ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。 18代インド首相 前グジャラート州首相
太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 05月 22日
ドゥルガ・プージャ | 2007/10/19 |
ドゥルガとはシバの奥方で、破壊の女神である。 幻想世界神話辞典 http://www.jiten.info/dic/durga.htmlから 「ドゥルガ durga インド神話の女神。シヴァの妃。ドゥルガは「近づき難い」の意。もともとは彼女に敵対する悪魔の名であり、悪魔を倒した時、記念してこの名を名乗った。 マヒシャによって天界が占領されてしまった時、神々が反撃にでるため、力を集中して吐き出した、憤怒の炎の中から誕生した。 その姿は十本の腕を持つ美女で、マヒシャ討伐のため、シヴァの三叉戟、ヴィシュヌのチャクラム、アグニの投げ槍、ヴァーユの弓、ヴァルナの法螺貝、インドラのヴァジュラなど様々な武器を与えられた。 そしてヒマヴァット神から騎乗用に虎をもらい、マヒシャに戦いを挑んだ。 山が砕け、海水が陸地に溢れ、空の雲は散り散りになるほどの戦いの末、マヒシャの首を切り落とし戦いは終わった。 」 その勝利の場面を演出して正面にすえお祭りをするのがドゥルガ・プージャである。そのテント張り及び神像群をパンダールと呼ぶ。プージャとは祈り・祭りの意味である。 館長は丁度入魂式の最中にこのパンダールを訪れた。赤い敷物の前で、靴を脱ぎ、本尊の前で手を合せ、賽銭箱にそれとなく十ルピーを入れ、写真を撮った。とがめる人はなく、むしろ歓迎の雰囲気があった。 勝利の場面を作ると、まず入魂式をする。そのあとでおならいが行われる。もちろん野菜のカレーである。 |
入口にはデザインをしたところの名前が・・ |
パンダールの入口には、供物を売る店がある。 |
パンダールの正面である。竹と黄と紅白の木綿のきれで作り上げられている。雨の降らない前提である。 |
パンダールの中でマリーゴールドを使っての花輪つくりに少年が集中していた・・ |
御本尊たちである。派手な極彩色に描かれている。 |
入魂式を行うブラーミンたちである。 |
しきりにマントラを唱えるブラーミン・・ |
神像の前には護摩壇が作られている。 |
本尊の前は左右に仕切られ、左が男性の座る場所、右が女性の座る場所となっていた。その女性の一番前に、女性たちが線香あげ祈る場所が作られていた。 |
おならいの準備をする男たち。女性は加わらない。まな板は使わず手にナイフや包丁を持って野菜を刻む。ジャガイモ、カボチャ、ニンジン、ナス、カリフラワーなどが食材として使われていた・・ |
日本寺 | 2007/5/4 |
ニューデリーの南に日本寺がある。 住所は、 D-137, East of Kailash, New Delhi - 110 065 phone: 91-1126227453 である。 寺の正式な名前は、Ladhakh Shanti Sutupa、World Buddhist Centre とある。通称、日本寺、あるいはWorld Buddhist Centre で通じるようである。 日本寺に泊まることも可能である。(有料だが安い。) そこの住職と言うか寺守が、中村行明さんである。彼の名刺には、ブッダ会会長とある。 行明さんとは長い付き合いである。五行大儀で有名な、お父さんの中村璋八先生とも縁あって知己を得ている。 行明さんは、今年の日印交流年は、大活躍で、彼の広い人脈の中から、梅の花、森山良子さんなどなどがインドへやって来た。「なだそうそう」のヒンディ語訳をしたのも彼である。才人でもあるようだ。 |
日本寺とは思えないモダンな正面である・・高名な建築デザイナーの設計だと聞いた・・ |
本堂の釈迦本尊である・・ |
ステンドグラスが美しい・・ |
ヒンディ語のナダソウソウを歌ってくれた・・ギターは見えるところに5本あった・・キーボードも使うようで、机の横にいつでも使えるように用意してある・・ 心の広い人である・・寺の中には、藤井日達上人の「諸国撃天鼓」の掲額ある・・ |
プラサド | 2007/3/27 |
Prasadと言うヒンディ語の単語がある。プラサド大統領のように人の名前にも使われる。 この意味は、神の前にお供えする供物、贈り物、祝福、好意などである。 神に供える供物もプラサドなら、供えたあとのお下がりの縁起物の供物もプラサドである。道路際にテントを張り、飲み物、食べ物を振舞う宗教的な行事が良くあるが、そのときの食べ物などもプラサドと呼ばれる。此れはあらゆる宗派の行う行事でもあり、シク教徒のプラサドが音楽入りで派手である。 今日は、MH8(国道8号線)のダルヘラを過ぎた例のシャニチャールの寺でこのプラサドが振舞われた。道路の両側に、お盆に載せたスージーハルワを車を止めてみんなに配っていた。館長の運転手のサリームは、4っつ呉れと同僚の分まで貰っていた。館長は上品に自分用を一皿いただいた。美味しかった。 この場合の日本語訳は「振る舞い」が良いのであろうか。 小学生のときに東京の阿佐ヶ谷で、大塚ワカメのお稲荷さんで年に一回振る舞いが行われ、その日は自由に工場内に入り色々な食べものの振る舞いを受けたのを思い出した。 更に、館長の祖父の丑松が健在であった当時、富士宮でやはり年に一回お稲荷さんの振る舞いをしていたことも思い出した。振る舞いの起源もインドだったのであろうかとふと思った。 |
道行く車を止めて、プラサドを差し出す。ボランティアであろう。 |
例のチンバのサニー土星神(サニチャール)を祀った寺と言うか祠と言うか・・ |
誇らしげに交通整理をするサドゥーである。 |
信者の寄進のスージーハルワの賄どころである。サドゥーも猫の手をやっている。 |
スージーと呼ばれる粉を原料としたハルワである。かれた木の葉を成型したお皿は自然にやさしい伝統的なものである。多少油がきついが美味しいハルワであった。此れだけのものを用意して、寄付などを一切強要しないのがインド流である。堂々といただけばそれで良いのである。 |
太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
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2022年 05月 22日
プラサド | 2007/3/27 |
Prasadと言うヒンディ語の単語がある。プラサド大統領のように人の名前にも使われる。 この意味は、神の前にお供えする供物、贈り物、祝福、好意などである。 神に供える供物もプラサドなら、供えたあとのお下がりの縁起物の供物もプラサドである。道路際にテントを張り、飲み物、食べ物を振舞う宗教的な行事が良くあるが、そのときの食べ物などもプラサドと呼ばれる。此れはあらゆる宗派の行う行事でもあり、シク教徒のプラサドが音楽入りで派手である。 今日は、MH8(国道8号線)のダルヘラを過ぎた例のシャニチャールの寺でこのプラサドが振舞われた。道路の両側に、お盆に載せたスージーハルワを車を止めてみんなに配っていた。館長の運転手のサリームは、4っつ呉れと同僚の分まで貰っていた。館長は上品に自分用を一皿いただいた。美味しかった。 この場合の日本語訳は「振る舞い」が良いのであろうか。 小学生のときに東京の阿佐ヶ谷で、大塚ワカメのお稲荷さんで年に一回振る舞いが行われ、その日は自由に工場内に入り色々な食べものの振る舞いを受けたのを思い出した。 更に、館長の祖父の丑松が健在であった当時、富士宮でやはり年に一回お稲荷さんの振る舞いをしていたことも思い出した。振る舞いの起源もインドだったのであろうかとふと思った。 |
道行く車を止めて、プラサドを差し出す。ボランティアであろう。 |
例のチンバのサニー土星神(サニチャール)を祀った寺と言うか祠と言うか・・ |
誇らしげに交通整理をするサドゥーである。 |
信者の寄進のスージーハルワの賄どころである。サドゥーも猫の手をやっている。 |
スージーと呼ばれる粉を原料としたハルワである。かれた木の葉を成型したお皿は自然にやさしい伝統的なものである。多少油がきついが美味しいハルワであった。此れだけのものを用意して、寄付などを一切強要しないのがインド流である。堂々といただけばそれで良いのである。 |
ドゥルガの化身 | 20071/9 |
ナショナルスクールオブドラマの入り口左に、ドゥルガの化身を祭った祠がある。祠といっていいかどうか迷うが一応結界を張る態勢になっているので祠と言おう。 本尊の回りには、象頭のガネーシュを含めた眷族を従え、一歩下がって猿神ハヌマーンがひかえていた。右前にはシバリンガが置かれ、その上には聖水の壷が用意されていた。 館長が盛んにカメラ小僧をしていると、とあるおじさんがやって来てお参りをはじめた。先ず、本尊に手を合わせ、やおら菓子折りを開き、中から豆の粉を砂糖で固めた菓子を砕いて、本尊の口元に捧げ食べさせる思い入れである。つ日に眷属全ての口元にお菓子を捧げ、やおら後ろを振り返りまわりのインド人に供物のお下がりを分配はじめた。館長にもその供物のお下がりは振舞われた。 何かお払いをしてもらったような、気がした。 |
