ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。 18代インド首相 前グジャラート州首相

 


ラディックスについてご案内いたします
商   号株式会社 ラディックス
所 在 地広島市中区西川口町18番7号
 Tel (082)233-6565(代)
 Fax (082)233-6300
代 表 者代表取締役社長 有冨 淳一(ありどみ じゅんいち)
 社長略歴 昭和30年(1955) 7月21日生 満59才
 昭和54年(1979) 3月 広島大学理学部物理学科卒業
 昭和63年(1988) 4月 (株)ラディックス入社
 6月 同社常務取締役システム開発部長就任
 平成 8年(1996) 6月 同社代表取締役社長就任 現在に至る
 関西棋院6段(囲碁) 朝日アマ十傑戦広島県代表(平成6年)
創   立昭和63年(1988)4月
資 本 金2000万円
売 上 げ約5500万円(平成21年度実績)
従 業 員 数10名(うち女性3名)
平 均 年 齢32.3歳
取 引 銀 行

三井住友銀行 広島支店
広島銀行 本川支店
もみじ銀行 堺町支店
広島信用金庫 本店
組   織組織図はこちら
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
弊社社員の25年間にわたる透析体験を電子書籍にしました
~透析日記~                               担当:佐々木 吉照
 はじめに
 思いも寄らなかった『透析』と付き合うことになった人生も齢52超えとなり、人工透析を行って来た年月が健康であったそれを遂に越える時が近づいて来た。今日まで、人生のほぼ半分を健康体と透析患者として過ごして来たわけだが、健康体期間には幼少時が含まれているからか、殆どが透析と二人三脚であったように思える。
 25年を越える長期透析患者の中では、私は比較的トラブルも少なく順調に透析生活を送って来た方であろうと思う。導入時の年齢が若く体力もあったこととに加え、透析病院のスタッフに恵まれたことが大きかったと感謝に堪えない。
 一口に25年と言っても、やはりその期間は長く、良きにつけ悪しきにつけ様々に忘れ得ぬ思い出もある。これからも透析治療に携わっていかざるを得ない方々への参考になるかは判らないが、徒然に個人的な経験を書き記しておこうと思う。
 日常的にもそろそろ備忘録が必要な年齢になり、記憶と印象に頼った文章であるがために正確さに欠けること、主観的な見方になっていることはご容赦願いたい。
略 歴
 昭和31年(1956) 1月27日生 血液型B 水瓶座 申年
 昭和55年(1980) 3月 広島大学理学部物理学科卒業
 昭和58年(1983) 3月 広島大学大学院理学研究科修了
 平成 6年(1994) 8月 (株)ラディックス入社 現在に至る
病 歴
 昭和53年(1978) 8月 発症
 昭和56年(1981) 8月 慢性腎炎のため入院
 昭和57年(1982) 1月 透析導入(呉共済病院)
 昭和57年(1982) 4月 転院(呉博愛病院)以降、同院で透析中
 Contents...
スマートフォンで楽しむ電子書籍
 利便性は携帯電話と匹敵し、情報処理能力はパソコンに比肩するスマートフォン
 使用する場所や時間帯に柔軟に対応し、嵩張らない文庫本として、弊社のコラム『透析日記』を電子書籍化しました。現在Android端末を活用したアプリケーションソフトとして公開しています。
 興味のある方は、是非ダウンロードしてご覧ください。
申し訳ありませんが・・・・・・有料(¥290-)です。
なお、売上の一部を東日本大震災の義援金として寄付します。
公開アプリケーションの確認、ダウンロードはこちらへ
広告欄 広告募集中広告欄 広告募集中広告欄 広告募集中
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
~連れ釣れ想~                       作:清水 三徳   編集:三浦 宏
 はじめに
 世の常として出会いがあり、連れ添う時合いある。いずれ別離の時を迎えるのも常であるならば、その一期一会を大切にしたいものだ。
 今日の世相は殺伐として、心をすきま風が吹き抜けて行くような虚しさを感じる事が多い。私の人生を今の人たちに押しつける気はさらさら無いが、終戦時の様に何とも例えようのない虚無感を感じた時を除いては、すきま風に晒された心を抱えて途方に暮れていた覚えはない。家族、友人、微力ながら教育の現場に関わることができた事により触れあった子ども達、何れもが北風を遮りほほえみを与えてくれる暖かい太陽だった。
 この世に生を受けて四分の三世紀、その様な想いのまま振り返った足跡をまとめてみた。某かの一助になれば甲斐があったと思う。
(清水 三徳)
 磯釣りの出会いから数十年、時には師であり、仲間であり、ライバルでもあった年月を与えてくれた神に感謝。父親を知らない私には、父の温かみ、男の生き様を無言で教え続けてくれている宝物の様な人である。釣りの世界に身を置く人には、少なからず名を知られていた師であるが、流石に齢には勝てないようだ。然りとてこのまま朽ちられては折角の人生が無駄になるとの思いで、本シリ-ズを執筆していただいた。重い腰を上げるように、後押しをしてくださった奥方様、体力・気力増進に助力してくれた北海道犬の蘭(らん)にも深謝。
(三浦  宏)
本シリ-ズは今後不定期ではありますが、順次更新(追加)していきます。ご期待下さい。
 Contents...
