かなかった
原則に忠実
金儲けが目的とすると何でもする
添付:
私のインド七不思議
インド人のビジネスマナー
夢のジョイントベンチャー
2005/4/11自由社会研究会 講演
「インドの現状、将来そして日印関係について」
清宮 おはようございます。まだちょっと早いかもわかりませんけれども、大体食事も済まされたようですから、できるだけたっぷり清さんの話を伺うことにして、これから始めたいと思います。
皆さんのところに清さんの大体の経歴は配布してありますのでおわかりだと思いますけれども、三菱商事でとにかくインドに前後十九年おられた。日本でこれだけ長く向こうで、しかも言葉をちゃんと専門に外語で学ばれて、行かれたわけですから、これだけ深く勉強しておられる方はないのじゃないかと思いまして、きょうは来ていただきました。槙原さんにも伺ったら、彼が第一人者だよ、ということを言っておられました。現在は三菱商事を退かれておられますけれども、今でもしょっちゅう行き来をしておられるようで、ついこの間帰ってこられて、今度は再来週ですか。またすぐに行かれるようですから、生々しい現地の状況もよくご存知だと思います。
それでは、早速、清さん、よろしくお願いします。
清 好延氏
実は東京外国語大学のインド語に入りまして、自分の選んだ語学の話されている国が一生を懸けるに足る国かどうかというのを学生時代にみておきたいという気持ちがありまして、その当時、インド語の学生三人で「日印親善学生使節団」というのをつくりまして、日本の企業の方々から協賛を得まして、六一年に三カ月ほどインドにまいりました。その時、船で行きまして、カルカッタに上陸して、一周回ってカルカッタへ帰ってきて、帰りは飛行機で、DC3かなんかそんな小さな飛行機だったと思いますが、それでホッピッグで帰ってきました。
その時、帰りの飛行機の中で感じたのは、インドというのは複雑怪奇な国だな。どうも二十年ぐらい住まないとわからないんじゃないか、というのが私の印象でした。ということは当然、一生懸けるに足る国だということは大前提として飲み込んじゃったみたいなのですね。それですぐインドに行かせてくれる会社を、というふうに探しまして、たまたま三菱商事に拾っていただきまして、三菱商事の駐在員としてカルカッタ、デリー、デリーと十六年駐在しまして、その後、日印調査委員会という日印間でつくった合同委員会みたいなものの事務局長を仰せつかりまして、そこで海部(俊樹)先生を名誉会長に頂いて、インドとの間でいろいろなセミガバメント的なコンタクトをして、その後、JICAのほうから、インドに商工会議所連盟というのがあるんだけど、そこへ座ってくれないかと。で、対印投資促進ということで、インド商工会議所連盟のジャパンセルというところに三年間座りました。それで合計十九年インドにいることになったのですが、私の最初の直感の二十年にはまだ一年足りませんので、私のインド論も多少不備なところがあるのではないかなと。こう思って、話を進めたいと思います。
インドといいますといろんな方がいろんなことをおっしゃっています。その方々の言っていることはみんな正しいというふうに僕は理解しています。〃群盲象をなでる〃という言葉がございますけれども、インドは多様性の国ですから、なでたところによって違った印象を皆さんが持ってくる。したがって、いろんなマスコミ、あるいは本なんかで紹介されているインドそれぞれが全部正しいと。お経の文句ではございませんが「如是我聞(我かく聞けり)」という意味で、我かくインドをみたよ、という感じで皆さんがお書きになっている。これは皆、正しいことだと思います。ただ、それはごくごく一部のものをみているにすぎなくて、全体を論ずる、あるいは断じたりしてはいけないのじゃないかなというのがインドの正直な印象です。
日本に来ているインドの影響というのはずいぶんいろいろありますけれども、インドは日本に対して非常にいろいろなものを与え続けてきました。皆さんご存知の地鎮祭なんかに行きますと祝詞をやりますが、祝詞の一番最初に神主さんが(大声で)「アーウームー」と言います。これはオウム真理教のオウムでもありますけれども、インドでもこれは神音(しんいん)ということなのです。いつの時代か、仏教が入る以前だろうと思いますが、日本へこれが伝わってきて、日本では神を呼び出す音だということで、祝詞の最初に付けるということが行われたのだろうと思います。
それから仏教が入ってきまして、仏教が入ってきた時に、詳しい話はやめますが、一つだけ。日本の神道では終わりに対する結末のつけ方が非常に難しくて、人が死ぬと汚れたものとして、洞窟の中に捨ててくるというような考え方があったわけですね。それが黄泉の国の入り口がどうのこうのという話になるわけですけれども、仏教の中で終わると来世があるという考え方、要するに終わりを非常にきれいに処理してくれるのが仏教だということで、この終わりの思想が日本に入ってきまして、人間だけじゃなくて、すべてのものの終わりに供養というのを持ってきて、針供養だとか、ウナギ供養に至るまで終わりに関してはこれでけりをつけるという習慣がついた。これは一つの仏教の知惠をそういうふうに日本人は利用したのだと思います。
聖武天皇が大仏をつくって、この開眼式をやろう、入魂式をやろうと言った時に、日本の坊さんは恐れ多くて開眼式なんか要しきらんということになったのです。それで中国へ坊さんを呼びにいくのですが、中国の坊さんは「エッ、倭の国。そんな国へ行くなんて」と言って、誰も手を挙げないんですね。その時に南インドから出てきていた仏教徒が中国におって、仏教の坊さんだろうと思いますが、名前も今、伝わっていないのです。菩提僊那(ボッデセイナ)という言葉だけで、菩提というのは仏教という意味です。僊那というのはグループを表すことですから、仏教徒というような意味でしか今、伝わっていないのですが、この菩提僊那さんが日本へ来まして、大仏開眼の供養、マスター・オブ・セレモニー(MC)をやるわけです。それで終わった後、彼は中国へ帰って中国の坊主の下で下積みをやるよりは、日本で大事にしてくれるのだから日本にいたほうがいいということで居続けまして、ここで梵字、梵学を教える。これが奈良五山の開祖じゃないかと僕は思うんです。これがずっと脈々と日本のサンスクリット学につながっているわけです。
明治時代になりまして、その当時の日本の偉い方々、明治時代はすごく偉い人がたくさん輩出したわけですが、その中で西欧を勉強して、英語だとか、フランス語だとか、ドイツ語だとか西欧の言葉にはグラマーというものがある。日本もグラマーをつくらなきゃいかんということでやろうとして、まずつくらなきゃいけないのは、英語だったらアルファベットがある。日本にも何か音韻表をつくらなきゃいかん。いろは四十八文字でもあるまいということで、五十音というのを日本は明治時代に定めたわけです。この五十音というのはどこから出てきたかといいますと、私は外語のインド語へ入ってびっくりしたのですが、私が習ったのはヒンドゥー語です。ウルドゥー語も習いましたが、ヒンドゥー語の辞書の並び方はアイウエオで始まっているのです。最初がアなのです。その次がイウエオ、その後にサンスクリットのリという母音があって、その次がカキクケコなのですね。なんと日本の五十音という気はサンスクリットの音韻表をお借りしてつくったものなのですね。これは日本の小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも教えてくれないんですよ。インド語やった人だけが、ウーン、そうか、というのがわかる。もっとはっきり紹介すればいいと思うんですがね。
それから非常に日本的なものだということで評価されているお能の謡、これが実はインドの影響を受けているのです。と言うとちょっと変に聞こえるかもしれませんが、インドでは『四大ヴェーダ』といいまして、神に捧げる讃歌を集めた「サーマ・ヴェーダ」というのがございます。「リグ・ヴェーダ」というのは哲学的な要素で、「サーマ・ヴェーダ」というのは神に捧げる歌を集めたものです。この「サーマ・ヴェーダ」の歌をうたう歌い方がいまだにインドでは伝わってきているのです。これが当時生まれたインドの仏教のお経の上げ方に影響を与えまして、このお経が中国、韓国を通って日本へ来て、日本のお経の上げ方だとか、声明なんかにつながっている。室町時代に世阿弥がそれのいい部分を取って、今の謡というのをつくった。だから謡というのは今、インドに残っているボーカルとちょうど〃はとこ〃ぐらいの関係になるのかなと。ですからインドが歴史的に日本に与えた影響というのはずいぶんいろんなところでいろんなものがございます。
急に戦後へ飛びますけれども、サンフランシスコ条約の時に例のパール判事というのが、裏のことはいろいろありますけれども、とにかく戦勝国が敗戦国を裁くようなやり方は正しくないということで、インドはサンフランシスコ条約の批准を蹴りまして、日本と独自に平和友好条約を結ぶのです。日本はインドに対してニコバル・アンダマン諸島およびインパール作戦等で多大な迷惑をかけているにもかかわらず、インドはその平和友好条約の第一番目のところで賠償の放棄を宣言しています。戦勝国が敗戦国から何かもぎ取るというのは結局、歴史は同じようなことを繰り返すだけだという原則論でもってインドはそれをはねるのです。それで独自に平和友好条約を結んでくれている。
それからこれは森(喜朗)総理が最近、インドへ行った時に言ったのですが、戦後、日本の製鉄メーカーさんが一ぱいずつ鉱石を買って、ようやくしのぎながら鉄をつくっていた時にインドが初めて長期契約で鉄鉱石をサプライすることをやってくれた。しかもできた鉄をその当時アルゼンチンとインドが大量に買ってくれまして、それで日本の製鉄業というのは回転していくようになった。それからまたインドはインド国民軍、インディアン・ナショナル・アーミーと言いますが、チャンドラ・ボースに代表されて、日本にどうのこうのというのがありますけれども、この話はまた後でやります。
そんなインドが一九八〇年代、僕に言わせれば世界的なウィルス性の熱病にかかるのです。非常に面白いのですが、一九八〇年代というのはゴルバチョフ、鄧小平、インデラ・ガンジーという非常に優れた社会主義国のリーダーが現れた時です。この人たちは非常に頭が良かったものですから、彼らが自分の国内を旅行する時に自分たちのスケジュールが分刻みでピシピシといっている。だが、待てよ。外国へ行くと一般の人もみんなそういうふうにいっているのじゃないか。自分の国に来ると自分のスケジュールはそうだけれども、〃一将功成りて万骨枯る〃で、一般庶民のスケジュールはそうなっているか。生活はそうなっているか。一人の大名が快適に生活するノウハウはあっても、その藩民全体が幸せに生活するノウハウは自分の国にあるかいなあ、ということに気がついたのは、この三人だと思うのです。その結果、ゴルバチョフは「ペレストロイカ」ということを言い、鄧小平は「外国文化の学習」ということを言い、インデラ・ガンジーは「近代技術の導入」ということを言って、自分一人、トップの為政者だけが快適に過ごす生活ノウハウじゃなくて、万民が幸せになるようなことを考えなきゃいけないということに思い至ったのです。その結果についての議論はここでは僕はやりません。
ただ、インドはこのインデラ・ガンジーの宿題を官僚が勉強するのです。七年にわたって研究した結果、その間にインデラ・ガンジーは死に、ラジブ・ガンジーがどうのこうのというのがありましたが、一九九一年に門戸開放、経済自由化、これをやらないと近代技術は入ってこないということで、インドはその当時、マハトマ・ガンジーの言っていた「セルフ・リライアンス(自給自足、自立)」ということから、「国際相互依存(インターディペンデンス)」というほうに百八十度方針を転換するのです。ご存知のように外国文化の学習ということをやったために、中国の若い人たちは外国文化の学習というのは映画や本を読むのじゃなくて、ディスコへ行って踊ることであり、選挙をやることじゃないかということで、天安門まで行っちゃったわけです。ペレストロイカをやった結果は、ソ連が消滅して、ロシアになっちゃったわけです。インドは政権はその後、替わりましたけれども、マハトマ・ガンジーの方針を百八十度転換した、国際的にもみんなで仲良くやっていこうというほうに方針を転換して、外資を歓迎してということを一九九一年にやって今日に至っております。
インドの現状なのですが、実はアメリカのクリントン大統領が現職の大統領として、二〇〇〇年にインドに五日間滞在するのです。往復にかけた時間を考えると約一週間かけてインドにいるのですね。現職のアメリカの大統領が五日も滞在する国がほかにあっただろうかというふうに考えますと、これは大変なことなのですね。なぜこんなことが起こったのだろうか。実はアメリカは今やインドなしにはやっていけない状態になっているのです。これはちょっとオーバーな言い方だなとお思いになるかもしれませんが、アメリカの経済界がユダヤ人なしでは動かないと同じように、アメリカのIT産業、情報関係産業はインド人なしには動かなくなっているのです。現在、世界に出ているインド人は二千万人いると言われています。そのうち三百二十万から三百五十万人がアメリカにいると言われています。この間、外務省が発表した数字によりますと、アメリカにいる日本人の数がちょうど三十万から三十五万の間ぐらいの数字だというふうに言っていますので、その十倍のインド人がアメリカにいるのです。このアメリカにいるインド人は通常三つに分けて分類されています。第一のカテゴリーに入るのはニューヨークを中心にして住んでいる貿易商だとか、宝石商です。トラディショナルな商売をやっている。結構小金をためて、いい暮らしをやっているようです。第二番目のグループが医者、法律家、技術者、こういう人たちで、非常に真面目にアメリカで勉強して、今、アメリカでドクターシップ(博士号)を取るのはインド人が一番数が多いそうです。アメリカ人も入れてですよ。そのぐらいインド人は真面目にアメリカで勉強しているのですね。そういう人たちが第二のグループをつくっています。第三のグループがIT関係です。