眷属を従えたドゥルガの化身である・・右奥は一歩下がって猿神ハヌマーンである・・背後は勿論インド菩提樹である・・シバリンガムが大小4柱起立していた・・ |
とあるおじさんの登場である・・数分の本尊への祈りのあとやおら菓子折を広げた・・そして本尊の口元に押し付けた・・ |
眷属にも1口ずつ捧げた・・ |
とあるおじさんが振り返り、周りのインド人に加え館長にもお下がりの余得をまわして頂いた・・善哉善哉!! |
Pritiviraj Singh Deoさん | 2007/9/30 |
大和やさんに置いてある焼き物の作者である。 1993年から5年まで、京都芸術大学で陶磁器を勉強したという。現在は、出身地のオリッサでClay Rightというブランドで磁器を焼いている。 MGロードで、ニューデリーに向かい左手に曲がりちょっと入ったところの自宅の地下を工房に、庭先の屋根だけのところに、プロパン窯を作り制作している。大和やさんに収めるものはすべてここで作られる。 策人に使う白粘土はラジャスタンかグジャラトから取り寄せているようである。800度で素焼きして、釉薬をつけて、1250度で焼き上げる。素焼きはプロパン2本で、本焼きはプロパン3本を併用するという。 助手一人、工人一人という構成である。 焼き上げられた作品は、叩くと澄んだ心を洗うような音を発する。よく締まっている。日本食に使える器ができ始めている。 |
左は大和屋の成松さん「これならいける」 右がシンデオさん・・ |
彼の助手である |
彼の家へのアプローチ |
彼の家の前庭 |
庭の一隅に作られたプロパンの窯。素焼きは800度、プロパン2本を使うとのこと。本焼きは1250度でプロパン3本を使うという。1本400ルピー(1200円)のプロパンを一窯に5本使う。 |
粘土はラジャスタン州、グジャラト州から買うという。 |
作業場である。工人である。今長皿の型抜きをしていた・・ |
失敗作である・・ |
中古車販売 | 2007/1/16 |
郊外を走っていると、時々中古車販売をしているところに行き当たる。マルチZENとHYUNDAIが圧倒的に多いのは、生産台数に相関しているのかななどと思いながら、インドもいよいよ中古車までが市場性を持つマーケットとなったかなどと思ったりする。 一昔前に、輸入中古車の許可を政府から取り付け大儲けを企んだディーラーがいた事を思い出す。結局政府は輸入中古車には冷たかったようである。 |
日本と大きな違いは値段が書いてないところでしょう・・ |
運転席に座っている男は、そんなに金持ちには見えなかったが、商談は如何に! |
カシミール・ワラ | 2007/11/19 |
カシミールの手工業品を購う行商人をカシミール・ワラと呼ぶ。 扱う商品は、日本でも一時喧伝されたシャトーシュと言われる今ではワシントン条約で取引が禁止されている極上のショールから、パシュミナ、カシミヤのショール、毛織のカーペット、皮革製品(なめし皮のジャンパー、上着、コートなどは注文して半年はかかる。)、木彫りのスクリーン(屏風)、箱、小テーブル、papier-macheと呼ばれる紙製品などなどである。 日本人の各家庭を順繰りにまわり、商品を広げ時間をかけて値段の交渉をやり、商いを行う。娯楽のないインドではそんな夜の過ごし方もある。 過日、ジャン友中島邸でカシミール・ワラの商売を目撃した。どこか記憶の中でムズムズするものがあると感じながら冷やかしていると、「旦那はGK-Iに住んでいた三菱商事の人でしょう。」とずばり言ってきた。 なるほど商売である。何十年も前の客の顔も覚えておくのが商売のコツであろう。 彼の名刺である: Mr. A. Hussain Wholesale & Retail Dealers of : Pashmina Shawls, Carpets, Chain Stitch & Cushon Etc. 17, Church Road, Bhogal Jangpura, New Delhi-110 014 011-24372466, 9810281309 1/B-300/301 Bemina Houseing Colony, Srinagar, Kashmir (India) 0194-2491563 a_hussain999@yahoo.com 最後にかわいいショールをお土産にくれた。 |
右上のラクダ色が自然のままの色である。なかなか良いものであった・・7万5千ルピー(22万円)は妥当な値段なのかは知る人ぞ知るである・・ |
手の込んだ刺繍であることよ! |
一人の人が一年かかるという・・リバーシブルの刺繍で、言い値は1.2ラックルピー(12万ルピー=36万円)で、今日のハイライトであった。 |
息子か助手か?とにかく色白で大きな鼻が特徴的である。一言も喋らなかった。 |
フセインさんである。確かに見覚えのある顔である。20年の記憶力は大したものである。 |
石工の親子 | 2008/3/1 |
ラジャスタン州はいろいろな石が産出する。GEM Stoneと呼ばれる、準宝石の類から、建築用の石材まで、あるゆる種類の石が出る。そこで、ラジャスタン州には貴石を磨く人や、宝石のデザインをする人、それから石工などの職業がある。 この石工の親子は、道路工事に携わっている。トラクターのトレイラーで運ばれてきた不定形の石を適当に割り、積み上げセメントで固めて、道路の側溝を作る仕事である。親父さんが溝をつくるように石を割り選び積み上げ、そこへ女房殿が練り上げたセメントを使い側溝の壁を仕上げる。 10才の息子はじっと親父と御袋がする仕事を眺めている。と言おうか学んでいる。とても良い親子関係と見えた。親父さんは、日に200ルピー(600円)の日当だという。「良い給与だね。」と館長が言うと、首を横に振って肯定の返事を示した。 |
近所の山はこんな石からできている。道路にトラクタがぶちまける。そこから適当な石を選び、溝の壁を作る。 |
左に見える山は木はほとんど生えていない岩山である。おそらくそんな山の一つから切り出した石であろう・・左のトラクターが石を運んでいる・・ |
気さくに話をしてくれた家族である・・親父は石を選び、積み上げ、セメントを塗りこめ、側溝の壁を作る。女房はその進み具合を見ながらセメントを捏ねる量を調整する。息子はそれを見て勉強している・・いい家族である・・ |
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太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
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身辺雑事 | 2007/3/27 28追加 |
ビノードが咳を始めて2週間である。結核で無ければよいがなと思っている。風邪であろう。熱は無いようであるが、今朝は耳の奥が痛むと言う。医者に行けと指示をしたが、いくであろうかと危惧している。 サリームが、昨日から髪を赤く染めて来た。聞いたら、日曜日に友達が赤く染めたので付き合ったとのことである。女房を出産のために故郷のラクノウに帰した間の、悪戯であろうか。 その二人の今朝である。 |
続身辺雑事 サリームの奥さんは今ラクノウにいる。昨日、午前11時半に無事男子出生。サリームは、喜びのあまり、レワリ(この近所で一番の町)の菓子屋で、カジューバルヒを3キロ購入して、プラサドとして、工場全体に配った。潤沢に行き渡った様である。キロ250ルピーx3=750ルピー(約2000円)の散在であった。 ビノードは医者に行き、薬を貰い昨日から服用している。医者と薬で85ルピー(約220円)掛かったという。今朝は耳の痛みはなくなり咳も軽く少なくなったようだ。 普段と変わりない毎日と思う中で、色々起こってゆくのが宇宙船地球号である。 |
車を待つ女性 | 2007/4/7 |
バスに乗るのか、それとも会社手配の車を待つのか、通勤の時間にヒーローホンダチョーク(チョークとはスクエアとか、賑やかなマーケットなどを言うが、此処では角、四筋くらいの意味で使っている。)での女性達である。 もうインドの女性はサリーとはいえないような御時勢になってきている。西洋風の身なりとサリーの間に、このようなパンジャブスタイルが介在している様である。 |
ジーンズも進出中である・・ジーンズの生産はインドが世界一とか・・ |
会社の配車を待っているのであろう・・ |
館長の下手な鉄砲である・・こんなに取れているとは・・すべてがパンジャブスタイルである・・ |
女性の社会進出 | 2007/6/27 |
インドでの女性の社会進出はまだまだと言われる。 でも、インディラガンディは女性で総理を務めたし、現在のラジャスタン州の州首相のラジェさんも女性である。カルナタカのジャヤラリータも女傑である。これらの女性は選挙で選ばれその地位を得ている傑物である。 オフィスでも徐々に女性も職を得てきている。ニューデリーの丸の内バラカンバ通りでこの暑い中歩いている女性達も遊びではなさそうである。日本で言うOLであろうか・・ |
クムハールの店 | 2007/10/15 |