第52話 《夏本番》
第51話 《夏到来》
第50話 《土佐・・・》
第49話 《『寒』去りて『小春』来たりなば・・・》
第48話 《『寒○○』・・・》
第47話 《今年の竿はじめは・・・》
第46話 《年末は土鍋の季節か・・・》
第45話 《今年の秋は・・・》
第44話 《名言との出会い》
第43話 《猛暑中閑あり》
第42話 《初夏を贅沢に》
第41話 《目に青葉~初夏の賑わいに》
第40話 《春来たりて最早初夏なり》
第39話 《春来たりなば》
第38話 《寒の釣り(3)》
第37話 《寒の釣り(2)》
第36話 《寒の釣り(1)》
第35話 《晩秋から初冬のつり(2)》
第34話 《晩秋から初冬のつり(1)》
第33話 《初秋の磯つり(3)》
第32話 《初秋の磯つり(2)》
第31話 《初秋の磯つり(1)》
第30話 《真夏の磯つり(3)》
第29話 《真夏の磯つり(2)》
第28話 《真夏の磯つり(1)》
第27話 《初夏の海~4》
第26話 《初夏の海~3》
第25話 《初夏の海~2》
第24話 《初夏の海~1》
第23話 《春の海~3》
第22話 《春の海~2》
第21話 《春の海~1》
第20話 《美味なる魚 第3回》
第19話 《美味なる魚 第2回》
第18話 《海に魚あり、磯に友あり》
第17話 《美味は海にあり》
第16話 《石鯛釣りについて-3》
第15話 《石鯛釣りについて-2》
第14話 《石鯛釣りについて-1》
第13話 《鹿島の猿》
第12話 《鰤(ブリ)釣り一考》
第11話 《黒鯛(チヌ)釣り一考》
第10話 《海釣りとの出会い》
第 9話 《美味なる魚 第1回》
第 8話 《閑話:女房の一言 第1回》
第 7話 《地震・雷》
第 6話 《台風襲来》
第 5話 《鯉と犬》
第 4話 《鯉釣り》
第 3話 《川釣り》
第 2話 《釣り指南》
第 1話 《長崎と広島》
広告欄 エステート情報サービス広告欄・・ 愛媛県南宇和郡愛南町中泊 末光渡船広告欄 山下一郎商店
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第1話 《長崎と広島》
 今年もまた「原爆の日」がやってくる。8月6日が広島で、9日が長崎である。
 昭和20年(1945)の8月6日に、私は台湾の高雄にいた。海兵団を経て、海軍の特攻基地で出撃を待っていた時、「広島に特殊爆弾が落とされた。広島は全滅じゃ、こりゃあ大変なことになっとる。」と上官から聞かされた。訳がわからなかった。
 とある長崎の原爆の日に、当時のことを妻に尋ねたことがある。当時長崎の諫早と言う所の近くに住んでいた妻は、学徒動員(勤労奉仕)を風邪で休んでいたそうだ。「ピカピカ」と途轍もない光が走り、同時にムクムクと真っ黒な雲が湧き上がり、途轍もなく形容しようがない音が聞こえたという。周囲で「長崎がやられた、長崎は全滅のようだ。」と人々が叫んでいる声が聞こえてきたそうだ。
 その日から半世紀を越えた今、広島も長崎も立ち直り大都会になった。この原爆の地広島と長崎に縁あって生活をしてきた二人である。私は特攻隊へ、妻は学徒動員へ。友人知人や家族、親戚縁者を容赦なく失い、戦友を見送って二人とも戦いのために苦しい思いをして齢を重ねてきたのだ。日を捲る度に毎年心新たに思う。「戦争はご免だ!」
 戦争という波間を泳ぎ続けてきた私は、妻と共に新たな自分と家庭、そして多くの新たな友と出会う事になった。広島も長崎も海が近く自然が多い。必然的に釣りが盛んだ。私も竿を振る。若き友と競い、釣果や腕前を論じ合う時の子供じみた笑顔や歓声が身にしみて有り難い。『友があり、共に心穏やかであり、街があり、人々が心温かきこと』こそが「平和」であると、今心から思う。全ての事に「ありがとう」である。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第2話 《釣り指南》