実はインドは一九四七年の八月十五日に独立しました。ご存知だと思いますが、実は八月十四日の二十三時五十九分にパキスタンは独立するのです。一分インドより早いんですね。要するに自分の国はインドと違うんだということをアピールしたがために、そういう小細工をやったわけです。この辺、非常に面白いのですけれども、ネパールとインドの時差が昔は十分だったのです。十分というのはいかにも困るというので今は十五分、ネパールのほうが進んでいるのです。ネパールの王様の考え方としてはネパールはインドより進んでいなきゃいけないということで、十五分時差を上げてあるのです。しかもネパールの話をしますと、ネパールという国は貧しい国であるから、ほかの国が休んでいる日常も働かなきゃいかんということで、日曜日は休みじゃないのです。オフィスは開いているのです。お役所もやっているのです。その代わり土曜日を休みにしてやるというおとぎの国みたいな国がネパールです。こういう国がインドの周りにはあります。インドの周りの国は一つの塊をつくっておりまして、その中でインドが図抜けて大きくて、その次にパキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカ、ブータンなんていうのがくっついてあるわけですけれども、判官びいきというんですか、日本人で結構ネパールびいきの人がいるのです。この話は後で出てきますけれども、そういうことでアメリカにいるインド人というのは、ほかのエスニックの国々の人とは違いまして社会的に非常に高い評価を受けておりまして、政治のロビー活動なんかでもかなりの発言力を持っているというふうに言われております。
インド人は先ほど二千万人いるというふうに申し上げましたけれども、アメリカからアジアも含めて各国で代議士だとか、大臣だとかというふうになっている人が結構いるのですね。これはびっくりするぐらい数がいます。そのぐらいインド人というのは国際的に活動していますし、ロンドンなんかのシティ、いわゆるマーケットでは、いろんな部門で大きな役割を占めているのもインド人です。このインド人が一九四七年に独立して、僕は外語に入ったのは昭和三十三年ですけれども、その当時、外語に来るインドの専門家の先生方はウソを教えていまして、インドの高級官僚や財界人は子弟を英国へ留学させて勉強させているということを盛んに言っていたのです。実はそうじゃなくて、その当時、インド人はもう英国に見切りをつけて、次はアメリカだという見通しでもってアメリカに自分の子弟を留学させていたのです。で、アメリカで非常に優秀な成績で大学を卒業するのですが、ご存知の通りアメリカというのは非常に人種差別の激しいところでして、有色人種がなかなかいい職に就けないのです。伝統ある立派な企業なんかにカラードはアメリカ人に伍して仕事に就けないというのが当時のアメリカだったと思います。
その中でそのころ台頭してきたシリコンバレーを中心とするIT産業にインド人が入っていくのです。IT産業ですからベンチャー企業が非常に多かったのですが、そういう中でインド人が活躍して、だんだんそういうIT産業の中核をなすようになっていくのです。アメリカ人がトップで、その下にインド人が就くような格好で、たくさんのIT会社がシリコンバレーを中心にできました。それでインド人に、お前ら優秀なインド人だな。お前らみたいな優秀なインド人はアメリカへ来るけど、本国にはそんなに優秀なのはいないだろう、とアメリカ人が問いかけると、インド人は、そんなことはないよ。インドにはゴロゴロしているよと。エッ、ほんと? それだったらばプログラムのバグのチエックぐらいインドでできるかな。うん、できるよ、と言って、ソフトウエアのバグのチエックをインドに任せたのがインドのIT産業の始まりなのです。最初にアメリカのプログラムのバグのチエックを引き受けたのが、今では世界有数なコンピュータソフトウエア開発会社になっているタタ・コンサルタンシーという会社です。タタ・コンサルタンシーがバグのチエックをやると、ちゃんと期日通りやる。しかも、非常に緻密にやるということで、バグのチエックはインドという定評ができまして、どんどんそれをアメリカ人がインドに頼むわけです。そのうちにこのコンピュータのこの塊のところぐらい向こうでできるんじゃないの。いや、もう少しこの幹あたりは、そのうちにこのプログラムをトータルで全部、というような格好で丸投げするというようなところが出てきて、航空会社の管理システムだとか、証券取引所の管理システムなんかを総合的にインドが開発するような格好になっていくのです。
ご存知のようにアメリカのカーネギーメロン・ユニバーシティというところに私の名前、SEI(Software Engineering Institute)というのがありまして、これはアメリカの国防省が肝入りで、そこの大学にソフトウエア開発会社のランキングをやることを任せたのです。なぜかといいますとアメリカの国防関係の企業が何かコンピュータのソフトウエアの開発を頼む時に、どの会社にどのレベルのものを頼むかというのがわかるように会社のレベルをつけよう、ランキングをしようということが最初の考えだったと思います。これでレベル1からレベル5までありまして、レベル5が一番上なのですが、二〇〇二年のレベル5の会社は全体で六十九社あります。そのうち四十六社インドの会社でした。アメリカの会社は十一社。これが二〇〇四年の五月にはインドの会社はレベル5が七十五社がです。昨年の十二月、インドの会社は八十五社がレベル5です。残念ながら日本の会社でレベル5までいっているところは、大変失礼な話ですが、まだないというふうに僕は理解しています。今、インターネットで調べると、麗々しく自分の会社はレベル3であるということを言い切っている会社が何社かあります。オムロンさんがそうですし、日立さんがそうです。だけど、レベル3なんていうのは恥ずかしくてインドでは言えないんですよ。レベル4というのもインドでは恥ずかしくて言えないくらいなのです。日本はまだレベル3の段階なんですね。このくらいインドと日本のソフトウエアに関する差がついちゃっているのです。それで非常に困るのは、レベル5の会社に対しては欧米の会社はプログラムを全部丸投げするのです。これやってくださいと。もちろんイギリスやアメリカで開発するわけじゃなくて、インドでオフショアでインドの会社でやるわけですから、向こうの人件費でやれますから実質的には安い。だけど、安いとか安くないとかじゃなくて、これだけ高度のプログラムを開発してくれるところは、ソリューションを与えてくれるのはインドの会社しかないという理解なのです。日本ではそうではなくて、インドの会社にソフトウエアの開発を頼めば安くできるのじゃないかというような考え方でまだインドをみている。その辺が非常に残念なところですね。
森総理が盛んにITというのを言いだした時に日本の会社も自分の会社が世界でどの辺にランクされているのだろうということで、アメリカのコンサルタント会社にある大手がどのくらか判定してくれと頼んだことがあるそうです。そしたらアメリカの会社が膨大な金を取って調査して、おたくの会社はレベル2であると。レベル2だとやっぱりまずい。総理も言っているんだしということで、レベル3にするにはどうしたらいいかと言ったら、その会社が社内教育をいろいろやって、システムをつくり換えて、四十八カ月かかると言ったそうです。お金もべらぼうなことを言ったそうです。その会社はびっくりして、インドの会社に打診してみた。コンサルタントのビフラという会社です。そしたらそのインドの会社がレベル3にするには二十四カ月でできるでしょう、と言ってくれたというのです。費用もアメリカほど高くない。その後、その会社がどこにどういうふうにしたかという情報は私は知りませんが、というようなことで、インドのソフトウエア関連はものすごく進んじゃっているのですね。
どんなに進んでいるかという一つの例として、アメリカのNASA、IBM、マイクロソフトなんかにいるインド人の率というのが半端じゃないのです。これは数年前のデータなのですが、NASAの三六%がインド人だそうです。マイクロソフトは三四%、IBMは二八%、インテルは一七%、ゼロックスは一三%。そういうところにインド人が入っているのです。そうするとアメリカのコンピュータ業界というのは全部インド人に筒抜けになっているわけです。したがって、ペンタゴンにインド人が入っているかどうかというのは知りません。けれども、ペンタゴンに納めるソフトウエアをつくっている会社には全部インド人が入っているわけですから、おそらくペンタゴンにあるコンピュータは全部インド人がハックしちゃっていると思うんです。
インドは一九七四年に核実験を行います。この時の核実験の装置というのは小学校の教室ぐらいあったというふうに言われていました。一九九八年、インドは核実験をやります。この時はもう戦略核になっていて、弾頭に付けけられるようなところまでコンパクト化されていたというふうに言われています。ウソか本当か知りません。僕は見ていませんから。その時に核実験が行われて、日本は唯一の被爆国として、当然のことながらインドに対して抗議をしました。その時の総理が橋本(龍太郎)さんですが、橋本さんがすぐに、やった日の夕方です。無償停止ということを宣言したのです。ここのところでおかしなことが起こったのです。これは世界のマスコミもそうなのだけれども、日本の外務省の悪口を言うわけではないのですが、抗議はしたのですけれども、誰一人として「これで実験は終わりですか」と確認しなかったのです。で、インドは二日後にまたやったわけです。そうすると一回目にやった時に無償停止と言った橋本さんは、二日後にやった時に円クレ停止と言わざるをえなくなっちゃったのです。それで中国より厳しいペナルティがインドに課されるような結果になった。その後、G7で橋本さんは出かけていって、「サンクション」という言葉をインドに対して使ったのです。ところが、出席したほかの六カ国は「サンクション」という言葉はオーケしませんで、「カウンターメジャー」という言い方でもって措置を取るという格好だけでやったのだけれども、日本のサンクションだけがインドで一人歩きするような格好になって、橋本総理は後で非常につらい目に遇うような格好になりました。中国が核実験をやった時、日本は無償停止だけだったのです。円クレ停止までいかなかったのです。インドの場合はそういうようなことがあって円クレ停止までいっちゃって、ここのところで今はやりの言葉で言えば空白の何年間というのができちゃった。これは非常に残念なことです。
実はそういうインドはアメリカの戦略核に関してもコンピュータをハックしている可能性が十分ありましたし、七四年に核実験をやってから、いろんな研究をその後やっているわけですから、アメリカはインドが核実験をやった後、ちっとも驚かなかったのです。ただし、インドはやっぱり放っておくわけにいかないぞということで、九八年の核実験の後、一年半の間にその後、外務大臣になったジャスワント・シンとタルボット(米国務副長官)が八回会うんです。八回会って、インドとアメリカは世界戦略の話から、世界の核の話から、この地球上の問題について、あらゆる視点から話し合いを行うのです。それでお互いに理解し合って、アメリカはもうインドなしには世界戦略を立てられないなということを実感するのです。それでその後、クリントンが五日間インドに滞在するような結果になるのです。クリントンはインドへ行って何をやったかというと大したことやってないんですよ。ハイデラバードみたいな田舎まで行ってコンピュータ会社を見学したりというようなことをやって、とにかく五日間、クリントンはインドにいたのです。これほどインドとアメリカの関係が緊密になっちゃったのですね。もちろん根本的な哲学が違いますから同盟までは結びませんけれども、アメリカはもうインドを無視しては世界戦略は立てられないなというところまで来ちゃっているのです。
そのインドで日本がどういうふうに評価されているかといいますと、実はインドの歴史の教科書、社会の教科書では、日本という国は日露戦争で初めてヨーロッパに勝った国だということで、日本の力を非常に評価しています。それからインドのお役人の上層部の連中と腹を割って話をすると、戦後の日本の外交というのは素晴らしいと。金のかかる軍隊に金を出さずに、それはアメリカの核の傘に任せちゃって、経済のほうに傾注した。この日本人の知惠というのはすごいね。アメリカを上手に使ったね、というのがインド人の分析なのです。ただ、日本は建前論が多すぎるねと。非核三原則とか四原則とか言って、核を持ち込まないとかなんとか言っているけれども、日本人は本当にアメリカの空母や戦艦が横須賀やそういうところに入ってくる時に、グアムやハワイで核兵器を武装解除して入ってきているというのを信じているの? そんな建前論は通用しないんじゃないのと。ですから実はインドともっともっと本気で本音でもって話ができるようなところまで突っ込んでもらいたいなあ、というのが僕の望みです。