日本のなべ屋横丁や、河童橋のように、インドでも同業者が軒を連ねることは珍しくない。買い手の方は、そこえいけば必要なものが手に入るということが予め知れているから、出かけてゆくわけである。 サケット(デリーの南)にもそんな通りがある。そこには、クムハール(素焼のつぼなどを作るジャーティである。ジャーティは強いて訳せばカーストである。)の店が軒を並べる。 テラコッタ美術館とはまた違った日常品が並び、これも見る人を飽きさせない。 |
庭の彫刻 | 2007/12/25 |
数年前のことである、延子(館長の連れ合い)と上野に日展を見に行った。絵画には多少の見るものがあった。で、ついでに彫刻の部門を一巡したが、訴えかけるものが全くなかった。相当ガッカリして、二人は無口になった。 インドで、テラコッタを見て、感動したことは前に書いたが、今日訪れた家の庭でまた久しぶりに館長の心に訴えかける作品を目にしたので、館の陳列物に加えることにした。 説明はいらない作品ばかりである。人間的な温かさと、平安を訴える作品群は、館長の心を動かした。いいものを見せてもらえた・・ Omaxe グループの総帥である、Mr.Rohtas Goelさんの庭である。彼に再登場の機会があるといいなと祈っている。傑物である・・ |
中央のジャージーがゴエルさんです・・ |
彼の住居である・・ |
ビノード・ヤダブ19才 | 2008/7/7 |
誕生パーティを開いた、館長の使用人ビノード・ヤダブ19才はもう大人である。 ひげも立派に生えている。 |
顎が割れ、髭も立派なビノード19才・・ 色が白くなるとテレビで広告している化粧品を使っている。そのままの写真をプリントして渡すと、「コンピューターで顔を白く直してくれ」と要求がでる、思春期である・・ |
ひげをからかったら、早速大和屋さんの前の館長の床屋で整えてきた・・30ルピー(75円)かけて・・ |
ビノードがひそかに使っている美白剤・・マイケルジャクソンの様にはゆくまい・・ |
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銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
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2022年 05月 22日
インド門 | 2006/6/29 |
1919年アフガン戦争と、第一次世界大戦のインド陸軍の戦没者約85000人の名前を掘り込んだ、砂岩で出来た42メートルの高さの門である。 インドのお上りさんが必ず訪れる名所で、デリーに住む人にとっても格好の夕涼み地区で、いつも相当の人出である。 このインド門のあるところを示すには、観光案内には、ラジパット通りと記してあるが、どっこい素晴らしく大きな広場の端に位置する。反対側が大統領官邸である。この広場の一部は、ボートクラブと新聞で紹介されるが、全体を見ると数百万人は入れそうな大きな広場である。1月26日のリパブリックデイのパレードはこのラジパット通りを行進し、広場に観客席が組まれる。 人出があれば、それを当てにした商売が出てくるのが人情で、アイスクリーム屋の稼ぎどころである。一本5ルピー(13円)から15ルピー(38円)位の色々なアイスを売っているようであるが、館長は未だ試していない。 |
ロディー公園 | 2006/8/6 |
ニューデリーには色々公園があるが、館長はこのロディー公園が好きである。 広くて、色々な遺跡があって、植物の数も多い。しかも遺跡の一つ一つが立派で、独立の遺跡としても価値のあるものが少なくない。しかも、入場無料である点が特に気に入っている。 ロイヤルパームツリーの立派な並木は見ものである。しかも手入れが良く行き届いている。ベンチも適当にあり、恋人達の束の間のランデブーの場所にもなっている。 |
メラウリ考古学公園(Mehrauli Archaeological Park) | 2007/2/2 |
MGロードをニューデリーに向かい、クツブミナール直前にこの公園は位置する。クツブミナールに入るには料金が必要で、しかも外人は差別価格であるので、館長は腹を立てていてなかなか入らない。でもこの公園は言ってみればクツブミナールの裏庭で、しかもただであるので時々寄らしてもらう。植木園の裏でもある。 |
サンドストーンの立派な標識が立っている・・ |
クツブミナールが指呼の間である・・飛んでいるのはとんびである・・ |
墓である。逆光の撮影である |
墓の全景 |
少し近くから・・ |
こんな角度はいかがでしょうか・・ |
道路の反対側の墓である・・ |
Balbanの墓であるとの解説、1286年建立。 |
墓本体であるが、看板の解説がなければ単なる遺跡である・・ |
遺跡が映えるのは青空とトンネルである・・ |
トゥグラカバード | 2006/7/9 |
デリーの郊外、南にトゥグラカバードの古城跡がある。ギヤスウディンにより築城された城砦都市の遺跡である。正に荒城の月にふさわしい佇まいをしている。血砂岩をふんだんに使ったアグラ城や、オールドデリーのレッドフォートの派手さはないが、夕方訪れると、日本人に何かアピールするものがあるから不思議である。 城塞都市として周囲約7キロを城壁で囲っていた広大な遺跡跡で、現在は一部が住宅地に開発されている。 建設者といわれるギヤスウディンの廟が道路を隔てて南側に残っている。両方あわせて、外人の入場料は100ルピー(250円)だが、館長は払うのを潔しとせず、裏のほうから上り撮った写真が主である。 |
マハトマガンディの行進 | 2006/7/24 |
大統領官邸の真後ろの塀の外側に、このマハトマガンディを先頭とする行進の群像の彫刻がある。 ガンディを先頭にあらゆる階層(カースト)の人がその後に続くと言う大作で、非常に力強い作品である。 館長のガンディのイメージはもう少し華奢で小さな感じであるが、この作品はガンディの心の偉大さを形に表現して、大きさと力強さを見るものの心に訴えている。しかも、傾斜を登る姿勢で、正に天を目指している予感を見る人に与える。芸術としての評価よりも、ガンディの偉大さを後世の人にわかった貰いたいとの悲願を作者は彫り込んだのだと思われる。一見に値する。 マハトマとは、摩訶不思議のマカ(大きいと言う意味)にアートマ(霊、心と言う意味)が結びつけ、マハトマ=大心と言う意味で、この称号がガンディに与えられた。 |
ピアオー兼ダラムサラ | 2007/1/3 |
グルガオンからデリーに抜けるMGロードの端にダウリピアオーがある。一寸見過ごしてしまうような遺跡だが、一寸気になるものである。 このピアオーは先ず井戸がある。当時はおそらく牛に引かせて水をくみ出していたものであろう。今でもこの手の井戸は田舎に行くとよく出会う。井戸で汲みたての水を旅人や通る人たちに用意していたのであろう。 1930年と年号が書いてあるので、おそらくその頃までは使われていたという意味なのであろう。それに付随して、ダラムサラ(Dharamsara)が建てられている。ダラムサラと言うとダライラマが亡命して住み着いているところの地名を思い浮かべる人が多いと思うが、本来の意味は旅人に無料で宿泊してもらうための慈悲の建物である。旅人は寝具や食べ物は自炊で結いしていたので、雨露を凌ぐ屋根があればよかった。そういう建て方の無料宿泊施設である。 此れは、インドだけではなく、ネパールでも館長は目撃している。(ネパールではダラムサラパティと呼んでいたような記憶がある。) 今のインドでは、もっと金をかけた無料宿泊施設が、宗教的な意味のある街道などには金持ちの喜捨によって建てられていて、巡礼たち宿泊と食事の便宜を図っている。 看板にスポンサーの名前が書いてあるのがインド的である。メセナの規模も色々あり、この遺跡の維持を自分の会社のメセナ活動としているわけである。公園にも、街路樹にも、交番の建物にも、交通標識にもそんなアイディアが使われている。 |
井戸である。渡してある棒に滑車をつけてそれを牛に引かせてくみ上げる仕掛けである。今は鉄格子が嵌められているが落ち葉の間から水は視認できた。 |
ダラムサラである。ピアオーは左手前となっている。道路際のため全景が撮れていない。そのうち追加しよう。 |
ダラムサラの道路に面した部分から撮ったもので、舞台よろしく3ウォールの仕掛けである。寒くなければ此れで一夜を十分過ごせるわけである。 |
スポンサーの看板である。名前と年号が入り立派なメセナ活動である。1930A.D.のA.D.が利いている。年号であると主張している。INTACHというのはThe
Indian National Trust for Art and Cultural Heritage のことを言うらしい。復元者の身元が確りしている。 |
ジャイプール街道にあるダラムサラの遺跡である。おそらく駱駝の商隊などが一夜の宿をしたのであろう。ずいぶん広い。今は無惨にも広告塔になってしまっている。 |
外気に面した部分と、奥がある。偉い人とか、大事な人が奥で休んだのであろう。今は国道NH8号沿いにあるが、当時は、砂漠に近い荒地の中の道沿いにあったものであろう。 |