 私は今で言う「湾生」【第2次世界対戦終戦前まで、当時日本領であった台湾に住んでいた内地人(日本人)の総称】である。そのころの記憶はかすかであり、聞き伝えの話と混在してしまっているが、釣りを覚えたのがその地である事は確かである。
 台南市の「嘉義(チャイ-)」という所で生まれたらしく、父の仕事の関係で転居が多かった。土木関係の仕事をしていた父の都合で街にも田舎にも住んでいたが、ある時期から祖父母とも同居するようになり、祖父に釣りに連れて行って貰うようになった。釣り人生の開始はこのあたりであろう。
 ある時、山奥の大きな池に祖父が釣りに行き、私が弁当持ちで付いて行った。目的は「ロ-マ」という大きなウナギに似たものが狙いだったが、結局釣れず、フナやウナギを釣ったことを覚えている。中には1mぐらいのナマズもいたように記憶している。帰りもタヌキが出ると祖父が話す道を辿るのだが、往復3時間は子供にとって足腰を鍛えるには充分すぎるものであった。それでも付いていったのだから、子供心に「釣り」は魅力的なものであったのだろう。
 このように私の釣りの手ほどきは祖父であり、川釣りの基本から教えて貰ったものである。川の魚と言えば(石斑魚:ウグイ)、広島では「イダ」と言うが、コイ科の仲間で40~50cmになる。ミャク釣り(瀬釣り)と言って、川の土手からエサを投入して、流れに沿って底を流すやり方だが、底に掛からないようになるまでにはかなりの日数と根気が必要だ。次いで追河(オイカワ)、ハヤと呼ぶことが多いが、最もポピュラ-な魚である。広島の太田川でもよく釣ったものである。次に覚えたのが鮒(フナ)である。
 私が鮒釣りを覚えたのは小学生の時である。鮒釣りは四季を通じて楽しむことが出来た。
 フナのいそうな渕(流れが淀んで川底が深くなっている所)にエサ(ミミズや赤虫、川ゴカイ等)を付けて沈める、現代の投げ釣りの方法である。人によっては4~5本の竿を出している場面にも出会ったが、私は何時も1本しか使わなかった。
 初めて釣ったフナを喜び勇んで家に持ち帰ったが、師匠である祖父に、「食べ無いのであれば川に戻してやりなさい。命を粗末にしてはならないよ。」と諭された。今に繋がる釣りの基本中の基本、道徳とも言える教えであった。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第4話 《鯉釣り》
 フナは3尾釣れば一人前と言われるが、鯉(こい)はそう言うわけにはいかない。
 「鯉を釣るには一日一寸 尺物釣るには十日はかかる」(編注※一寸:約3㎝、一尺:約30㎝)という諺(ことわざ)があるが、私は尺物を釣るのに1年かかった。それも熱心に釣り場通いをした結果である。
 私が川釣りで最後に釣った魚が「鯉」である。台湾に住んでいる頃から鮒釣りに明け暮れていた。何時かは鯉を釣りたいと願っていたが、師匠である祖父の許しがなかなか出なかった。何故かは未だにわからない。結局念願の鯉を釣り上げたのは、随分後で、山口県の錦川、天尾地区の河川敷に泊まり込んだ時である。余りに釣れないので流石に研究した成果がでたものだった。
 台湾で鯉を釣ったことは無かったが、よく食べさせて貰った。台湾での鯉は淡水魚の王と言われ、祝宴等には必ず供する習慣がある。鯉を一尾丸ごと唐揚げにして、肉や野菜等を入れ餡掛け(アンカケ)を施した料理をよく馳走になった。