日本政府、官はインドで非常によくやっていると僕は思います。変な言い方ですが、よくやっているというのはどういうことかといいますと、私はここ十年間、「二十一世というのは唐・天竺・コンピュータの世紀である」というふうに言い続けてきているのですけれども、日本の官もその通りで、インド・中国・コンピュータというのは疎かにできないよというのは気がついておりまして、いろんな配慮をやった結果、今、ODAはインドが一番になっています。これはやっぱり官の努力だと思います。それから普通の国に対しては集中豪雨を起こして何か問題が起こった時、何とか研究会というのが行われるのですが、インドの場合は問題が起こる前から通産省、大蔵省、それぞれの部署でインドに対する研究やシミュレーションが行われていて、インスティチューショナルな研究がインドに対しては先に進んでいるのです。民間が集中豪雨を起こす前にこれが行われている。これは官主導でやったのだろうと思います。そのぐらい官はインドに対する認識はしっかりしていたと思います。
民は、これはちょっと残念なのですが、ちょっと遅れているような気がします。もちろんメリットベースでやるわけです。それで結構ですが、今、中国に進出している企業は二万社というふうにこの間、毎日新聞に書いてありましたが、インドに進出している日本企業は約二百社、百分の一です。これでいいのだろうかなというのは正直なところです。二万社、中国に進出している日本企業、そのうち何社が儲かっているかというデータはないから知りませんが、いろいろ聞いてみると、どうも二~三割は儲かっているけれども、ひょっとしたら八割ぐらいの会社はまだ赤字じゃないかという噂を聞きます。インドに進出している会社はメーカー関係で百六十社前後、商社とかサービスを入れて二百社ぐらいになるわけですが、おそらく八割が黒字で経営しています。残りの二割も一~二年すれば黒字になるという目算をみんな持っています。このくらいインドは儲かるところだというにもかかわらず、みんな口チャックで儲かった話をしていないから、この事実があんまり日本に広まっていないのです。民は石橋を叩きながらメリットベースでインドに出てくる。過去にインドでひどい目に遭ったという経験が経営者の方々にあるせいだろうと思うんですけれども、ちょっと出遅れている感じがします。ちょっと出遅れているというのは、実は韓国に比べてというのが僕の念頭にあるのです。韓国は四大財閥をはじめロッテまで含めて大挙してインドに進出してきているのです。すごいです。ラッキーゴールドスター(金星)だとか、サンスイだとか、現代だとか、ダウムはちょっとあれですけれども、白物電化製品は韓国がインドを席巻しているような感じです。
民はメリットベースでやっているから中国に比べれば出ているのが少ないから、ちょっと残念ですけれども、一番遅れているのが政だと思うんです。政界の方で、インド人と腹を割って話のできる政治家が何人いるのでしょうかという疑問があるのです。僕はぜひそういうコネクション、パイプをつくって、建前論だけじゃなくて、インドはもう七四年に核実験をやっているんだ。それが九八年までたって戦略核まで昇華するのは当然でしょうと。そういう中でインドは原則論として核をすでに持った五カ国だけが世界にどうのこうのと言うのはよくない。核を持てる実力のあるところは、持っているなら持っていると言うべきじゃないかということで、はっきり宣言したわけですけれども、そういう本音で話せる国と本音で話す政治家が出てきてもいいんじゃないかなあというふうに僕は感じています。
インドは、さっき日露戦争の話をしましたけれども、日本に対して秋波を送り続けてきているのです。ただ、送り方が不器用なもので、日本ではなかなかそれを感じないみたいなのですけれども、実は一九九一年に門戸を開放した時に、その当時、マンモハン・シンがこのドラフティングをアショカ・デサイという男と七年かけてやっているんです。その時に僕はマンモハン・シンに会って聞いたのでよ。そしたら実は日本に出てきてもらいたいというのを念頭に置いて、この門戸開放をやっているんだよ、ということを彼は言ってくれました。だけど、私の小さな声は会社でもどこでも取り上げてくれませんでした。ただ、ソニーさんがインドへ進出する時に、こちらへ出てきたインドの首相がソニーさんのどなたとお会いになったのか。あの時は盛田(昭夫)さんですかね。十五分間会っているはずなのです。その時にソニーさんのほうから、ソニーがもしインドへ出てくるんだったら一〇〇%で出るよと。それからもう一つ、カルカッタの眼鏡屋がソニーという商号を使っているけど、こういう知的所有権の問題について、インド政府がそれなりの措置を取ってくれないとソニーはインドへ行きませんよ、ということを言ったのに超法規的にインドは対応して、一年半以内にその条件を整えて、ソニーさんの進出を大歓迎するような格好になったわけですが、その時にインド側は条件をつけて、ソニーさんのほうに最新技術を持ってきてくれよ、ということを言ったと思います。これも秋波の一つで、その当時のアルワリア次官に僕は聞いたのです。なぜソニーにそういう特別措置をやったんだ、と言ったら、破顔一笑、アルワリアは、ソニーを入れたということはショーウインドー効果があるからだ、ということをはっきりきました。インド政府はそういう超法規的なこともやるのです。ただ、そのウインクを日本側はきちっと感じていなかったような気がします。
それからYKKがファスナーで向こうに出ようとした時に、YKKのファスナーというのは向こうの中小企業向けにリザーブされた業種なのですけれども、タロンに並ぶ世界のYKKが出てくるのであれば、特別にそれを認可しましょうということで、中小企業のほうを抑えて、YKKに進出の認可を与えています。また、日立さんが現地法人化をしようとした時に、何でそんな肝の小さいことを言うの。ホールディングカンパニーつくっちゃいなさい。そして日立がいろんな分野で全部投資ができるような格好の会社にしなさいよ、とインド側から言われて、日立はホールディングカンパニーの現地法人設立をやるのです。ただ、日立さんはまだそこまでいろんな分野に進出していませんけれども、ほかにそんな認可をもらった会社はないんです。それからジャイコという小さな会社があります。これは学生です。学生が一千万ぐらいの観光会社をベナーレスというところにつくろうと。それに対してインド政府は六億ルピーまでオーケーしたのです。好き放題やっていいよと。だからこの会社は将来、ベナーレスで大観光事業をやるとこまで発展できる可能性を持っている会社です。
それからラジブ・ガンジーがインド祭で日本に来た時にファーストトラックというのやって、日本側とインド側で何かもめ事が起きたら、そういう窓口を使って解決したらいいんじゃないですか、ということを提案して、それができたのです。ただ、日本側はこれを勘違いしまして、インド政府といろんな政策論をするところだと思っちゃったのです。ところが、これはそうじゃなくて、問題が起こったらそこへ行くと、千葉に昔できた〃すぐやる課〃みたいな格好で、すぐ取り上げて解決してくれるんですよ。僕はその理解をしていましたから、税金だとかなんとかで問題が起こるとすぐそこへ行ってやると、すぐその場で税務署長に電話をかけてくれて、この問題こういうふうに措置しないさいとやってくれる。そういうことをやってくれる窓口をつくってくれたのです。それを漏れ聞いた西独が日本だけにそういうのをつくるのはけしからんと言ってインド政府にねじ込んで、後から西独にもそういう窓口をインド側は嫌々ながらつくるのです。日本にいつもそういうふうに配慮しているのです。
それから小山五郎さんと森総理に対して勲章が与えられましたね。これは先ほど言った橋本さんと非常に対照的なのですが、橋本総理は総理を終えた後もいろんなセミナーだとかなんとかで呼ばれて、インドに行く機会があるのですが、橋本総理が行っても、インドのお役人だとか大臣、誰も会ってくれないんですよ、大使館がいくらやっても。これは中国に対して無償停止したのに対し、インドに対しては「サンクション」という言葉を使い、円クレ停止までやった橋本総理に対するインド側の一つの措置じゃないかなというふうな感じがします。インドは非常に思慮深く過去のことも分析してやっています。その裏には、インド側の調査が行き届いていまして、橋本総理がネパールびきだというのをインド側はちゃんと知っているのです。その辺のことをインド人は非常に正しくやっています。
それから三菱総研に中島正樹さんという方がいらっしゃいましたが、この方が要するに戦争というのが起こらなくなった時にどこかに息抜きをつくらなきゃいけないということで、グローバリズムということを永野重雄さんあたりと言いだしたわけです。世界的な大規模プロジェクトをいろんな国家を挙げてやって、そこで軍備に使うべき技術だとかなんとかを……ということで、例えばマレー半島に運河をつくるだとか、いろいろあって、その中の一つがヒマラヤの水をデカン高原に、というようなのがあったと思います。その話を中島正樹さんがインドに行った時にあるところでポロッとやったのです。それを聞いたインデラ・ガンジーが、それは素晴らしいアイデアだ。ぜひ一度、座を設けますのでインドへ来て講演をやってください、と言うのです。で、インデラ・ガンジーは死んじゃいました。その後、この言葉はラジブ・ガンジーに引き継がれて、中島正樹さんはインドの国賓として呼ばれて、アショカホテルに泊められて、インドのお役人を集めて講演会をやるのです。インドはそのぐらいに日本に対して配慮をしているのです。
先ほどちょっと言いかけましたが、チャンドラ・ボースを中心にしたインド国民軍というのがございまして、日本軍と一緒にインパールやニコバル・アンダマンに攻め入るわけです。インドにだいぶ迷惑かけるのですが、インド政府はもう恩讐の彼方です。このインド国民軍に参加したインド人の兵士に恩給が出るんですよ。それはもちろん英国軍の下でインド側で戦った兵隊に比べれば率は少ないにせよ、日本軍と一緒に戦ったインド人の兵隊さんに対しても手当てが出る配慮をしているのです。その当時の日本側についたチャンドラ・ボースもちゃんと英雄として国会に掲額されて、讃えられているのです。このくらい日本に対してインドはウインク、秋波を送り続けているのですが、日本はそれにこたえていないような気がするのです。
インドというのは一言で言えば多様性の国です。それで民主主義の国です。この前、大統領だったナラヤナンという方は不可触民出身の方です。大統領といえば元首ですよ。不可触民出身の人が元首になる。現在の大統領は回教徒です。インドでは一二%しかないマイノリティーの代表が大統領です。現在の首相のマンモハン・シンはシーク教徒です。人口の一%ぐらいしかいないのです。それが首相になっているのです。インド人は非常に不器用な面がありまして、日本人の扱い方を知らないのです。その点、中国人なんかは日本人の扱い方をよく知っているような気がします。インドはまたカレーの国です。それから非常におしゃべりです。皆さん数カ国語、あるいはインド国内では言語がいっぱいありますから幾つかの言語を操ります。こういうところが日本と全然違います。けれども、こんなに違うインド、これは日本でこの間、旭日大綬章をいただいたアスラニ元大使、外国人は珍しいのですけれども、この方が「サイコロジカル・ディスタンス(心理的な距離)」という言葉を使っていらっしゃいますけれども、インドと日本の間にはそういう心理的な距離があります。全然違う国だというふうに感じられる面があります。
ただ、共通点があります。その共通点は何かというと、これは僕、最近つくづく感じるのですが、インドと日本の共通点は木に竹を接ぐ能力を持っていた国だということです。日本の場合、江戸時代から明治、明治の天皇制からマッカーサー体制、自民党から村山(富市)政権、それでまた今の政権、こうみていますとずいぶんいろんなところで木に竹を接いでいるのですが、接いた時点で今、イラクやアフガンで起こったような暴動が起こって、日常生活が妨げられたことがあったでしょうか。ずっとスムーズに来ているのです。インドも英国からの独立、それからマハトマ・ガンジーのセルフ・リライアンスからインターディペンデンスへの百八十度転換、コングレスからBJP(インド人民党)への転換、BJPからコングレスに戻った時、全然混乱は起こっていない。国民の生活は乱されていないのです。木に竹を接ぐ能力を持った国だと言えます。先日、BJPAが負けた時にBJPの党首であるバジパイは何と言ったかといいますと、「BJPは選挙で負けたが、インドの民主主義が勝利した」と言ったのです。こんな国、世界でありますかね。一日もストが起こるわけではなし、騒動が起こるわけではなし、それだけの能力を持っている。そういう国がインドだと思います。
ゴールドマン・サックスによれば、二十一世紀はBRICsの時代だというふうに言われますが、その中でインドは独自の発展をしていくと思います。アメリカに影響を受けることはあっても和して同ぜずで、付和雷同なんかせずに自分の主義主張を通していく国だと思いますし、違ったいき方をしていく国だと思います。例えばの話、もしエーリアンが地球に来た時に、おそらく地球代表として主はアメリカでしょう。副が中国でしょう。だけど、地球文化の哲学的なことを論じられるのは、ローマ法王じゃなくて、僕はインド人じゃないかなというような気がするのです。その時、日本人はおそらく勝手口のほうから行って、「えー、電機関係でどっか壊れたとこがあったら修理しましょう」ぐらいのことしかできないのじゃないかというような気がするんですがね。