デリーでは違法建築や違法営業の封鎖等が、派手に行われている。その例外が宗教に関する遺跡である。道路にはみだす様に立てられている、寺院や墓は取り壊しから無いようで敬遠されていた。 又、デリー外ではそこまで厳しい遵法は無いようで、グルガオンでは取り壊しは今までなかった。 ところがである、館長が関心を持ったピアオー兼ダラムサラがメトロの建設のジャマとばかりに一気に取り壊された。 |
いまは使われていないし、宗教的な意味もないので密かに取り壊された。館長としては、博物館の展示物に加えておいてよかったと思っている。メトロ様が走る走るグルガオンまで。 |
デリーメトロは善でありそのために傍若無人がまかり通るような感じである・・ |
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2022年 06月 03日
レンガからブロックへ | 2008/11/3 |
以前、建築現場での変化ということで、竹から鉄パイプへの変化を取り上げた。 今回はレンガからブロックへの変化の現場である。 ムンバイ(昔のボンベイ)では、建物の仕切にレンガを使うことを禁止して久しい。新建材が事務所のパーティションに使われ始めている。 ニューデリーの建築現場では、相変わらず、レンガの仕切りや、壁が使われている。その中で、グルガオンの一角で、ブロックが使われているのが目撃される。 時代は変化をしている。 |
2008/11/22 追加 |
壁の仕切りはブロックが使われている・・ |
壁もブロックである・・通常はレンガの上にモルタル処理となるのであるが・・ |
これも建築中のビルであるが、見事にレンガを壁にもしきりにも使っている・・ |
盆栽 | 2008/12/30 |
インドでは盆栽が結構人気がある。今までに何回か盆栽の展覧会を見た。 この暑いインドで盆栽を完成させるには並大抵の努力では無理があろう・・ そうです、皆育ち過ぎになっているものが多いようでした・・ ここリッチモンドパークでも盆栽教室の案内が張り出されていた。 野菜や果物の盆栽とはどんなもんか興味をひかれる・・ |
いろいろな売り物や | 2009/2/2 |
良く飲むMGロードのスペシャル・ラッシーの並びの売物屋さんの店頭である。クムハール、ローハールなどダリット(不可触民)の製品が並んでいる。 |
素焼の貯金箱はクムハールの商品である。左後ろはベッドである。ドライ・パーンや嗅ぎ煙草も売っている。この左先が、キサーン・ハート(キサーンは農民の意、ハートは手の意)という農民の手工業品展示会場で、そけの客を当てにしての商品揃えである。 |
泥壁の家などで使われているベッドである。足の部分50センチ位が編み上げてないのが大きな特徴である。風が通って涼しいのかも・・屋上や野外でも使用される。 |
そのベッドを作る材料が売られている。木に白い塗料で番号が書いてあるのは、街路樹として登録されている木であることを示す。 |
ロハールの商品である。左端は、マーリー(庭師が使う鏝で、芝を植える時になど使う)、中ほどに金槌、手前の捻じれ棒見たいなものは草取り用の鏝、お国は中華包丁みたいな鉈、右端には各種のポンチである。外に置かれているのは、いずれも炭や自然乾溜のコークスを燃料と知る暖房、調理器具である。 |
台の左端はチャパティを焼く焙烙鍋でパンケーキも焼ける。その右は、押し切りする固定式包丁でカーブの角度が微妙である。INAなどの一場ではこの包丁を使って魚を起用にさばいてくれる。奥のぼつぼつ様のトタンの製品は鬼下ろし器である。奥に座っているジィさんがふいごを使って鍛冶の仕事をしている。 |
襤褸を纏っても心は錦 | 2009/2/26 |
NH8号には、日本のデコトラのような見事なトラック飾りの車は走っていない。五色七色を使っての絵を描くぐらいがせいぜいである。あとは、産児制限の標語だとか、魔除けの文句だとか、愛国の精神を書きなぐるとか、字での表現がある。 一方、規制が無いのか、いろいろなものをくっ付けて走っているトラックがある。オリジンは魔よけと言われるが、飾りの要素もあるのだろう。襤褸を纏っても心は錦と言う言葉があるが、まさに襤褸を纏っているトラックもいる。今日はその写真である。 |
Xに張られた黒い布が、魔除けの始まりと言われる。車の周囲のゴムの紐は、タイヤ自動掃除用の意味があるのかも・・ |
極彩色のきらきらは車飾りの店で売られているものである・・ |
布やゴムだけではなく、金属製のものをぶら下げている例もある・・ |
見事に風を受けて粋に吹き流しながら疾走している・・ |
どう見ても襤褸である・・ |
満艦飾である・・心は錦といきたいものである!! |
ターバンとヘルメット | 2008/1/28 |
インド軍の中で、シックのターバンをかぶっているものは鉄兜をかぶらなくてもよいとされる。 おそらくいろいろな議論があった末での決着であろう。 「戦場で弾が飛んで来たときに、鉄兜がないと、大変なことになるぞ。」 「我々弾なぞ問題ではない。神の加護がある。」 「戦場には神なぞおらん。」 「自分たちが大丈夫と言っているのだから、大丈夫です。」 「こんな簡単なことがわからぬのか。石頭め!」 「おっしゃる通りの石頭ですから、鉄兜はいらないのですよ・・」てなやり取りが、当時の英軍とインドのシック教徒の間にあったのであろう。その伝統が今のインド軍につながる。 軍隊でも鉄兜を不要トするくらいですから、オートバイに乗るのにヘルメットなぞは要るはずもありませんんとの議論が通り、英連邦の国々の中にはシックのヘルメット不着用を許す国が多出している。日本ではそれは通らぬ議論であろう。 工場内でのヘルメット着用をどうするかの議論がある。一考用す。 三井住友建設さんの現場では、ターバンの上にヘルメット着用を強要している様である。その証拠写真を2葉掲げる。因みに、この人たちはシークではない。 |
ダバ (DHABA) | 2006/5/09 |
北インドの街道筋にあるトラック運転手等を相手にする飯屋。大きな駐車場と、アルミの寸胴鍋をこれ見よがしに並べて、食欲をそそる演出をしている。ベジタリアンとノンベジがあるが、ベジタリアンが多い。店により味が違う。ダバで出すチャイは本場もんである。牛乳で茎茶を煮出し、砂糖を利かし、にっきと生姜も利いている 水浴び場を設けているところもある。トイレは無い様であるから当てにしてはならない。 特にデリーから北、パンジャブに向かう道路のダバが有名である。 デリーのクラレッジ(Claridges)ホテルにダバと言うレストランがあるが、本物のほうが旨いかも。 |
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太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
に位置。
2022年 05月 22日
デリーの遺跡 | 2006/6/20 |
外部から侵略してきた回教徒は、1200年代の前半にデリーを首都とした。 インドの建築技術は、回教徒が盛んに城や、墓を作り出すまでは、大したものはなかったようである。 インドにある26の世界遺産(2006/6現在)中で、人工の文化遺産は21箇所であるが、その中で、建築技術で優れているのは殆どが回教徒が作ったものである。(それ以外の遺跡は、文化遺産としての価値は、建築技術が劣っていたとしても決して減じるものではない。) その回教徒が、首都としたデリーには、レッドフォート、フマユーンの墓廟等の巨大な素晴らしい遺跡が数多くあるが、それ以外にも町のどこにでも回教徒の史跡が散在する。その数は1000箇所を超える。(日本の専門家が1950年代の終わりに調査した報告書があるはずである。) インド政府は、これらの史跡の中から保存に値すると思われるものを保存するように努力している。国家財政厳しいときも、この努力は継続された。既載したデリーゴルフクラブ内の遺跡も、保存の措置のとられているものと、朽ちるに任せるものがあるようだ。 ここに載せた写真はハウスカースの住宅街にあるものであるが、日本ならさしずめ遺跡饅頭か羊羹が売り出されそうな遺跡と思うが、ひっそりとたたずんでいる。館長は一見に値すると思うのでカメラを向けた次第である。 |
国立博物館 | 2006/7/2 |
コルコタの博物館はインド博物館と言うが、デリーのは、国立博物館とう。どっちが格が上かと言うと、コルコタと言う人が多いだろう。古さといい、いや歴史といい、展示物の偉大さといい、歴史的意義といい、その規模といい、問題なくコルコタである。 入場券 |
タジマハル | 2006/10/7 |