 鯉料理には新鮮なものを使う。鯉は生命力が強く、水から離しても水に浸した新聞紙等で包むと2~3時間は死なない。生血や肝は精力がつくと言われ、父は病弱であった母によく食させていたものだった。
 鯉を釣るには先ず竹竿作りから始めた。今のように釣具屋があるわけではなく、全て自作しなければならない。エサはサツマイモである。
 蒸したイモをサイコロ状に切って針に付ける訳だが、イモが上手に蒸かしてなければ食いも悪く、ポイントに投げ込む時に飛んでしまったりした。エサの研究にはおおよそ1年もかかったように思う。サイコロ状のエサから、サナギ粉を混ぜて粘りを出したダンゴに変え、黒砂糖を混ぜたりもした。年季の入った力作のエサを引っ提げて釣った鯉は60㎝前後のものだった。
 鯉は1年で20~25㎝に育ち、3年で60㎝位になると言われる。私が釣ったのは3年ものであろうが、日本最大の記録(当時)は、全長1.53m、重さ45㎏、魚齢30年だそうだ。
 鯉釣りも今は市販のエサが多くあり、配合餌でイモは勿論だが、砂糖や蜂蜜、ニンニク等も入っているらしい。然しこれで釣れれば楽なものであるが、そう簡単にはいかないのが釣りである。やはり仕掛けもエサも創意工夫、独自のもので辛抱強くやらないと釣果も上がらないし、釣り上げたときの感動も強くない。釣りはその日の天候や水温、地形や水、海ならば潮の流れ、さらには魚の気分にも左右されるもので、辛抱と仲良くしなければ結果が現れないものであることは、今も昔も変わらない。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第5話 《鯉と犬》
 私は動物が好きである。中でも「犬」が大好きだ。家内は私の比ではなく盲目なぐらい好きのようだ。「目は口ほどにものを言う」と言うがこの言葉は人間よりも動物にあてはまると思う。自分の体調が悪いとき、寂しい時、嬉しい時、様々な表情を目が作り上げ私達に目で語ってくる。
 私は夫婦釣りと称して、家内と良く連れ立って釣行に出かけた。数日間の泊まりがけも良く出かけたものである。この頃、長い間家の留守を守り、帰りも夜遅くなるのだが、待っていてくれたのは北海道犬の「龍」君である。北海道犬は以前はアイヌ犬とも呼ばれ、南極探検記の「タロ」「ジロ」でも有名な種族で、今は「(社)天然記念物北海道犬保存会」によって保護、保存に努力されている。
「龍」君 北海道犬との出会いは広島駅であった。名前は「太郎」でなんとなく魅了されるものがあって引きとることにしたが、病には勝てず早世してしまった。二代目が「龍」君である。彼は14才まで長生きし、留守番だけでなく、山陰をはじめとして私達の釣り旅行によく同行してくれた。四国の桂浜の橋のたもとで私達と車中泊したこともある。長生きしてくれた「龍」君だが、彼にも寿命がくる。目がうすくなり、耳が遠くなり、足、腰が弱くなってくる。
 しかし散歩だけは忘れなかった。といっても近くの竹ヤブと太田川の河川敷で、最後の日も散歩を忘れることはなかった。釣りと私達と共に生きた「龍」君は今も私達の脳裏によみがえってくる。
「ケイ」(手前茶色)と「蘭」(白)
 別れの哀しさから二度と犬は飼うまいと思っていたが、今度は「蘭」嬢がやって来た。それより前には神戸で震災にあい孤児となった「ケイ」を引き取っていた。「ケイ」と「蘭」は親子のように仲良しで、二匹とも車に乗ることが好きだった。
先代「龍」君は海が好きだったが彼らは川が好きである。
 私達は自分たちの散歩に犬の散歩をかねて毎日のように太田川河川敷に行く。安芸大橋の上流3㎞の所に車を置き河原まで歩くのである。そこで「蘭」嬢を放し、家内は「ケイ」を連れて散歩に、私は川のほとりに腰をかけて川の流れを楽しむことにしている。一遊びした後の家族集合場所が私の所である。