そんなインドと僕は長年温めてきた十大プロジェクトというのがあるのです。このうち幾つかはすでに日本政府が手がけているものなのですが、一番が、先ほどグローバリズムで言いましたけれども、ヒマラヤの水をデカンへ。これは悲願です。ヒマラヤの雪解け水というか、氷河のやつをデカン高原へ持っていきますと、まだまだインドには耕作可能な土地がたくさんありますので、食物の量産ができる。インドが今、中国に冷たい目に遭わないでいる一つの理由は、インドには余剰穀物があるからなのです。数千万トンの余剰が毎年出るのです。中国はある意味では飢えている部分がございますので、いざとなった時にシカゴマーケットからだけじゃなくて、インドからグレーンを入れたいという下心がありますので、中国はインドと対立しないという世界的な図式になっていると思います。
二番目は、アメリカとインドが軍事演習もやっているくらいですから、日本も防衛関係でインドともっともっと協力し、例えばインドは赤道近いところにあるわけですから、宇宙開発、宇宙船の打ち上げ等もインドと協力してやっていったらいいのじゃないかなと。それから最近、マラッカ海峡の海賊の話も出ていますけれども、インド海軍と日本の海上自衛隊はもう実際に協力して、いろんな作業をやっているのです。こういうところをもっと進めていっていいのじゃないかなと思います。
三番目として、ベンガル湾の原油および天然ガスの探鉱と開発です。これはぜひやっていただきたいなあと思います。
四番目は、マラッカ海峡の平和開発。変な言い方ですが、言わんとするところは、ニコバル・アンダマン諸島をインドの軍事基地化するということじゃなくて、あそこに平和のシャングリラをつくろうじゃないかと。工業開発もいい、農業開発もいい、観光開発もいい、とにかく平和目的でニコバル・アンダマンを開発して、インドと日本が協力して、シンガポールやマレーシアを引き込めばマラッカ海峡の緊張が一挙に弱まる。これは素晴らしいプロジェクトになるのじゃないかなというような気がします。そういうところで日本は貢献すべきじゃないかなというような気がします。
五番目は、インドのソフト開発能力を利用して、反対はあると思うのですが、世界最大のデータバンクをつくる。何のデータバンクかというと二十桁の地球人総背番号制をつくって、これにICを組み込んだIDカートを持てばテロが一切なくなるのですよ。どこで誰が何をしているということが把握できるのです。プライバシーがどうのこうのなんていう議論よりも、テロのがなくなるほうが先だというような気が僕はします。こういうことも考えてみたらいいのじゃないかなと。
それから太陽エネルギーをはじめとするクリーンエネルギーの開発について日印というのは協力すべきだと思うし、七番目、バイオテクノロジーの分野でもそうです。例えば日本ですでに消えつつある筑波にある蚕糸研究所なんかをインドに移しちゃって、まだまだ絹が珍重されるインドで、この絹の技術を引き継いでもらうなんていうことも僕は素晴らしいプロジェクトじゃないかなと思います。
先ほどのマラッカ海峡の開発の中に地震の研究なんていうのも入るかと思いますけれども、それは次の八番の海岸線の開発です。インドはいろんな理由がございまして、海岸線の開発が非常に遅れています。これはちょっと説明しますと、インドは北西のほうからアーリア人が入ってきまして、ヒンドゥー教というバラモン教徒をつくりました。したがって、その先祖たちが入ってきた方向が尊い方角にあたるわけです。だからヒマラヤは「神の座」と言われます。その対極にある海は悪魔の住むところだと。その海の中に浮かんだセイロン島は悪魔の島だということになっているのです。そのセイロン島には『ラーマーヤナ』でおなじみのラーマ王子が鬼退治に行くのです。だからいまだにインドの神話ではセイロン島は鬼が住む島になっているのです。海は悪魔の住むところだから、北西のほうから入ってきた海を見たことのないような人は海洋開発に意をそそがなかったのです。だから優秀な立派な家柄の人たちはあまり海のことに関心がなかった。したがって、海洋開発が遅れているというような事情がありまして、そういう意味では日本は海岸線が全部あるわけですから、こういう技術をインドに持っていくというのは非常にいいことじゃないかなということがあります。
それからガンジス川が非常に汚れているのですが、日本の皇居のお堀が透き通ってきたのです。中途半端に透き通っているのですが、あれ以上透き通らせると底にある汚いものが見えちゃうから、あそこで止めてあるという説があるのです。そのくらい日本の水浄化システムの開発は進んでいるのです。これをガンジス川に持っていって、ガンジス川をまた復活させるというのは一つのいいことじゃないかなと思います。
最後が、アジアの共通点というのを考えると何かといいますと、残念ながらアジア各国の共通点は脱亜なのです。アジアから脱出しようと。〃脱亜入欧〃までは言いませんが、脱亜ということを目指している。これがアジアの国共通なのです。これは非常に悲しいことなのですよ。二十世紀の三大イベントというのがあります。オリンピックであり、博覧会であり、ノーベル賞。これはみんな手垢が付いている。今、愛知は頑張っていますけれども、二十一世紀は二十一世紀のイベントがほしいんです。この二十一世紀のイベントの中には、アジア発信のイベントもあっていいのじゃないかなと思います。オリンピックでアジアの国がなかなか勝てないのはなぜか。これはオリンピック種目はほとんどがヨーロッパの種目なのです。テコンドーだとか、柔道の種目を持っていけば、アジアの国だって勝てるわけです。そういうふうにアジア発信のイベントもあっていいのじゃないか。そのためにはアジアの共通深層研究をやってアジアをずっと掘り下げて、アジアには何か共通意識はないのだろうかと。インド、日本、あるいは中国、そういうところを全部引っ張り込んでアジアの共同認識の研究というのをやって、三年かかるかもしれない、五年かかるかもしれないけれども、それでアジアにこういう共通のものがある。そこから何かを世界に対して発信できるようなことをやったらどうかなという気がします。
もうだいぶお喋りしましたが、実は日本に紹介された仏教の中で、かなり重要なお経の一つに法華経というのがあります。法華経の中に仏陀の生まれたインドで仏教は廃れて、それが東の国で栄えて、それがもう一度インドへ戻るという釈迦の予言が書いてあると。こう言うのです。私が法華経を読んでもようわからんのですが、偉い坊さんが読むとそういうふうに読めるらしいのです。それでいろんな日本の宗教の宗派の方々がインドでもってもう一度、仏教を盛んにしようと。今、インドは仏教徒は六百万か八百万ぐらいしかいません。マイノリティーです。ということで一生懸命、活動しておりますけれども、今、インドへ日本の仏教を持っていくということは、南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏をインド人に唱えさせることではないという気がするのです。日本がここまで来れたのは、インドの仏教をはじめとするいろんな影響を世界の国々から受けて今の日本がある。その中で仏教のやった役割というのは非常に大きなものがある。その結果、今の日本の現状があるということで、今のこの日本の近代技術をインドへ持っていってやることが、仏教がもう一度インドに行くということにほかならないのじゃないかと僕は最近感じるのです。そういうようなことを最後に言って、きょうの私の話は終えたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
インド開発発展の可能性
技術同友会卓話 2005/2/15
自己紹介
日本人の苗字では清という苗字は、珍名まではいかないまでも、わりあい少ない苗字でございます。
バイオデータのほうに入れてございますが、昭和13年生まれ。いまの坂井さんと同い年でございます。三菱商事におりまして鉄鋼輸出、日本の鉄の輸出をずうっと手掛けておりました。
実は外語のインド語に入学しまして、在学中に一度、自分の選んだ語学が実際どんなところで使われているか見てみたいなということで、1961年、友人3人と数ヵ月インドを旅しました。その時、いろんな方にお世話になって、インドを一周回ってカルカッタまで帰ってきました時に持った印象は、『この国は20年住まないとわからないんじゃないかな』という素直な印象でした。
三菱商事に入社
それで何とかインドに関係あるところに就職したいなということで、たまたま縁あって三菱商事に入りまして、そのへんの話をするとくどくなりますからやめますが、その当時はまだ電話なんかございません。内定の電報が来るんですね。翌日、「内定ありがとうございました。ただし私のほうも条件があります。5年以内にインドに出してくれなかったら三菱商事辞めますけれども、それでよろしいでしょうか」と人事部長に掛け合ったんですね。そうしたら人事部長は「いいでしょう」と。本気でそう思ったのか知りませんけれど
も、とにかく入りまして、4年目にインド・カルカッタ駐在ということで出していただきまして、インドに都合、三菱商事から3回にわたり16年駐在しました。
日印調査委員会事務局長経てJICA専門家
その後、三菱商事を辞めて、大来三郎さんが昔やっていた日印調査委員会という会がございますが、そこの事務局長をやり、そのあとでJICAの専門家として対印投資促進ということで、インドの商工会議所に3年おりまして、足掛け19年インドにおったことになります。
ですから最初20年経たないとわからないだろうなといって19年ですから、まだ完全にインドをわかってない。あと1年、どうにかして駐在することができないかなということで、いま盛んに工作をしておりまして、できれば今年の中頃、三井金属さんの仕事で向こうへ1年くらい滞在したいなと。そうすると満願ということで、多少インドのことも言えるようになるんじゃないかと思いますので、今日は至らないところがあるかと思いますけれども、よろしくお願いします。
自分探し
先ほど私の清という名前について申し上げましたが、これもまったくインドに縁のない話ではございませんで、実は私の先祖は鎌倉時代のちょっと上まで遡れるのですが、大内という名前だったらしいんですね。頼朝に追われた日蓮が、富士川をずうっと遡って逃げてまいりまして、その当時、私の先祖は、いまの富士宮市に編入されております芝川村というところに住んでおりまして、日蓮をかくまったんです。そうすると頼朝のほうから、その地方の豪族に対して、日蓮をかくまうとかなんとかいうことがあっちゃいかんぞという指令が来ていたんでしょうね。先祖が呼ばれまして、「おまえ、日蓮をかくまってるんだろう。」「いや、かくまっていない。」と押し問答になったんです。
その時、さすが私の先祖だと思うのですが、「かくまってない証拠をご覧にいれる」といって、その豪族からもらっていた大内という名前を返上しまして、身の潔白をあらわす清というのを名乗り直したという大詐欺師でございまして、そのせいで私はずっとおしゃべりで、学生時代、英語で「SAY」と綴っておりまして、死んだらお墓に「SAID」と書いて、言い残すことはないというふうにしたいなという、そんな曰くのあった名前でございます。ですから鎌倉時代にできた姓で、清少納言とかそういうものとはまったく関係ございませんで、新しい姓ですね。
静岡県にそういう清というのがありまして、もう一つ九州の指宿のほうにも清というのがあるんです。元西鉄のピッチャーで清というのがおりましたが、これと関係があるかどうかは、そこまでまだ調べが行き届いておりませんで、そんな私ですから、完全な日本人です。
高校の世界史の中でのインド
実はインドと日本ということで、高校の世界史でだいたい1年の中で45分から50分かけて、インドのことを先生が教えるという時間配分になっているという話を、高校の先生から聞いたことがございます。
こんなこと皆さんすでにご存じのことだと思いますが、ちょっとインドのことを思い出していただくために繰り返しますが、この45分の中で、アーリア人が北の西のほうから入ってきて、ヒンドゥ教というかバラモン教というのをつくって、バラモン教には四姓制度というのがあって、僧侶階級、武士階級それから商人階級、奴隷階級、その下に不可触民――その当時は不可触賎民という言葉を使っていましたが――というのがあってという話が行われるわけです。カースト制度があってというようなことを言われるんですね。
なぜ日本の高校でそれだけ詳しくインドのことを、カースト制度まで教えるかといいますと、実は日本には仏教というのがあるわけですが、仏教はインドで生まれました。しかもそれはヒンドゥ教のアンチテーゼとして生まれてきたので、その仏教を説くためには、アンチテーゼの元になるバラモン教を教えておかないと、仏教の話に入れないということで、高校でカーストのことまで教えるというのが日本です。
それで最後は英国から独立してということで、インドの歴史は終わるわけですが、この話だけしていても一日くらいたっちゃいますので、それはそこでやめますが、それで仏教が日本へ入ってきたんです。
神道と仏教
その当時の日本では神道があったわけです。神道というのは、皆さんご存じだと思いますが、始まりの宗教なんです。ものの始まりについていろいろ哲学的に、現象的に説明しようというのが神道であって、終わりに関してその当時の日本はどうしていいかわからなかったんです。だから神道で終わりは、死骸は不浄なものということで、目に見えないところへ持っていって、黄泉の国へ捨ててくるというような感じだったんですね。