今まで館長は何回タジマハルを見物するためにUP州のアグラ市を訪れたのだろうか。 1961年の第一回の訪問は、日印親善学生使節団の時であった。そのときはビビカマクバルの廟を見た後であったので、ムガルの人たちは皆こんな廟を死んだ夫人のために立てるのかとの感想を持った。 家族で訪れたことも有る。月光のタジマハルに感動したことも有る。会社の人たちと団体で訪れたことも有る。でも、一番多かったのがお客を案内するいわゆるアテンドと称する観光案内であった。 ガイドにもそれぞれ思い出がある。日本の製鉄メーカーの方々を案内したとき、ガイドより通りがかりの12~3才の子供がとても調子よく一行に絡んでくれて、暑さも忘れて会話を楽しんだこともあった。今頃彼はどうなっているのだろうか。 何時行ってもタジマハルはタジマハルで変わらない。写真にならない。暑い。廟内が匂う。物売りがしつっこい。綺麗である。親しみがない。左右対称である。偶像崇拝を否定する回教の中での建物に対する規制はないのかとの感想。このままでは最終的には世界は回教徒の廟や墓で埋め尽くされるのではないかと言う恐怖。 変わったのは、世界遺産に指定され、いまや入場料と言うか拝観料と言うかチケットが外人用は750ルピー(1875円)と高くなったことであろうか。インド人観光客は20ルピー(50円)である。インド人観光客と書いてあるのは、廟を信仰の対象としてのお参りや、祈りを捧げてはならないという意味であろうか。又、持ち込める品物が限定されれるのはテロ対策とはいえ味気ない世になったものである。でも、カメラが許されているのは救いである。カメラ付きの携帯は不可である。 素朴な疑問が有る。タジマハルの名前の由来である。 ご存知、シャージャハンと言うムガルの王がその亡くなった夫人のために作った墓所である。その夫人は、19才のときに嫁ぎ、38才で14人目の子供を生む時に亡くなった人もうらやむ多産系の夫人であった。彼女の名前はArjumand Banu Begumであり、ムムターズマハル(Mumtz Mahal=宮廷の慈宝、ペルシャ語)と呼ばれていた。それで、タジマハルと呼ばれるらしい。 タジマハルの建設には22年(1631年から1653年)かかり、その材料は、インド国内、周辺のアジアの国々から集められた。白色大理石は、国内のラージャスタン産であり、、ジャスパーはパンジャブから、ジェードは中国から、トルコ石はチベットから、ラピスラズリーはアフガンから、サファイアはシュリランカから、カーネリアン(赤瑪瑙)は中近東からと28種類の宝石や貴石が白い大理石に埋め込まれた。 このインレイ技術を引継いだ大理石に貴石を埋め込んだテーブルトップやお皿などがアグラの名物になっている。 インドの回教徒は、デリーのジャママスジッド(Jama Masjid)とタジマハルをお参りするとハッジ(イスラーム教徒が実践しなければならない「イスラームの五柱」の一つで、決められた時期にサウディアラビアのメッカで巡礼することです。日本語では「大巡礼」とも呼ばれています。それを行うと一人前になり、それなりの帽子をかぶる。)に成れると言うローカルルールがあると聞いたことが有る。インディアンハッジである。そのため、タジマハルをお参りする回教徒が多いが、祈りを捧げる人は見当たらない。 これからも何回かタジマハルを訪れることになるのだろうか。訪れるたびごとにタジマハルは変わらないが、館長が変わってきている。アグラ城からタジマハルを望んだときに感じた感激も、いまやアグラ城まで行ってこの白亜の廟を見る気力もない。後ろを流れるヤムナ川を越えて向うの黒い廟を自分のために作ろうとしたシャージャハンが残した土台跡に感慨を馳せる気も昔と違っているようである。丸ビルの何倍かとの感慨もいまやその丸ビルがないのであるからして・・ でも何回訪れてもそれなりの興感と感慨があるのであるから、タジマハルもなかなかのものである。堂々たる世界遺産である。富士山に登らぬ馬鹿と、二度登る馬鹿と言う言い方が富士宮にはあった。館長は3回登っている。 |
門扉である・・打ち出したものか、鋳たものか、なかなかのものである・・ |
敷地内に有る正面の門である・・大理石と砂岩のバランスが大変良いと館長は思う・・ |
熱弁をふるうアリ君23才・・独身である・・大学生である・・ |
砂岩を彫りぬいた技術に脱帽である・・砂岩は硬くて劈開しやすいので、彫りぬいて一体ものを作るのは大変だろう・・ |
砂岩に浮き彫りしたものである・・線を彫るのではなく、線を残して浮き彫りを完成させる根気に敬意・・ |
タジマハルの写真を載せなければとの思いでの写真である・ |
廟の入り口の左側・・ここは砂岩ではなく、大理石の透かし彫りと、インレイワークである・・このインレイがお土産の元となっている・・ |
お土産屋のインレイワークより品格が有る・・使う貴石の厚さも違う・・3倍くらい違うようである・・ |
大理石に刻まれたレリーフであるが、チューリップの描写に嘘がある・・1961年来疑問に思っている・・未だに枝分かれしたチゥーリップを館長は見ていない・・ |
この辺りの装飾も館長は好きである・・ |
タジマハルの本体の裏側である・・右奥はヤムナ川・・本体の影で休んでいる・・心の中では礼拝をしている回教徒もいるのかも・・ |
抱くの所へ掲載したい絵でもある・・ |
大理石のインレイワークを施した象の像である・・ |
同じく壷である・・文様に品格が失われているように館長には思われるがいかが・・ |
パンク | 2006/7/15追加 |
街道で、賽の河原の石積みのようにタイヤを積み上げたものを見つけたら、それは、パンク直し屋である。 住宅地の、自転車、バイクを扱うところでは、実際パンクを直してくれるが、街道筋のトラック、乗用車には、タイヤにコンプレッサーで空気を入れるのがせいぜいであろう。 |
新興住宅地のパンク直し。隣はペンキ屋で、一寸した車の引っかき傷をタッチペイントでつくろいます。看板はヒンディーでぺンチャルと描いてあります。 |
どうも自転車のタイヤは積み上げるわけにはいかないので、ところかまわず引っ掛けたり、投げ上げたり、ぶる下げたりしてます。もう少し整理をして欲しいものです。 |
ツグラカバードの近所のパンク直しやさんです。ずいぶん繁盛してます。スクーターが得意の店でしょうか? |
一寸やりすぎではないでしょうか。整理をしてください。埋没しそうです。でも人気は有るようで、何時も行列です。 |
インドの定員 | 2006/5/30 |
5人乗りはいつ見ても感動ものである・・ |
男の子3人の兄弟であろうか・・これ見よがしに疾走する家族にとって、男の子3人は、嫁が持ち込む持参金を考えると大変な財産である。 |
44度を超える中、山盛りのオートリキシャである・・20人以上あるいは30人以上乗っているようである・・ 乗るほうの忍耐もさることながら、それでも動くバジャジの三輪車の力強さょ・・ |
インドにはインドの定員がある。と言うか、最大積載量が決まっているようである。自転車は4人、スクターは5人、バイクも5人である。 |
全てオウンリスクで乗るのである。ジャイプール街道の三輪タクシーは、運転席に客が4人、その後ろに運転席に背を向けて4人、それに向かいあって4人、車の外に向かって座るのが4人、外にぶる下がるように?まるのが若干名、屋根の上が若干名で、以上足すと合計20名を超えることになる。 |
逆 走 | 2006/6/13 |
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夕涼み | 2006/6/28 |
リッチモンドパークに住む館長は、仕事帰りに、フラットの芝生で夕涼みをしているこどもっちや、若いお母さんや子守たちの寛ぐ姿を見ると、心が癒される。 この辺りは、大陸性の気候で、一日の最高気温と最低気温は15度~20度違う、又一年の最高温度と、最低温度は約40度違う。最高は45度全土で最低は5度前後である。 通常であれば、モンスーンのデリー到着は6月29日とされるが、今年のモンスーンは遅れそうとの気象庁の発表あった。でも周辺は雨が降っているようだし、夕方になると一寸涼しくなる。 それで、子供や、奥様方がアーヤーと呼ばれるメイドを連れて芝生に繰り出し来る。心温まる風景である。 |
デイバッグ | 2006/7/11 |
インドには日本のランドセルのような決まった通学用のバッグは無いようである。従って勝手なバッグを使って通学している。又、ハイスクールなどでは、お仕着せのバッグも無いようである。 リッチモンドパークに住む家族の子供達はしゃれたデイバッグを通学用に使っているのが多いようである。 |
牛飼い | 2006/7/20 |
カワルの写真を撮っていたら、牛飼いのジーサンがやってきた。「カワルの写真を撮っているのか。」とのたまわったので、そうだと答えると、俺のも撮れと言う。 撮って、名前は何だと聞くと、大したもんじゃないと、腕をニューッと出した。そこには刺青で、「バラットラム」と言うでっかい名前が書いてあった。 良い名前じゃないかと言うと、又笑った。館長のヒンディー語が通じた。 |
グルガオンのオフィスビル | 2006/8/9 |
グルガオンのオフィスビルは、ガラスの壁面を強調するところが何か皆似ている。日系企業も何社か入っている。 使い勝手はどうなんだろうか。 |
太い色鉛筆を長短2本立てた様なこのビルはグルガオンのコールセンターの象徴のようによく取り上げられるビルである・・館長の散歩一時間コース上にある・・ |
デリーは冬支度 | 2006/11/17 |
デリーの気温は、7度~24度と冬になりました。町も冬支度です。 冬の名物の、蚊の活躍が活発です。今年は、デング熱、マラリアの発生が派手に報告されているので、蚊は脅威です。大和屋さんで蚊取り線香一箱(百円ライター付)、380ルピー(950円)で売られている。 寒くなると、頬被りをする人がでてくる、ショールを身体に巻きつける人がでてくる、布団屋さんが元気になる、霧が発生する。 |