そこへ仏教が入ってきて、仏教が「終わり」ということを日本人に教えて、日本人はいたく感激したわけです。終わって来世があるなんて、すばらしい科学を持ってきてくれた。科学の一端として、そういう仏教思想が日本に入ってきて、なるほど、これで始まりと終わりがはっきりしたというので、日本人は始まりは神道、終わりは仏教で処理するような格好になっていったんですな。
日本人宗教
その間をつなぐのが儒教というようなものがあって、さらにこれを冗談めかして言いますと、楽しみのためにはキリスト教というのがあって、やれクリスマスだ。バレンタインだ。カーニバルだと。さらにそれをいくと戦いのためには回教。日本人くらい宗教心に富んだ人達はいないのではないか。こうインド人に説明すると納得してくれるんですが、インド人に対して「日本人は無宗教である」というとびっくりします。「えっ」とびっくりして、「How」というんですね。「Why」じゃないんです。
インド人にとっての宗教
なぜHowかというと、インドでは、インドに住んでいるあらゆる人がどこかの宗教に属しているんです。その宗教に基づいて日常生活が成立しているわけです、朝起きて夜寝るまで。あるいは生まれて死ぬまで宗教に依るのです。インドにある宗教はヒンドゥ教、先ほどのバラモン教がヒンドゥ教になりました。回教がございます。回教徒人口は12%くらいおります。そのほかにヒンドゥの一派から分かれたシーク教徒。ターバンをかぶった人達です。それからキリスト教があります。キリスト教も古いユダヤ教がずうっと流れてケララのほうに住み着いた非常に古いユダヤ教から、新しいクリスチャンから新教、あらゆるキリスト教があります。そのほかに仏教徒もいます。
そういうふうにあらゆる宗教がインドにあるんですが、それのどこかに属しているんですね。だから宗教に属さないで、どうやって生活ができるの?ということでHow、いかに生きていくんだという質問になってインド人から返ってきます。このへんが日本人の宗教観とインド人の宗教観のものすごく違うところです。
三大社会主義国
こっちの話もすごく面白いんですけれども、これも時間がかかりすぎますので、こっちのほうへ置いときまして、実は世界三大社会主義国という時代がありました。それはソ連と中国とインド。これが人口的にも非常に大きくて、社会主義国といわれるレッテルが張られたわけです。
その当時、1980年代ですけれども、ゴルバチョフだとか鄧小平だとかインディラ・ガンジーだとかいうすごく優れた人が指導者となって、三大社会主義国が世界で存在していたわけです。こういう国の独裁者に近い人達が外国へ旅行すると、分刻みでスケジュールがずうっと行って、ピシッと終わる。彼らが国内で何かやる時も、ピシッーといくんです。
この人達は、それだけのトップに立つ人ですから頭がいいんですね。よく観察してみると、外国では自分だけじゃなくてほかの人も、一般の人もピシッとやっているようだと。だけど自分の国に帰ってきてみると、自分はピシッといってるけれども、ほかを見ると、どうもそうではなさそうだ。『一将功成って万骨枯る』ような格好で国が運営されている。これはおかしいぞと、さすがに頭のいい方々ですから、いまの隣の隣の国の人とちょっと違いまして、そのへんに気がついたんですね。
それで時期をだいたい同じゅうして、この3人が言い出した。ゴルバチョフが言い出したのは『ペレストロイカ』鄧小平が言い出したのは『外国文化の学習』インディラ・ガンジーが言い出したのは『最新技術の導入』ということを言い出したんです。それぞれがこれをやらないと、自分の国は日本やアメリカみたいに、あるいはヨーロッパの国みたいに、万民が幸せになれないんじゃないかということを感じたわけです。
例えば私、三菱商事の駐在員をして向こうへ行って、副社長がインドへ来るなんていうことになりますと、飛行場の出迎え、飛行場の中へ入る許可を特別にもらって、通関がスムーズに行くように。車はいつも陰に1台空の車を走らせといて、何か事故があったらそれにくっ付けるとか、お腹が減ったといったら、すぐおむすびができるように、奥さん方に待機してもらうとかいう大変な努力して、副社長のスケジュールをやるわけです。社長までは来ないんです、なかなか。そうすると副社長は、なかなかインドもやるね、という格好で帰るわけですけれども、そのあと万骨枯るで、引っ繰り返る駐在員とか引っ繰り返る駐在員の奥さんとかいっぱい出てくるわけです。
そういうことをしないためには何かしなきゃいけないということで、インディラ・ガンジーは、最新技術を導入すればインドもよくなるんじゃないか。ゴルバチョフは国の再編成、見直しをすればということを考え、鄧小平は外国の技術だけじゃなくて、その背景にある文化を知らないと、外国の要求を満たすような輸出製品はできないよと。それには外国文化を学習しなきゃいかんよということをやったわけです。
その結果、ソ連は見事に崩壊してロシアになっちゃったわけですね。見直したら、やっぱりソ連というシステムはよくなかったとわかったんでしょうね。その結果そうなっちゃった。
鄧小平の言う外国文化の学習というのはどういうことか。年をとってきますと、文化の学習というのは、映画を観たり本を読んだり情報誌を見たりして、ああ、これが外国の文化というものか、ということになるわけですけれども、若者達にとっては学習ということはキャリアウトなんですね。実際ディスコで踊って民主主義の投票をやってということで、天安門まで走っちゃった。
唯一インドだけが近代最新技術の導入ということで、インディラ・ガンジーが生きている間はできませんでしたけれども、1991年に門戸開放いたしまして、それまで自立、自給自足、セルフリライアンスということを言っていましたマハトマ・ガンジーの思想から180度転換しまして、国際相互依存、インターディペンデンスというふうに180度国の政策の転換をやったんです。
それが三大社会主義国の背景にあるということを、まず頭に入れていただきたいというふうに考えます。
インドのIT
アメリカのカーネギー・メロン・ユニバーシティというのは、すでに皆さんご存じだと思いますが、そこに私の名前、SEI――Software Engineering Instituteという機関がございます。アメリカの国防省が金を出してそのインスティテュートをカーネギー・メロン・ユニバーシティの中につくるんですが、ここでやっていることは、世界のソフトウエア開発会社のランキングをやっているんです。
いろんな会社が申請して、ランクがレベル1からレベル5までありまして、レベル5がいちばん高いんです。米国の国防関係組織がのソフトウエアを発注する際に、関連企業あるいは国防関係の工場が、どの企業にどのへんのソフトウエアを頼んだらいいかというのをわかるために、1、2、3、4、5というレベル5まである。2002年の4月現在ですけれども、世界全体で69社、レベル5にランクされています。そのうちの約7割がインドの会社です。アメリカの会社よりもインドの会社のほうが多いんですよ、そこに出ているのが。
これが2004年、去年の5月の数字だと、75社がインドの会社なんです。中国の会社が1社入っています。日本の会社はどこも入っていません。差し支えがあったらごめんなさい。大きな顔をしている東芝だとか富士通だとかNECだとか何とかかんとかというのは全部入っていません。どこで入っているかというと、去年の暮れ私、インターネットでいろいろ調べてみたんですが、レベル3の会社が散見される。その中の一つが日立さんであり、オムロンさんなんですね。
森首相の時に日本のコンピュータ会社が、総理がコンピュータについてなんだかんだ言うから、一生懸命やらなきゃいかんということで、アメリカのコンサルタント会社にある日本の大手さんが、自分の会社どのへんのレベルにあるか診断してくれと頼んだ。
そうしたらその会社が来て、膨大な金と時間をかけてだと思いますけれども、調査して判定した結果、「おたくのはレベル2だ」といわれたんですね。日本のその大手会社はレベル2じゃ、総理の意向にかなわず言っているあれで大変だからといって、これをレベル3に引き上げるにはどのくらい時間がかかるかと聞いたら、そのコンサルタント会社は、「私が引き受ければ48ヵ月でやりましょう」と。4年ですよ。レベル2から3に上げるのに。それでその会社は慌てて、インドのコンサルタント会社に頼んだ。そうしたら「私だったら1年半くらいでワンランク上げることは可能ですよ」という返答があった。その後、その会社はどうなったか知りませんけれども、とにかく日本のコンピュータのソフトウエア開発は、世界の中でも相当遅れています。レベル5なんて行ってないんですね。レベル5というのは、定義を見ればわかりますけれども、要するに問題点の指摘をしてソリューションができる会社なんです。
日本の大手の会社も、インドのソフトウエア技術開発能力に関して、注目は始めています。それで向うに支店だとか学校だとか、組織をつくってやっている会社も出てきていますが、まだまだアメリカなんかと違うんですね。
アメリカのNASAの職員の30%以上が、インド系の職員だといわれています。IBM、マイクロソフト、みんなそうです。だいたい2割から3割くらいがインド人です。だからアメリカのIT産業はインド人なしでは、もう動かなくなってきているんです。
その証拠があります。実は1974年にインドは核実験をしました。その時の核実験装置は、日本の小学校の教室くらいの大きな装置だったといわれています。それが、1998年の5月にインドは核実験をまたやりまた。その時はミサイルの弾頭に付くようなコンパクトな核の実験をやったというふうに言われています。
ここのところで、ちょっと関係ないことかもしれませんが、日本にはすごく記憶力のいい橋本総理という方がその当時、総理大臣をやっておりまして、インドが核実験をやりました。途端にその日のうちに彼は、中国が核実験をやった時の例をちゃんと覚えておりまして、非常に記憶力のいい方ですから、あの時、無償援助を停止したということを明確に覚えていて、すぐその日のうちに「インドに対する無償援助は中止」というふうに言ったんですね。
その時、日本の外交官も世界のマスコミも、大ボケをやっちゃったんです。インドが核実験をやったと発表した時に、誰も「これで終わりですか」ということを聞かなかった。誰一人聞かなかったんです。インドは予定どおり粛々と二日後にもう1回実験をやった。橋本さん1回目やった時に、「無償援助停止」といっちゃったんですね。二日後にまたやられたら、「円クレ停止」といわざるを得ない羽目になっちゃった。
そのあとすぐG7があって、橋本さんが「サンクション」という言葉をG7で言ったら、ほかのG6ヵ国から笑われたんです。それで橋本さんが言った「サンクション」という言葉だけが独り歩きして、橋本総理のインドでの評判はガタ落ちになりました。
本当は橋本さん総理大臣らしく、やったすぐ「無償停止」じゃなくて、1週間くらい考えた振りをして、2回目が終わったあとに「無償停止」といえばよかったんですが、あまりに記憶力がよすぎたんでしょうね。言っちゃった。最近はどうも記憶力が落ちているみたいですけれども、そんなことがあったりしました。
で、アメリカがインドの核実験をやったあとの対応がすごいんですよ。タルボットという長官が、そのあとでインドの外務大臣になったジャスワント・シンという男と、1年半にわたって8回会談をしているんです。1998年の5月から1年半かけて8回。ほぼ2ヵ月に1回の割合で、本当に真剣に世界情勢、世界の核の問題、あらゆる問題について、アメリカとインドは話合うんですね。その結果、両者一応認め合うような格好になって、それ以降、アメリカは国際外交の場で、インドを無視してはできないところまで行ったんです。
なぜそうなったかというと、タルボット長官も、いまのアメリカ人の政府筋も、インドがNASAをはじめとするコンピュータ産業にものすごく深く食い込んでいて、ちょうどアメリカの金融界がユダヤ人なしでは動かないと同じように、アメリカのコンピュータ業界はインド人なしには動かない状況になってきちゃっているんです。いまアメリカにいるインド人の数は、150万人とも300万人とも言われています。300万人を超えているという議論もあります。
実はインドから海外に行っているインド人の数、どのくらいいるかといいますと、2000万人いるそうです。世界110ヵ国にインド人は行っているそうです。そのうちアメリカが150万から300万いる。
アメリカに行っているインド人は三つに分けられます。一つは、アメリカで勉強してコンピュータ以外の部門、物理学もありましょうし、特に医学、要するにドクターの称号を取るのは、アメリカではいまインド人の比率がいちばん高いそうです。アメリカ人も入れてですよ。そのくらいインド人はアメリカで勉強しているんです。英語を勉強するためにアメリカへ行こうなんていう不届きな日本人とぜんぜん違うんですよ。
インドのカレッジでは共通試験があります。全部序列がつきます。点数がつきます。そのカレッジ卒業の成績と、カレッジの校長の推薦状があると、アメリカの大学は彼が行く前から、ボストンだったりマサチューセッツ、カリフォルニア、ロサンゼルス、そういうところの大学が、あなたの奨学金は3000ドルです、5000ドルですと、前もって大学がコミットしてくれるんです。だからインド人は国を離れる前に、自分がアメリカの大学へ行った場合、奨学金を幾らもらえるかわかっていてアメリカへ留学するんです。それで一心不乱に勉強するんですよ。