ダルヘラでスクールバスを待つ女学生も、冬のファッションです・・ |
頬被りが寒さを防ぐ定番のようです・・ |
蒲団屋さんの店先が、賑やかになるのも冬の風物詩です・・ |
インドの防寒は頭から始まるようである・・子ども達に帽子をかぶらせている・・ネパールでは、背負子を背負った男が半ズボンで帽子をかぶって零度以下の環境で働いていたのをよく見たが、どうもこの辺りでは、頭を防寒する習慣があるようだ・・ |
カーンマーケットの、電気屋の店先は暖房器具が積み上げられている。 なぜか、事故を起こしたトヨトミの製品も有ったりして・・ |
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太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
コールセンター -その2- | 2007/6/13 |
インドにアメリカ系のコールセンターが出来始めたのは何時ころだったろうか。恐らく、1990年代の中ごろでもあったろうか、随分前の話だと記憶する。 そのとき気の早いインド人はすぐに日本向けのコールセンターの話を持ち出した。そして、日本が英語で動いている国でないことをしり、じゃーインド人に日本語を教えればと言う話になり、アイディアは消えていった。 ところがである、日本向けのコールセンターが動き出した。 現在18名の若い日本人が働いているという。男性は2名で、年齢は20代が大勢を占めるという。給料は、詳しくは知らないが、大体2万5千ルピー(7万5千円弱)位からとか。 そろそろ実質的な仕事が始まったようである。 館長が感服したのは、募集を見て日本から応募して来た人が大半を占めるということにである。ヨガと英語を働きながら身につけるという目的で来ている人もいるし、インドが好きで好きで堪らない人もいるようだ。手取り2万5千ルピーと言うとインドではManager(課長)くらいの給与であるが、一般の日本人駐在員などと較べると桁違いの処遇である。そこで頑張っているのに感服するのである。 インドに日本人が対応するコールセンターが誕生したこと、インドに若い日本人が職を求めて渡来すること、そういう時代になったのである。 |
若さが貴重な財産です・・インドに懸けても損はないと館長は思うのである・・ |
テラ・ワラ(四輪屋台) | 2007/10/24 |
自転車の四輪の上に台をつけたものをテラという。それで商売をする人をテラワラという様である。 その台の上に乗せるものでいろいろの商売が始まる。 |
その1 ピーナッツ・ベンダー ここで紹介するのは、ピーナッツを主とした屋台である。しいていえば、ムンフリーワラというべきか。彼の屋台の上には、中央部に主役の殻付きピーナッツが盛られている。すでに火を通してあり、その上に、即売用の部分を温める火鍋が置かれる。ピーナッツの周りには、おこし、米の爆弾あられを固めたもの、ゴマを飴で固めたもの、ひよこ豆の塩煎りなどが並べられている。 大体が100g8ルピー(24円)程度でる。 ヒンディ語で塩のことをナーマックという。これにはNMKという3個の子音が含まれている。アラビア語やウルドゥー語ではこの3個の子音が、単語の意味を決める。その影響がヒンディー語にも表れるようである。 日本ではピーナッツのことを南京豆といった。これが英語でもナンキンビーンとなり広がったのではないかと、館長は思っている。 北インドで、ナムキンというと塩味のスナック菓子をいう。ピーナッツのことはムンフリーといい、南京豆とは全く異なる発音である。 しかし館長は思うのである、インドのナムキンとナンキマメは必ず関係があったのであろうと。どなたか意見を出してくだされば幸いである。 4輪屋台の全貌である。 |
殻付きピーナッツをいる鍋である。砂が入っている。 |
中央がピーナッツで、火鍋を乗せてその下が温まるようになっている。 |
秤は商売道具である。インド人はバネバカリを信用しなし。分銅秤が幅を利かしている。ただし分銅に仕掛けがあるというインド人もいる。 |
テラの全景である。左端に後ろを向いているのが、店主のジーさんである・・ |
ジーさんがようやく顔を写させてくれた・・なかなか味のある顔をしている・・ |
その2 シンガラー売り 丸の内の湿地帯に菱が生えていたので、その葉の形状から三菱という商標が始まったと聞いたが本当なのだろうか。 その菱の実をシンガラーという。生食もするが、茹でてほくほくの甘味を楽しむのが冬入りの風物詩である。 館長の観測では、葉だけではなく、実も菱形であるような気がする。 その実と同じ形をしているということで、小型のサモサがシンガラーと呼ばれる。サモサより辛めの感じがするのは館長だけの感覚なのだろうか。ノンベジのサモサはあまり遭遇しないが、ノンベジのシンガラーは乙なものである。 これは、野菜(果物?)のシンガラー売りである。湯気が出ていた。 |
その3 デワリ商品 テラワラの特典は簡単に商売代えができることであろうか。デワリの際物を売るためのテラワラがその典型でもある。 左手はかわらけ(テラコッタ、素焼)の燈明皿を売っている。胡坐をかいて座っているのはマスコット・ボーイであろう。 右手は、ゲンダを売っている。 |
その4 リンゴ売り 色の良い林檎を積んでいる・・ |
その5 果物売り2台 左は小ぶりの色の悪いリンゴである。右はご存じバナナである。ここはごく庶民を相手の商売やが並んでいる・・ |
その6 焼き芋うり さつまいもを焼いたものを売っている。そえものはスターフルーツである。ちょっと高級なおやつである。昔は家具屋が結構存在感を売り物にしたパンチクイーン路である。 |
その7 ピーナッツとポプコーン 右の鍋でピーナッツは煎り、ポプコーンの爆ぜかして作っている。いわば、製造直売である。 |
銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 06月 03日
太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
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インド交通事情 | 2007/10/6 |
インドは車は左である。人はオウン・リスクで好き勝手に歩いている様である。 信号の長さを、館長は二つに分類する。シンガポール型とバンコック型である。シンガポール型は、信号の変わりがめまぐるしいくらい早い。バンコック型はうんざりするほど一つの信号が長い。館長は一つの信号で1時間以上待たされた経験がある。 日本はその中間であろう。インドはその日本とバンコックの中間であろうか。だからなかなか信号が変わらず、うんざりすることが多い。最近の信号では信号が変わるまでの残りの秒数を電光掲示するものが出てきている。 長いものは180秒以上を掲示している。3分である。 インドの伝統ある大都市では、Raj時代(英国統治時代)の名残のロータリーが残っている。馬車の時代の遺物である。そこへ、百万台の自動車が毎年投入されてきた。従い、車があふれ大渋滞が発生する。ロータリーをスムースにうまく抜けるのは本当に大変である。 インドの運転の見切りがすごい。宮本武蔵はその五輪の書で見切り3寸と説いたという。相手の太刀筋から3寸離れていれば、切られないとの極意を説いたという。インドの運転は見切り1寸である。人と車、車と車、車と自転車、車と牛などがすべて1寸の見切りで動いている。 中には見切りを間違え、接触事故を起こす車もかなりの頻度で出てくる。車の表面にその戦果を物語る傷持が多い。事故の保険は自分の車は自分の保険で修理することになっていることはすでに報告した通りである。保険の更改期に保険料が上がるのを避けるため、小さな傷、いや車が動いている間は、保険求償は行わないオーナーが多く、従い傷持ちの車が多く見られるわけである。 インドでは、こんなに自動車が増えることは想定外であった。従い渋滞に対する対策ができていない。日本の様に系統式の信号システムは導入されてない感じがする。また駐車が大問題である。インドの今までの建造物では地下に駐車場を設ける考え方がなかったので、自動車は建物を囲む狭い前庭・中庭・後庭に二重三重に駐車を強いられ、そこに止められない車は、路上駐車を強いられる。路上の駐車場は、政府がテンダーにより業者を指名して、業者は駐車料金を集めながら駐車をさせている。駐車する度に、5ルピー(15円)・10ルピー(30円)と駐車料金を取られる。時間は関係ないようである。 デリーの中心部のコンノート・プレイスでは、狭い駐車場に車が2重3重に駐車させらあれ、そこから出るときには、知恵の輪を解くように手で車を動かし所定の車を道まで誘導するのが、駐車場係員のあんちゃん達の重要な仕事になったいる。同じような光景がINAマーケットでも見られる。 最近のサケットあたりのオフィス・ビルでは地下2階まで駐車場を用意するところも出てきているが、日本と違いほとんどの上級職(マネージャー以上)は、社有車で通うか自家用車を通勤に使うため、スペースが足りなくなっている。 道路にはレーン(車線)が敷かれているが、ほとんどが無視される。デリー・グルガオン間が片道4車線の高速道路が開通したが、レーンを勝手に変えながら楽しげに走っている。レーン変更のインディケーターを使っている車はほとんど見当たらない。 バス・レーンもあるようだがこれもあまり効果を発揮していないようである。バスの運転は、乱暴で傲慢である。そこのけそこのけとばかりに暴走に近い形で走り回る。バスの車体はその結果の名誉の傷で満身創痍である。 最近デリーのポリスはスピードガンを利用して、スピード違反の取り締まりを行っている。館長の車も今週その洗礼を受けた。58キロ出していたとて、18キロオーバーで切符を切れれた。チャラン(罰金)900ルピー(2700円)であった。運転手の懐からの出費は痛いであろう。 インドで一番日本と違うのは、警笛についてである。警笛は鳴らす為にある。その頻度と音の大きさは半端ではない。日系の自動車会社はインド仕様として警笛を強化していると聞く。とにかく乗っているものは、乗っている間中同じ警笛音を聞かされ続ける。口で警笛を鳴らすなと運転手に言っても、永年の習慣は治らない。マルチスズキのある日本人技師は、自分の車の警笛のコードを断線して警笛を零にしたという。不思議なことに、鳴らされた前の車や、人が日本のように食ってかかる図はない。お互い様ということか。 昔インドの国会で如何にアンバサダーが不良な車であるかと議論されたことがあったそうだが、その時の議論の一部が頭に残っている。「購入して3か月たつと、アンバサダーは警笛以外のあらゆるところから音が出るようになる。」というもので、インド人のユーモアに感心した。 もうひとつ、インドでは直進信号が赤であっても、左折は特に禁止の表示がなければ自由である。丁寧に左折自由とわざわざ表示を出している交差点もある。道路が広いのとコーナーが角ばっていないからできる技であろう。 インドで自分で車を運転する日本人は数少ない。日本大使館のスタッフとか大和やさんの成松さんとか限られている。普通の日系企業では運転を禁止しているところもあるようだ。 でも、自家用車を運転するのはインド人にとって当たり前のことで、女性のドライバーのよく見かける。サリームくんは姫トラは危険と言っていたが、これは日本と同じようである。 |
左折自由の標識 |
堂々たる片道4車線。NH8(国道8号線)グルガオンとデリー間。車線変更が頻繁に行われし、二輪車がでたらめに車線を無視して走る。 |
駐車場は、2重3重に駐車させられる。手動で必要な車を動かし知恵の輪のように外へ出す。サロージニ・ナガル・マーケットの駐車場である・・ |
まだましな感じのバスである・・ 1950年代のはじめに阿佐が谷から豊島園を往復していたバスがこんな感じであった・・ |
バスは/~来るバスも、また来るバスも、みな同じ、満身創痍の、暴走の跡(キズ)・・ |
コンノートプ・レイスの駐車の現状・・ この狭い駐車用にいかに多くの車を止めるかが、駐車係りのアンちゃんの腕であり、要求された車の出し入れも舌を巻く熟練度である・・まさに知恵の輪の技術である・・ |
ニームラナ工業団地 | 2007/10/9 |
JETROがラジャスタン州の開発公社であるRIICO(
Rajasthan State Industrial Development & Investment Corporation
Ltd. )とMOU(memorandum of
understanding)を交わし、日本企業の誘致を行っている工業団地が、ニームラナ工業団地(Neemrana Industrial
Area)である。 ニームラナ工業団地は、Phase-1, 2,が既にあり、今回Phase-3が日本企業誘致に充てられている。すでに日信ブレーキがその嚆矢となって地鎮祭を行っている。日信の工場建設は、オリンピックで名をはせた長野の北野建設が行う。 二番手が、三井化学で、11月が地鎮祭と聞く。 ニームラナ工業団地のデータの一部である。
衛星写真で日本向けの地域が確認できる。 | |||||||||||||||||||||||||||
山が見える地域である。ラジャスタン州ではいろいろな石が産出する。岩山があるのである。 | |||||||||||||||||||||||||||
まだ何もない所に道路建設が始まっている。工場にとっては処女地で、先代の工場からの埋蔵物の危険は全くない。 | |||||||||||||||||||||||||||
山肌は背の低い灌木や草に覆われている。大木が育つほどの雨量はない。 | |||||||||||||||||||||||||||
近くの村の文化的あるいは、宗教的な施設があることがあるので注意が肝心である。 | |||||||||||||||||||||||||||
道路に先駆けて橋の建設が行われていた。 | |||||||||||||||||||||||||||
日進ブレーキのサイトである。この時期には珍しい雨の後であったので、ぬかるんいた。 | |||||||||||||||||||||||||||
麗々しく看板が・・ |
外人登録とPAN | 2007/10/10 |
インドで日本人が仕事をするときに必要と思われるのが、諸外国の例からワークパーミットという考え方である。しかし、インドではワークパーミットはない。 日本を出る前に、必要な書類を必要な所定の様式で、インド大使館あるいは領事館に提出して、Employment Visaをとり、インドに入国してから14日以内に所轄の外国人登録を扱う警察署に登録をすると、登録証を発行される(いわゆる外人登録であるが、事務所の所在地でなくて本人が住んでいる場所により登録する場所が決まる)。 このEmployment Visaが書類さえ整っていれば、東京のインド大使館で1日でとれる。外人登録も書類さえ整っていればこれまた1日でとれる。簡単といえば簡単である。 これに基付き、納税番号(PAN NO=Permanent Account Number通常10桁のアルファベットと数字からなる)を所轄の官庁から発行してもらう。これには数週間かかるが必ず出るから心配はいらない。 この登録証とPanカードがワークパーミットの代わりをする。 外人登録は、ニューデリーの事務所に通っていても、住居がグルガオンであれば、グルガオンで登録する。 館長はグルガオンに住むので、グルガオンのハルヤナ州政府のDistrict Centre にあるMini SecretariatのFRRO(Foreign Resional Rsistration Officer)のところに出頭して登録を行った。半日仕事であった。 先ず、FRROのMr.Subhshの前に出頭して、所定の書類を提出する。彼はそれをチェックして、助手のMr.yogindraに渡す。ヨギンドラさんは、それを原簿に記帳する。その原簿は一人一ページが与えられ、パスポートの詳細から、ビザの詳細、現住所などが記入され、最後に本人のサインで締めくくられる。そして、やおらパスポートに、外人登録がヨギンドラさんの手書きで記入される。これでこの部屋での作業は終わりである。 あとは、その原簿に別室(2階)にいる警察副署長(Deputy Commisioner of Police)のサインが入れば完了となるのだが、彼がいないと彼が席に戻るまで待たされる。彼のところへ、原簿を抱えたヨギンドラさんと出向くと、列を作って今っている人々を飛び越え、彼の大きな部屋荷入り込む。彼はすべてを了解していて、ヨギンドラさんの差し出す原簿にサインする。その時本人は彼の前に立つことになる。そして握手して終わりである。その間5秒くらいであろうか。これですべてこの建物での今日の仕事は終了である。11時から1時までのことであった。 おそらく明日には外人登録証が発行されるであろう。館長の場合前の時のPANがあるので、これは新たにとる必要はない。会社と住居の変更を届け出すればよい。 で、その外人登録は1年限りの有効で、一年たつを延長のお願いをする。それを提出すると、まずFRROより3か月の延長の許可を頂く。FRROは3か月の延長をした後、Home Ministry(内務省)にお伺いを立てる。内務省がご機嫌良ければ、3か月以内に9か月の延長の許可がFRROに連絡される。そうするとめでたく、都合一年の延長が出来たということになる。内務省がご機嫌悪かったり、書類が内務省の意に沿わない場合は、3か月の延長を再度言い渡されたり、Under Consideration(考慮中)という返事になったりする。 Under Conswiderationは勝手に解釈して通知が来るまで有効として暮して全く問題はない。3か月の再度の延長の場合は期日が来たら、日本に戻りまたEmpolyment Vizaの取り直しから始める羽目になりかねない。 何が決め手で、書類の不備となるのか理由の説明がないのでわからないので困る人がいる。何が原因でご機嫌が悪くなるのかも、測りかねることであり、これまた困ったことだとこぼす人もいるようだ。でも規則は規則故合法的になるように対応するしかないようである。くれぐれも不法滞在で国外追放にならないように注意が肝心である。 インドは書類の国でもある故、書類を馬鹿にしてはいけない。必かつ十分な書類を作ることに努力を傾注するに越したことはない。 |
Mini Sewcretariat ンお入り口である。チャンディガが本省故、出先のグルガオンにミニを作ったということで、車で6時間かけてチャンディガ参りするより便利になっている。 |