要するにパチンコをやったり、ディスコへ行ったり、そんな遊びの精神なんかまったく歯牙にもかけないで、そういう低級な楽しみにインド人は興味を示さないんです。知的なものに異常な関心を持つんですね。
アレキサンダー大王とインド
話は飛びますが、知的なものにインド人は関心を持つというのに、西洋人でいちばん感心したのはアレキサンダー大王なんです。いまアレキサンダー大王、200億かけた映画をやっていますけれども、アレキサンダー大王がマケドニアからインドのほうへと来るわけです。最初、出始め、何人だか知りません。5000人か1万人の軍隊か知りませんが、マケドニアからずうっとインドのあたりまでは、完全に不毛とは言いませんが、だいたいちょっと小高いところへ上がれば、一望千里で向うが見えるんですよね。
あの当時はみんな都市国家ですから、先を見ると煙が何本上がっているから、だいたい人はこのくらいしかいないだろうというようなところで、ずうっと行くと、そこの都市国家の王様は、攻められて滅ぼされちゃ大変だということで恭順の意を表して、自分の娘といって娘をアレキサンダー大王に捧げて、この国は大王の名前をいただいてシカンドラバードにしますとか、シカンドラにしますとか、アレキサンドリアにしますとか、国の名前を全部変えちゃうんです。それで恭順の意をあらわして、ワーッといってアレキサンダー大王は1週間か一月そこへ滞在するわけです。捧げた女は、まあ今日は女性がいませんから、そういう言葉を使っちゃいますけれども、自分の娘と称する奴隷の娘かもしれないのを、アレキサンダー大王にやるわけですな。
アレキサンダー大王はそういうふうにやりながら、だんだん軍隊が増えていって、インダス川のほとりまでくるんです。インダス川のほとりまで来て、びっくりするんです。陰がある。ヒルがいる。樹の陰にはどんな動物がいるかわからない。一望千里不毛のところからジャングルのところへ来て、気味悪くて入れないんですね。谷崎潤一郎じゃないけれども、陰のある世界というのは、あんまり歓迎できなかったんでしょうね。
それでインダス川のほとりで、インドの七つの国から7人の王を集めて、「インドの地はインドの王達に任す」といって、彼は帰ることにするんです。帰る時に、陸路を帰ると便利なんですよね。その当時、軍隊が最終的に何万人になったか、何十万人になったか知りませんが、ぞろぞろ帰ればマケドニアに帰れるはずなんですが、ずうっと征服した都市国家があるわけです。来る時は1週間か一月でよかったけれども、そこにお妃がいるわけですよ、1ヵ所1ヵ所に。帰りに寄って2年3年といったら、一生かかってもマケドニアへ帰れないということもあっただろうと思う。それで海路帰ることになる。
海路帰ることになりますと、船に乗るのは人数限られますから、全部帰れないです、何十万なんて。せいぜい数千人か数万人。数万人、船で帰るって大変ですよね。そうするとインドに住み着いちゃった人がいるんですね。
しかもアレキサンダー大王はそこでびっくりしたのは、自分は戦って征服するということしか考えてなかった。ところがインドへ来て、インドの王達と話をして、いろいろインドのことを聞いてみると、インドでは宇宙と人間の関係を考えているという人達がいる。ヒンドゥ教の僧侶達にびっくりしたんです。宇宙の本質と自我とを合一させる梵我一如なんていう思想をやっているやつがいる、とびっくりしちゃった。そういう知的なことは考えたことがなかった。それでインドの坊主を7人だか10人連れて帰るんです。その分、船は人数が乗れなくなるんです。そうすると残っちゃう人たちが出てくる。
それでインドにはいまだに、その当時残った人が住み着いちゃって、ヒンドゥ教徒に改信して、インドに住んでいる人達がいるんです。マンガロールという港がボンベイのずっと南のほう、ケララに近いところにございますが、そこから数百キロ山奥側に入ったところにクールグという地域がございまして、そこに住んでいる人はクールギというんですが、これが「おれ達はアレキサンダー大王の末裔である」ということで、いまでも住んでいる。ヒンドゥ教徒です。顔はギリシャ人みたいな顔をしています。彼らはマケドニアからずうっと来て、牛肉を食べる習慣がずっとありましたから、いまだに牛肉を食べてます。
したがってヒンドゥ教徒は牛を食わない。インド人は牛を食わないなんていうのはとんでもないことで、インドではキリスト教徒、回教徒、これは牛を堂々と食います。ヒンドゥ教徒の中にも、牛を食う人達もいます。だから安易にインド人は牛を食わないということを信じちゃいけないなというような気がします。
アレキサンダー大王がすごく感心したのは、知的なこと、宇宙の本質と自我とを合一させることによって、なんていうことを考える人がいるというのにびっくりした。インド人はその当時から、そういう知的なことが非常に得意だったんですね。
それがゼロの発見にもつながりますし、それから中国人みたいに時間の流れというものを書いてというのじゃなくて、時間というものは本質的なものじゃないというようことで、インドでは時間というのは不変でずうっと流れていくのだから、これをあまり重きを置いてもしようがないということで、クロノジカルに時間を述べた歴史的な書物がないんです。これが中国とインドのものすごい大きな違いです。
中国の場合は、何年の何月何日に誰が何をしたということを、歴史を全部書いて残しておくんですね。国書というのができて、代々の皇帝がそういう専門家をつくって残しておくんですが、インドではそういうことはないんですね。要するに宇宙の本質と自分とをどうのこうのというような考え方のほうに行ったのがインドで、同じ四大文明の発祥国あれで
もずいぶん違うなというような気がします。
先ほどのちょっと横のほうの話の続きですけれども、クールグに住んでいるクールギという人達は、いまだにインドの軍人だとか銀行家の中にたくさんいます。非常に信用がある人達です。彼らはいまだにアレキサンダー大王の末裔であるということを誇りに思っていますが、私に言わせれば、「アレキサンダー大王は帰ったんだ。その重要な家来達、親戚も一緒に船で帰った。その下の部下の主だったのも帰っただろう。譜代はみんな帰っている。外様あるいはその家来の家来の召使くらいの末裔が、いま残っているおまえだろう」と、こうインド人に嫌味を言うんですけれども、そういう人達もインドに住んでいます。
インドの多様性と周辺への影響
だからインドというのは、そういうふうに非常にバラエティがあります。先ほどもちょっと言いましたけれども、ユダヤ教の人達がいまだに住んでいるんです。それも新しく入ってきた人達じゃないんです。ずうっと昔に流れ流れてインドに着いた人達が残っているんですね。
そういう意味では日本なんかもインドの影響を受けているんですよ。いちばん受けているのがはっきりしているのは桃太郎の話です。桃太郎というのは、岡山県出身の人がいたら怒るかもしれませんけれども、あれはラーマーヤナの焼きなおしなんです。インドでは困ったことに、地名、どこで何が起こったかという、「どこ」はわかっているんです。だけど「いつ」というのがわかってない。ラーマ王子が生まれた場所もわかっている。どこで猿と一緒になったかというのもわかっている。鬼が島がどこだというのもわかっている。鬼が島はセイロン島なんですね。セイロン島へとラーマ王子と猿が攻め入って、悪魔を滅ぼすんです。
その話をしても1時間くらい必要になるから簡単に言いますが、その時に猿がラーマ王子と一緒になって攻め入って、焼いちゃうんですね。終わったあと猿がこう顔をやったら、猿の顔が黒くなったということで、黒い顔をした猿というのは神のお使いであると、インドでは非常に珍重されているんです。日本猿みたいに赤いやつはたいしたことはないんだけれども、ハヌマーンという黒いやつが非常に崇拝されたりしているんですが、それがセイロン島、鬼が島、そのあたりからずうっと流れ流れて、フィリピン諸島あたりまでインド人は進出しているんですね。タミルナドのいまのマドラス中心の人達が、シュリランカだとかシンガポール、マレーシアにいっぱい進出していると同じように、昔から海岸伝いで、あっちのほうの諸島に行っている。それが台風かなんかで紀伊半島などに流れ着いた人達が、先祖の話として、要するに「昔むかし、あるところに」というような格好で桃太郎が日本へとくっ付いたというようなのが、真相じゃなかろうかなと私は思います。
さらにこれは日本史のほうで、僕らはわりあい知らないんですが、高校のさっきの45分間の歴史の中で、やればいいのに教えてくれないんですけれども、聖武天皇が大きな大仏をつくって、私はいま国分寺に住んでいますが、全国に国分寺をつくりまして、大仏の開眼供養をやろうと思ったら、日本に大仏の開眼供養というか、入魂式を仕切ることができるようなMC、Master of Ceremonyがいなかったんです。それで聖武天皇しようがないから、「中国から誰か偉い坊主呼んで来い」といって、中国へ坊主を呼びにやらせるんです。
中国へ行きますと、「なに、倭の国?倭の国の儀式、MC。そんなのはご免だよ。そんなところへ行ったってしようがないよ」というんで、中国の坊主誰も興味示さないんですよ。そこのところへインド人の仏教の坊主がいるんですな。これ、坊主の名前すら残ってないんですよ。菩提僊那というんですよ。要するに仏教徒ということしか残ってない。そのインド人を、その当時誰だか知らないけど、日本人がそれを日本へ連れ帰って、大仏の開眼供養をやるんです。
めでたく大仏は入魂式を終わりまして、全国の国分寺も威信が置かれるようになって、開眼供養をやったインドの菩提僊那というのは、中国へ帰っても、また中国の坊主の足洗ったり飯つくったり、そんなのやるよりも、こうやって厚遇してくれる日本にいたほうがいいなということで、日本へ住み着いちゃうんですな。この人が奈良五山の梵学の祖なんです。この人がサンスクリットを日本へ教えるんですよ。それの教えが脈々脈々と続いて明治まで来るんです。
アイウエオの採用
で、明治時代に日本の当時の偉いさんが西洋へ行って、法律だとかなんとかいろんなことを勉強してきます。その中で、西洋の言葉にはグラマーというものがある。日本もグラマーをつくらなきゃいかんだろうということで、日本文法をつくろうと。その基になるのは音韻表じゃなかろうか。英語のアルファベットを入れてもどうもうまくいかん。いろは四十八じゃ、ちょっとこれは……、ということで思いついたのが五十音なんです。
私、外語のインド語に入りまして、ヒンディ語の授業でいちばん最初にびっくりした。土井教授というとんでもないできる教授がいまして、いちばん最初、黒板に梵字を書くわけです。僕に言わせれば梵字ですね。ヒンディ文字を。「これは、ア・アー、イ・イー、ウ・ウー、エ・アイ、オ・オゥ」というふうに読むと。1時間目それだけなんです。次の週は、それでいきなり読めというんですよ。要するに自分で勉強しろ。
何のことはない。ヒンディ語というのは、アイウエオ順なんです。いや、そうじゃないんです。日本のアイウエオというのは、サンスクリット、ヒンディをそのまま写したものなんです。アの次にアーという長母音は来ますけれども、長母音を抜かすとアイウエオなんです。アのあとにもう一つ母音。日本では母音として認められませんが、サンスクリットの「リ」というのが母音としてインド語にはありますが、これを抜かしますと、アイウエオの次に来るのはカキクケコなんです。インド語の辞書がですよ。カキクケコのあとに来るのは、やはり向こうは音韻学が進んでいますから、同じ系列のガギグゲゴが来るんです。これは嘘じゃないんですよ。アイウエオって、そのままインド語なんです。
これが日本人は、五十音は日本の発明だと大勘違いをしているんですね。そうじゃないんです。インド語から持ってきた。しかもそれは大仏開眼をやった菩提僊那という男に端を発した梵学が影響を与えて、明治維新に五十音となって、こうなっている。
インドというのはそういうものを日本に与えているんですよ。仏教だけじゃないんです。仏教だけじゃないというのは、差し支えがあったらごめんなさい。神道で祝詞というのがありますが、祝詞をあげる時に神主が最初、何と言います?地鎮祭でも何でもいいですわ。「オウーム」というんです。オウム真理教のオウムです。これは神を呼び出すヒンドゥの儀式の最初の音なんです。
日本の当時の神道は、神に呼び掛ける音がなかった。どうしていいかわからない。お辞儀をして拍手だけじゃどうも頼りない。何か祝詞の前に一声掛けたいなということで、その当時バラモン教の「オウム」というのが入ってきて、これは便利だ。神を呼び出す音があるじゃないかということで、いまだにこれを神道の祝詞の前に使っているんです。これを神主さんの前で言うと、すごく神主さん困った顔をします。神道は日本古来のものだと思っていますから。そうじゃない。そういうものを日本は輸入しているんですよ。
これはしようがないんです。日本列島というのはアジアにくっ付いていますよね。日本で明石原人なんていたかいないか知りませんけど、それがいまのわれわれにつながっているかどうか知りませんが、いまの定説では、アフリカで人類が生まれて、ずうっとシナイ半島あたりで左右に分かれて、流れ流れて日本に来ている。どう見たって向こうのものがこっちに来たに違いない。こっちのものは向こうに行ってないです。
人類の流れ
おかしなもので、実は人類の流れに沿って、文化とかそういうものが流れやすい傾向があるんですね。ちょうどシナイ半島で生まれたキリスト教は左のほうへ行って、回教はこっちのほうへ来て、それに基づいて文化が流れてくる。だからこういう流れがあるから、それに乗った仏教というのは、こっちに流れるだけで遡らなかった。
ここでもう一つ、ちょっとよけいなことを言いますが、シナイ半島へと上がってきた最初の人類、あそこで夫婦喧嘩するんですな、為政者が。女が東のほうへ行って、男が西のほうへ行くんです。その女というのは呪術的な能力を持った女で、その当時まだ生きていた恐竜に乗っていたんですな。男は「あんな女の顔も見たくない」といって、西洋のほうへ行っちゃった。その時に、あんな悪女、悪魔ということで、女のことをデビルと呼んだんですよね。
だけれども、女を奉じた東のほうへ行った人達は、「いや、女神様だ」と、こう言ったわけです。だから英語のデビル、悪魔というのは、デビ夫人のデビ、女神と裏表になっているんですよ。同じ女の名前が、デビというんだったかデビルというんだか知りませんけれども、男から見れば、あれは悪女だとなるし、悪魔だとなるけれども、女神を奉じたほうは神様になるわけですな。
それで西洋では女神、悪魔、悪女、要するに悪魔をやっつけるためには、魔女をやっつけるためには、その使いであるドラゴン退治をしなきゃいかんということになっているんですね。だからドラゴンは、西洋では悪魔の使いになっている。
ところが東洋では女神に仕えた動物ですから、ドラゴンは神格化されて良いいい動物なんですね。このへんが西と東の考え方のすごい違うところで、中国でも日本でもインドでも、ドラゴンは神格化されているんですね。西洋では退治すべき対象物として扱われている。このへんはすごく面白いなと思う。
三菱商事にいてインドにいますと、夜、何にもやることないんですね。そうするとみんなでくだらん話、こういう話をしながら時間を過ごさざるを得なかったというのがあって、こんなことが頭の中に妄想として浮かんできて、これは定説でもなんでもありません。私の妄想です。だけど考えてみれば正しそうだなという感じはしますよね。
東から西へ流れたものは、重要なものが幾つかあります。例えば小麦の殻を取る手法。これは中国で開発された手法ですが、西洋にも流れて、すごく珍重されましたし、火薬がそうです。紙がそうです。羅針盤がそうです。チェスがそうです。こんなのみんなインド、中国で生まれたものが、西のほうへ行ったものです。こういうものは非常に数が限られていて、だいたいは西のほうから東に流れるという格好で動いてきています。
現職のアメリカ大統領の訪印
また話を元へ戻しますが、タルボットが8回にわたってインドのジャスワント・シンと話合った結果、クリントンが辞める前にインドを訪問するんです。クリントンはインドに五日間滞在するんです。アメリカからの距離を考えますと、実は七日かけているんですね、行き帰りもかかりますから。現職のアメリカ大統領が一つのほかの国に五日間滞在した例というのはほとんどございません。
なぜクリントンがそうまでしなきゃならなかったかというと、これが先ほど言いましたアメリカのIT産業、情報産業、コンピュータ産業は、インドなしでは成り立たない状況まで追い込まれているというひとつのエビデンスですね。
韓国の読み
日本の政治家はなかなかそこまで読み取っていませんで、その点、韓国の大統領、韓国政府は、インドとアメリカの関係というのはそこまでいっているんだから、21世紀はインドとアメリカの蜜月、ハネムーンとなる。そういうインドを前もって自分達はやらにゃいかんということで国を挙げて、政府が韓国系財閥の尻を引っぱたいて、インドに進出させています。
韓国の四大財閥、金星だとか現代だと大宇だとか三星だとか、みんな出てきました。大宇はちょっと本国のほうでだめになっちゃいましたけれども、相変わらずこの三つの財閥は、インドで隆々たるものです。最近は韓国の大統領がインドを訪問しまして、その時に付いていった韓国の人達というのは、200人以上いたというんです、実業家が。小泉さんが出かける時、日本の経済界、何人が随行者として付いていくかというのはわかりませんけれども、そんなことはないと思いますね。ロッテなんかもその時に行っております。
ロッテなんかすごいです。次はインドだと。ガムとインドってあんまり関係ないのかなと思うかもしれませんが、インドではパーンという、キンマの葉にいろんなものを包んで噛む習慣があるんですね。これをペッペッと捨てるのは汚いからということで、だんだん禁止のほうへいっているんですが、噛む習慣は残るだろうということで、ガムが非常に有望だということで、まず韓国のロッテが進出し、日本のロッテもいま北のほうへ進出しようと思っています。
インドで何かをやる場合に、金星なんかもそうですし、三星もそうですし、現代もそうですが、本社が本気になって力を入れてやっているんですよ。そうしないとインドでは成功しません。インドで失敗例としてあげるには、ちょっとまだ時期が早いんじゃないかなと思いますけれども、ウーン、ちょっと……と思うのはソニーの出方なんですが、腰掛的に出て行っているんですね。
ところがスズキ自動車の出方はそうじゃないんです。社運をかけて出て行っているんです。これはインドのマルチウドヨグという会社の会長が、その当時は社長だったですが、日本の晴海へ来て自動車ショーを見た時に、「三菱自動車に決めようかな」と、ある日言ったんですね。
ところが翌日、朝10時から夕方4時まで、鈴木修さんが帝国ホテルへ乗り込んで、ひざ詰めで一日かけてクリシュナムルティさんと修さんが話合って、すべてのペンディング事項を二人でさばいて、スズキがインドへ進出することに決めたんです。これはインドが門戸開放する1991年よりも5~6年遡った時です。スズキは全社一丸となって、このインドプロジェクトに進めるんむんですね。それで大成功をおさめるんです。
インドではその当時、アンバサダーという車とフィアットという車がありまして、細々とつくっていましたが、桁が違うんですね。一時は90%くらいスズキ自動車がシェアをとってやっていました。いまはスズキ自動車、マルチウドヨグのシェアは、乗用車で約6割くらいになってしまいましたが、それでも一つの工場で乗用車を50万台つくっているんです。一つの自動車工場で50万台乗用車をつくる工場が、世界中に幾つありますか。ほかにないと思いますね、まだ。生産能力は50万台あるというのはあるかもしれませんが、実際つくった例というのは、私、聞いたことがないんです。だいたい自動車というのは10万~20万台前後を一つの塊としてやっていますが、いまスズキは一つの工場で50万台つくっています。
インドの自動車生産台数は今年度、インドも暦年じゃなくて、財政年度は日本と同じで04―05で110万台くらいになりそうです。2010年には200万台だろうと。あそこに旭硝子が、アサヒ・インディア・セーフティガラスという工場をつくっておりますが、ここが自動車ガラスのインドの需要の9割5分くらいサプライしています。
一昨年の話ですが、そこに行っていろいろ話をしていたんですけれども、そこの方が曰く、2030年にインドの乗用車生産台数は1000万台を超えるというんですよ。なぜそれがアサヒ・インディア・セーフティガラスに予測できるかというと、95%のシェアを占めている自動車ガラス会社に対して、自分の生産計画を理解していただいてサプライしてもらわないと、自動車会社はどこもやっていけないわけですよ。
そうするとすべての乗用車が、ベンツも現代も、タタもマルチも全部自分の生産計画を、10年先の計画を、20年先の計画を旭硝子に持ってくるんです。お宅でサプライして下さいとお願いせざるを得ない。だからすべての自動車会社の本当のデータが、インド・アサヒ・セーフティガラスに集まっちゃっているんです。インドにもインド自動車工業会、AIAMというものがございますが、そこに出てくる数字は非常に政治的な数字が多いんですけれども、自分の生産計画に合わせた数字というのは、旭硝子さんが全部持っているんです。当然のことながら、旭硝子さん、儲かって儲かってしようがないです。95%のマーケットを持っていたら、儲からないはずがないですよね。
マルチウドヨグ、スズキさんも、鈴木修さんが「スズキの世界戦略は」なんて大きな話ができるのは、インドで儲かっているからなんですね。すごい儲かっている。この蓄積というのは大変なものですね。だからパキスタンでどういうふうにしよう。東欧でどういうふうにしようなんていうことを修さんが言えるようになったのは、インドで大成功をおさめたからなんです。これは社運を賭ける覚悟で進出したからにほかならないと思うんですよ。
片手間でインドでやると、インドという地は非常に商売的にも厳しいし、インド人も商売が非常に上手ですから、なかなか成功しない。やっぱりきちっと社運を賭けるような形でがっぷり四つに組んでいただかないと、うまくいかないような気がします。
先ほどちょっとお話しましたが、いま私は三井金属さんのアドバイザーをやっておりまして、これはもう新聞発表されてますから構わないと思いますが、三井金属さんがインドに新会社をつくって、そこで触媒をつくろうという計画をしております。
インドは核不拡散条約に加盟していません。インド人というのは原理原則を非常に大事にする人達です。だからすでに核を持っている5ヵ国だけが、言いたい放題のことを言えるような世界システムというのは、地球にとって好ましくないということをはっきり言っているわけです。アメリカに対し、核を持っている国に対し。で、自分も核を持っていますよということで、先ほど橋本さんが顰蹙を買うような結果をもたらした核実験をやったわけですよ。
エイズにかかっている人が、「自分はエイズにかかっているよ」というふうに言うほうが、私は正直だと思うんですよ。日本政府の立場は、エイズにかかっている。それはいいと。だけど黙っててくれよというのが日本政府の言い方で、核は持っていてもいいけれども、持ってない振りをしてくれよというのが、どうも日本政府の言い方のような気がしてしようがない。
原子力関係の方もここにいらっしゃるから、耳に逆らうかもしれませんけれども、インド人は私に言うんですよ。「日本人はアメリカの航空母艦や軍艦が日本へ寄港する時に、核をグァムだとかハワイへ行って下ろして入ってきていると本気で思ってるの?」と言うんですよ、インド人は。「だから持ち込まないというのは、とっくのとうに反故になってるんじゃないの?そういう日本人の建前論には自分達は付いていけないよ」とインド人は言います。
それから日本という国は、もしアメリカの核の傘の中に入っていなければ、歴史上から5年前、10年前あるいは20年前に消えていたかもしれないねという言い方を、本当に腹を割って話すことができるインド人は指摘します。反論のしようがないですね、これは。インド人のほうがきちっと日本を見てます。
インド人の対日感情
日本に対して批判的かというと、そうじゃない。日本の外交というのはすごいねと。自分の経済発展のために、国防費をアメリカにかじけてここまでやってきた日本人の知恵ってすごいねと感心するんですよ。インドの教科書では、日露戦争でアジアの国で初めてヨーロッパを負かした国が日本だということで、日本を褒めたたえているんです。
日本にも若干ではありますが、インドの留学生が来ています。日本にもインド人が何人かいます。日本に来た、日本で経験を持ったインド人で、日本を嫌いになったという例を私はまだ知りません。アジア、ほかの国から日本へ来ている留学生で、日本嫌いになって帰る留学生が3割とか、あるいは7割とか言う人がいます。そんなインド人一人もいません。みんな日本びいきになって帰って、本国へ帰ると熱く日本について語ります。こんな親日国はないと思います。インドで世論調査をしますと、外国でどこの国がいちばん好きかというと、日本はいつもトップです。こんな国ないんですよ。
インドの治安
インドでテロはたくさん起こります、小さなテロは。例えばオールドデリーなんかでは起こります。パキスタンとインドの間でカシミールというのがあって、これをああでもない、こうでもないとやっていますので、その関係でテロは起こりますが、外国人を対象にしたテロというのは一度も起こっていません。日本人がそういう不愉快な目にあったことは一度もございません。そういう意味では日本人が生活をするには、精神的にはすごく楽に生活のできるところですね。
相違点
ただし、風俗習慣がまったく違うんですね。まず食べ物がまったく合いません。私、言うんですけれども、世界は三つに分けられる。一つはタンパク質発酵調味料圏。これは日本からビルマまで。それからアルコール発酵文化圏。これはだいたいブドウ酒ができるところですね。その間、インドからギリシャのちょっと手前くらいまで、乳酸発酵文化圏。ミルクですね。調味料としてはスパイスなんです。
インドにはカレー以外ありません。私、学生時代に旅行した時に、サイクル力車というのがございまして、インド人というのはだいだい日本へ一方的にみんな与え続けたんですが、日本人がインドに与えた数少ないものの一つには人輪力車。日本で言う輪タクをサイクル力車というんですよ。人がこうやって引っ張る人輪力車ですね。これはカルカッタにいまでもあります。一時戦後はやった輪タクというのがありますが、これはインド各地にあります。
サイクル力車という輪タクの運転手と仲良くなって、学生時代に話をしたら、彼曰く。「おまえ、カレーを食うか」というから「食う」と。「日本ではどのくらいカレーを食うか」というんですね。「おれは一月に1回か2回は食うぞ。ひどい時は1週間に1回食うこともある」といったら、その力車が「気の毒だな。おれは少なくとも1週間3回は食う」というんですよ。何のことかなと思った。