正面玄関である。FRROは左手の3階(日本流の4階)故、正面からは入らない。 |
前回のときは、だだっ広い倉庫の片隅に机があって、なんか外人部隊が駐留しての仮事務所みたいな感じであったが、今回は4畳半程度のガラスの小部屋が作られ、そこにFRROが鎮座して、それを取り囲み申請者とそのエイジェントがたむろしている感じになっていた。ここに映っているのはすべて申請者とそのエイジェントで、FRROのMr.Subhashは右手前のコンピューターに掛かりっきりで画面に映っていない。ガラス越しのこの一枚が限度である。なんせ警察の中である。 |
隣の事務局の部屋である。積み上げれれた書類は比較的新しい感じがする。でもあの中に入れられたらちょっと検索不可能になるのではないかと心配である。 |
ニームラナへの日系進出企業 | 2007/11/24 |
信頼すべき筋によれば、ニームラナ工業団地に進出を決めた企業は12社と言う。 そのうちの 日信ブレーキ ACI はRIICOとすでに土地のリース契約に調印して、地鎮祭を済ませている。 RIICOは前金を納入した下記の7社に土地のアロットメン・トレターを発行している。 トヨタ合成 Nippon Express 今仙 帝国ピストン Exedey IIT Corporation (縫製の検査会社) 天竺トレイディング(レストランとホテル) これから、アロットメント・レターを出す先として、次の3社が挙げられる。 ダイキン(40エーカー) 三菱化学(15エーカー) タカタ機械 その他、丸紅、C-ITOなど目白押しと言う。40社のまんざらあり得ない話ではないようである・・ |
New Industrial Complex (Majrakath) Neemranaの地図である・・ |
ラジャスタン州のフォーク芸 | 2007/12/4 |
ラジャスタン州のフォーク芸 11月30日・12月1日にラジャスタン州の州都ジャイプール行われたSurgent Rajasthan : Partner Summit(ラジャスタン州の覚醒:パートナーサミット)の夕食会が、州首相のラジェ女史の主催で、ジャイプールからファティプルシクリに向かった郊外のシソディア王女の庭園(Sisodia Rani ka Bagh)で行われた。 その時紹介されたのがラジャスタン州のフォーク芸である。気候がベスト、少し涼しいくらいの気温で、まさに王者の気分を満喫できる庭園での供宴は観光ラジャスタン州を的確に出席者にアピールしていた。観光も忘れてないでとの、ラジェ女史の巧みな演出である。 |
総勢30名の大楽団の演奏は、迫力があった。また各パートのソロ演奏もなかなかのもので、声を作らない自然のボーイソプラノにも感心した。 |
顔を見せない奥ゆかしい演出のフォークダンスである。 |
昼間の会議の司会、饗宴の司会進行も彼女がやった。高名な人であろう。ややハスキーの声と、上流階級を思わせる立ち居振る舞いも大したものであった。 |
男女共演のダンスである。踊り込みが行われていることが良くわかる。 |
頭にものを載せるラジャスタン州の風俗を取り入れたダンスは観光用としても有名である。今夜は、脇に回っていた。 |
フィナーレの場面である。まさに会場をうまく使っての全展開である。圧倒的な迫力で会った。 |
フィナーレは踊り手たちは興奮していた・・ |
少年も忘我の体で声を張り上げていた・・ |
楽器の演奏にも負けない声であった・・ |
楽団の団長である。ゴスワミト名乗っていた。日本にも行って演奏したと胸を張っていた。 |
声を出せば腹がふぇる・・たくさん食うがいい! |
会場の全貌。立派な庭である・・ |
フォーク芸を見守る招待客・・ |
太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。
2022年 07月 30日




ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 太陽系は約46億年前 18代インド首相 前グジャラート州首相
2022年 06月 03日
コールセンター -その2- | 2007/6/13 |
インドにアメリカ系のコールセンターが出来始めたのは何時ころだったろうか。恐らく、1990年代の中ごろでもあったろうか、随分前の話だと記憶する。 そのとき気の早いインド人はすぐに日本向けのコールセンターの話を持ち出した。そして、日本が英語で動いている国でないことをしり、じゃーインド人に日本語を教えればと言う話になり、アイディアは消えていった。 ところがである、日本向けのコールセンターが動き出した。 現在18名の若い日本人が働いているという。男性は2名で、年齢は20代が大勢を占めるという。給料は、詳しくは知らないが、大体2万5千ルピー(7万5千円弱)位からとか。 そろそろ実質的な仕事が始まったようである。 館長が感服したのは、募集を見て日本から応募して来た人が大半を占めるということにである。ヨガと英語を働きながら身につけるという目的で来ている人もいるし、インドが好きで好きで堪らない人もいるようだ。手取り2万5千ルピーと言うとインドではManager(課長)くらいの給与であるが、一般の日本人駐在員などと較べると桁違いの処遇である。そこで頑張っているのに感服するのである。 インドに日本人が対応するコールセンターが誕生したこと、インドに若い日本人が職を求めて渡来すること、そういう時代になったのである。 |
若さが貴重な財産です・・インドに懸けても損はないと館長は思うのである・・ |
テラ・ワラ(四輪屋台) | 2007/10/24 |
自転車の四輪の上に台をつけたものをテラという。それで商売をする人をテラワラという様である。 その台の上に乗せるものでいろいろの商売が始まる。 |
その1 ピーナッツ・ベンダー ここで紹介するのは、ピーナッツを主とした屋台である。しいていえば、ムンフリーワラというべきか。彼の屋台の上には、中央部に主役の殻付きピーナッツが盛られている。すでに火を通してあり、その上に、即売用の部分を温める火鍋が置かれる。ピーナッツの周りには、おこし、米の爆弾あられを固めたもの、ゴマを飴で固めたもの、ひよこ豆の塩煎りなどが並べられている。 大体が100g8ルピー(24円)程度でる。 ヒンディ語で塩のことをナーマックという。これにはNMKという3個の子音が含まれている。アラビア語やウルドゥー語ではこの3個の子音が、単語の意味を決める。その影響がヒンディー語にも表れるようである。 日本ではピーナッツのことを南京豆といった。これが英語でもナンキンビーンとなり広がったのではないかと、館長は思っている。 北インドで、ナムキンというと塩味のスナック菓子をいう。ピーナッツのことはムンフリーといい、南京豆とは全く異なる発音である。 しかし館長は思うのである、インドのナムキンとナンキマメは必ず関係があったのであろうと。どなたか意見を出してくだされば幸いである。 4輪屋台の全貌である。 |
殻付きピーナッツをいる鍋である。砂が入っている。 |
中央がピーナッツで、火鍋を乗せてその下が温まるようになっている。 |
秤は商売道具である。インド人はバネバカリを信用しなし。分銅秤が幅を利かしている。ただし分銅に仕掛けがあるというインド人もいる。 |
テラの全景である。左端に後ろを向いているのが、店主のジーさんである・・ |
ジーさんがようやく顔を写させてくれた・・なかなか味のある顔をしている・・ |
その2 シンガラー売り 丸の内の湿地帯に菱が生えていたので、その葉の形状から三菱という商標が始まったと聞いたが本当なのだろうか。 その菱の実をシンガラーという。生食もするが、茹でてほくほくの甘味を楽しむのが冬入りの風物詩である。 館長の観測では、葉だけではなく、実も菱形であるような気がする。 その実と同じ形をしているということで、小型のサモサがシンガラーと呼ばれる。サモサより辛めの感じがするのは館長だけの感覚なのだろうか。ノンベジのサモサはあまり遭遇しないが、ノンベジのシンガラーは乙なものである。 これは、野菜(果物?)のシンガラー売りである。湯気が出ていた。 |
その3 デワリ商品 テラワラの特典は簡単に商売代えができることであろうか。デワリの際物を売るためのテラワラがその典型でもある。 左手はかわらけ(テラコッタ、素焼)の燈明皿を売っている。胡坐をかいて座っているのはマスコット・ボーイであろう。 右手は、ゲンダを売っている。 |
その4 リンゴ売り 色の良い林檎を積んでいる・・ |
その5 果物売り2台 左は小ぶりの色の悪いリンゴである。右はご存じバナナである。ここはごく庶民を相手の商売やが並んでいる・・ |
その6 焼き芋うり さつまいもを焼いたものを売っている。そえものはスターフルーツである。ちょっと高級なおやつである。昔は家具屋が結構存在感を売り物にしたパンチクイーン路である。 |
その7 ピーナッツとポプコーン 右の鍋でピーナッツは煎り、ポプコーンの爆ぜかして作っている。いわば、製造直売である。 |
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