そうしたらカレーというのはおかずという意味なんですね。だから日本人はおかずのある日が一月に二日か三日。おかずのある日が一日ある週もある。インドではいちばん下級の労働者は、豆の粉を水でこねて食べて、青い唐辛子をバリバリ、塩がちょっとあって、それが普通、いちばん下の人達ですね。カレーを、というのはおかずがあってご飯だとかチャパティだとか食べるというのは、大変なぜいたくなんです。そういう人達にとってみれば。僕はすごく同情されまして、カレーをおごってやろうかといわれましたよ。だからカレーという意味は、そういう人達にとっては日本で言うちょうどおかずに当たるかなという意味です。
そういう意味では、日本人が向こうへ行きますと、インド人にとってみれば全部がカレーですから、例えば1週間日本から交渉に行く。「じゃあ全部食事はおれのほうで面倒みる」といって、昼夜、昼夜呼ばれるわけですよ。彼らにしてみればおかずの種類を変えようということで、昼夜、昼夜違ったカレーを1週間出すんですよ。で、違ったおかずを出したというふうに彼らは思っている。
日本人にしてみれば、田舎の定食屋へ行くとカレーライス、ハヤシライス、ラーメンに天丼というふうに書いてあって、あのカレーなんですね、全部が。そうすると「なんだ、毎日カレーか」ということになる。
日本人は中国へ行った時に、例えば中国人と1週間いて全部二食、昼夜、昼夜と、今日は北京料理、今日は四川料理、今日は上海料理、広東料理、いろいろやってくれているなと。だけれども、言ってみればカテゴリーとしては全部中華料理なんですね。
それと同じように、インド人はカレー料理の中でいろいろ細部やっているわけです。インド人自身は感覚的に中華料理があり、フランス料理があり、インド料理がある。日本料理がある。そのくらいにインド料理というのは確立した文化だというふうに彼らは考えているわけです。
だから日本人は、「なんだ、また。行ってる間ずうっとカレーじゃないか」という不愉快な目をするけど、だけどよく考えてみれば、それはこっちの勘違いだということに気がつかなきゃいけないと思います。
ただし向こうで生活するには、気象状況だとか食べ物も含めて瘴癘の地といわれる地ですから、非常に生活しにくいところです。
日系進出企業は儲かっている
ただし、JETROで調査したものがございますけれども、あそこに進出している日本企業のうち、だいたい7割から8割くらいが黒字または儲かっているんです。中国の2割か3割しか儲かってないのに比べれば、大きな違いだと思います。現在向こうに進出している日本企業はだいたい200社。中国は2万社といいますから、100分の1ですよ。進出している企業は、黙っていますけれども、7割8割儲かっているんですよ。儲かっていないところも、あと1~2年すれば儲かるという確信を持っていますね。
現在の経済成長率はだいたい6%から7%の間くらいで伸びていっています。世界の歴史を見ますと、7%以上の経済成長率を無限に未来永劫続け得た国はありません。上昇すると、必ずストンがあるんですね。そういう意味ではなだらかな伸び、6%から7%の間くらで伸びていくというのは、非常に健康的でいいんじゃないかなというような気がします。この間の東南アジアの通貨危機の時も、インドは微動だにしませんでした。まったく大丈夫でした。
インドの影響で、先ほど仏教の話だとかアイウエオの話をしましたけれども、もう一つ、ちょっと思いつかないものがあるんですが、ご披露しておきましょう。何かの話題になるかと思いますが、インドにはベーダというのがございまして、ヒンドゥ教の教えを説くひとつの聖典ですけれども、四大ベーダというのがありまして、リグ・ベーダというのは哲学的なこと。サーマ・ベーダというのは神に捧げる賛歌を集めてあるやった。そういうようなのがあるんですが、神に捧げる賛歌の歌い方、これがいまだにインドに残っているんですね。この神に捧げる賛歌というのが、結局、お経の読み方に影響を与えて、中国経由で日本に入ってくるんです。
お経の読み方だとか声明だとかいうのを元にして、室町時代に謡というものができたんです。だからお能というのが完全に日本発生のものだという勘違いをしないでいただきたい。インドで起こった神に捧げる賛歌の歌い方、腹式呼吸、腹から声が出るやり方は、インド発生なんです。それが脈々と流れて日本に声明として、お経として伝わり、それが室町時代に世阿弥によって謡という分野を確立して、いまに続いているんです。これは観世のお家元も認めていらっしゃることです。
実は観世のお家元のお手伝いをしばらくしたことがございますので、そのへんのことは家元とも何回も話し合っているんですけれども、そういうことで、意外にわれわれの身の回りにもインドの影響のものがあるんですね。
例えば言葉で言えば「卒塔婆」という言葉、それから地獄という意味で「奈落」という言葉。奈落というのは、いまでもインド語で地獄のことで使われております。日本では舞台用語として奈落の底だとか、ああいう意味での奈落。せり上げのあれのことを奈落といっておりますけれども、そういうように言葉の中でもたくさんあります。
例えば「さら」という言葉があります。さらというのは新しいという意味で日本は使いますけれども、ヤクザの方々が使うらしいんですが、インドではサラというのはやっぱり新しい、完全なというような意味なんですね。これは英語に入ってサラリーのサラと、ひょっとしたら同じじゃないか。そういう意味で同じものがずいぶんあります。
インド語というのはヨーロッパ語から分かれてきていますので、英語やなにかの兄弟だといわれていますからね。アーリア人というのはインド・アーリア語族といいますから、ヨーロッパのほうへ行ったのとインド側に来たのと両方いるんですけれども、ヨーロッパへ行ったほうの方々は、途中でキリスト教に影響を受けてキリスト教、一神教になっちゃうわけですね。それまではギリシャを中心としてわかるように多神教だったわけですけれども、ごまかされて一神教になっちゃった。インドに来たのは、いまだにヒンドゥ教という多神教なんです。
一神教の方々から見ると、多神教なんていうのは宗教じゃないと。神というのは一つなんだという考え方が強いんです。ご存じだと思いますけれども、中近東でうまくいかないのは、回教というのは非常にレトリックがうまかったんですな、モハメッドというのは。上手に説明したんですね。いままで神はモーゼを使わした。だめだった。キリストを使わした。だめだった。それで神はしようがなくて最後にモハメッドを預言者として地上に送った。だから回教がいちばん正しいんだと回教では言うわけです。これはどうしようもないですよ。あとからできたものが正しくなっちゃったんですね。すごい上手なレトリックですよね。モーゼがだめで、ユダヤ教。キリストがだめで、キリスト教。で、神は最後にモハメッドを使わしてできた回教、これがいちばん正しいんだということをモハメッドが言っちゃったんですね。それを信じているんだから、キリスト教と回教はうまくいくはずがないです。
ただ、これは全部共通しているのは一神教ということです。一神教を信じている英国人がインドに来て、「God is no where in India」といったんです。要するに、何でもかんでも、石ころまで神にするような国には神はいないというふう言ったわけです。そうしたらインド人が、「それはそのとおりだ。ただしおまえ、ちょっと綴りが間違っているよ」といって、no whereのwを前へくっ付けて「God is now here in India」と、こうインド人はやった。このインド人のユーモアというのは大変なもので、感心させられます。
日本とインドの共通点
インドと日本でもずいぶん違うところがあるんですけれども、共通点も幾つかある。共通点というのは、共通なことが起こっているということですね。似ているという意味じゃないんですよ。例えばインド人は働くことが好きなんです。日本人も当時は好きだった。ワーカホリックといわれていた頃、皆様が現役だった頃は、仕事が面白くて面白くてしようがなかった。面白い仕事の合間に麻雀やったりゴルフやったりするから面白かったのであって、暇を持て余した時ゴルフやっても麻雀やっても面白くないんですよね。仕事の面白さというのは、ものすごいものだと思うんですね。
要するに工場で一日仕事やって、5時になって家へ帰ってきて5時半。「今日、会社でなあ」というのをビール一杯飲みながら、あるいは焼酎でもいいんですわ。親父さんが女房あるいは子供を前にして会社の自慢話をする。それが日本人の生き甲斐だった時代があるわけですよ。
それを称して、要するに「労働は時間の切り売りである」なんていった西洋人が、日本人をワーカホリックといった。だけど仕事が面白かったら、それに超したことなかったわけじゃないですか。それを否定することはぜんぜんなかったわけですよ。
いまインド人はまさにそういう状況で、働くことが、金を儲けるというのが、面白くて面白くてしようがないんです。 カルカッタにインドで有名なマルワリの一人のミッタルという家族がありますが、これが小さな町工場の親父だったのが、いまや世界の鉄鋼王になったんですね。その会社1社で2000万トンつくっているんですよ、鉄鋼を。
しかも、この鉄鋼景気ですから濡れ手にアワ、言い値で売れる格好になっていますから、すごいですね。英国に豪邸を構えて、世界中に君臨していますよ。
こういう金儲けの仕方というのは、インド人はものすごく上手ですね。ロンドンのLME、要するに非鉄をやっているLondon Metal Exchangeの会長も、ミスター・バグリというインド人です。英国でサーをもらったインド人もたくさんいます。それからシリコンバレーに働いているインド人の数、数知れず。しかもそれのミドルマネジメント、いまや上層部あるいは社長になっている人は、枚挙にいとまがないくらいたくさんいます。
世界各国で政治家、代議士になっている異邦人の数というのは、インド人がいちばん多いそうですね。そういうふうにインド人は世界に進出しています。国連、ワールドバンク、インド人だらけです、上層部は。日本人は英語で太刀打ちできません。
インド人はものすごく自己主張が強く傲慢で、世界中で嫌われています。嫌われていますけれども、世銀やIMFや、WHOもそうですが、インド人なしでは動かなくなっちゃっているんですよ。ものすごいです。
アメリカ人が感心するのは、インド人のマネジメントというのは、採用したその日からマネジャーが仕事ができるというんですね。インド人には2種類あります。一人は命令を下す人。一人は命令を下される人。この2種類です。生まれた時から人を使う訓練ができているインド人達、これが上層階級になったり、あるいはアメリカへ行ったりしているんです。こういう人達は生まれた時から訓練を受けていますから、新しいオフィスへ行って、「今日からおまえはここのマネジャー」。「わかった」と、自分のジョブ・ディスクリプションをもらうと、それでもってその日から部下を使って仕事ができるんです。アメリカ人は感心しますね。日本人はだいたい半年から1年くらい様子を見ながら、少しずつ人に命令できるような格好になってきます。それに比べるとインド人を使ったほうが効率がいい。
そういう意味では中近東でも大活躍していますね。要するに中近東の人達の下でミドルマネジメントをやって、インド人は非常に優秀だと。インド人は目がいい。手先が器用。仕事が好き。こんないい人達いないじゃないですか。
だからインドに進出しているホンダだとかそういう方の経験談を聞きますと、中国人、インドネシア人は、後ろ向くと何をやっているかわからないけど、インド人は1週間留守にしても、ちゃんとマニュアルどおり仕事をやってくれているということなんです。
木に竹を接ぐ
先ほどインドと日本の共通点、ワーカホリックが出てきているというのも一つですが、もう一つ最近気がついたのは、日本とインドは文化的にはものすごく違うんですが、木に竹を接ぐことができた人達。要するに日本は明治維新、幕政から天皇親政になり、終戦を迎えて天皇制からマッカーサー制になり、自民党から村山政権になり、村山さんからさらに橋本さん、ずうっとこう来て、ずうっと木に竹を接いできたんですが、一日たりとも、イラクで起こっているようにマーケットが封鎖されたり、水道が止まったりしたことがありますか。
インドも英国から独立し、コングレスが政権をとり、BJPになり、BJPからさらにまたコングレスになった。この間の選挙でBJPというところからコングレスに戻ったんですけれども、その時負けたほうのBJPの党首が言ったことがふるってますね。「BJPは選挙で負けたけれども、インドの民主主義が勝利した」と。一日も停電もありませんし、何にも起こらなかった。きちっと木に竹を接いでいままで来ている。
先ほど言いましたセルフリライアンスからインターディペンデンスに180度転換しても、ちゃんと軟着陸しているんですよ。混乱は起こってないです。これがインドと日本でできているんですね。
それを経験したアメリカがイラクで、アフガニスタンでやろうとしたって、うまくいくはずがない。普通の国では木に竹は接げないんですよね。それがインドと日本ではできているというところ、非常に面白いなと最近は思っています。
まだしゃべりたいことの百分の一もしゃべってないんですが、時間が来たのでやめます。どうもありがとうございました。
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