 「蘭」嬢は放されたら「鯉の池」へまっしぐらに飛んでいく。
「鯉の池」は彼女が見つけた、川の水が池のようになってそこに魚が住むようになっている場所である。彼女はこの池の鯉が大好きなようだ。私達の目にも鯉が泳いでいるのがはっきり見える。赤い色をしているのが「緋鯉」黒い「真鯉」・・・彼女は池に近づき、足が浸かるぎりぎりのとこまで入ってじっと鯉達の泳ぎを見ている。鯉達も恐れず「蘭」嬢の足もとまで寄って悠々と泳いでいる。「蘭」嬢はこの鯉達に会いに来るのを日課としているのだが、何を会話しているのだろうか。仲良きことは楽しき事なのだろう。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第6話 《台風襲来》
 台風の襲来をニュ-スが報じている。「大型で強い台風が西日本に上陸する恐れがある」とのことである。
 今朝も日課通り太田川に来た。川は何も変わらずいつもの通り流れている。台風襲来など川の流れからすると考えられそうもない。気配すらないのだが、気がついたのは「アメンボ」の少ないことだ。いつもなら1.5㎝ほどの細長い脚で水面を走るアメンボが沢山いるのだが、今日は僅かしか見当たらない。
 アメンボはアメンボ科の昆虫で、飴に似た臭気があることから「飴ボ」と呼ぶようになったとか。また川蜘蛛と呼んでいる地方もあるようだ。水の上を歩きながら、弱って飛べなくなって水面に落ちてきた昆虫を自前の消化液で溶解し吸汁するそうである。水に浮いているのは足に密生している絹糸のような細かい毛が水をはじいているもので、表面張力を利用しているからであろう。
 (編者注:アメンボはカメムシ目に分類されるもののうち、水上生活をするものの総称です。種類は多く、海にも分布しています。表面張力で浮いていますから、石けん水等の界面活性剤が含まれる場合は浮くことが出来ず、溺れてしまいます。これは意外でした。)
 川に行くと、いつも寄ってくるお友達のメダカ達の影も形もない。メダカは好奇心が強いらしく、人も犬も好きなのだ。水に足を入れても逃げようとはしないで、むしろ足もとに寄ってくる。「みんなと一緒に遊びたいのです」そういってまとわりついてくるのだ。そのメダカが今日はいない。川面をとびはねる魚も見当たらない。いつもの川に来て、いつも通り川は流れているのに、住民である昆虫や魚はすでに危険を察知しているのかも知れない。気がついて周りを見渡すと、アユをかけていた釣り人も姿を消している。遊び相手の見つからない犬達もいつもより早く帰って来た。お友達の魚のことを心配してだろうか、川の流れに変わりは無いようでも、魚も昆虫も犬も釣り人も、天変地異を感じているようである。鈍いのは情報に頼っている人だけなのかもしれない。何かしら不気味を覚えた。明日は中国地方に台風がやって来るのかな。
 台風は予報とはずれて和歌山まで行ってしまった。彼の地に上陸、紀伊半島、近畿、四国の一部から東海地方を巻きこんで東北へと、列島縦断コースを進むらしい。結局、アレコレと報じられた台風は、勢力を弱めながら東京湾を抜け更に北上、北海道までノロノロと旅をしたようだ、進路に当たった地方の相応の被害を思うと、広島からはずれ杞憂に終わったとは言え申し訳ないような気もする。
 ともあれ台風は広島からはずれた。太田川の水の流れも魚もメダカや昆虫も普通の生活にもどっていくだろう。アメンボウは集合場所を変えているようで、その数は半数ぐらいであった。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第7話 《地震・雷》
 「広島で震度6弱2人死亡 161人重軽傷 震度源は安芸灘」
 これはテレビや中国新聞に報じられた、芸予地震に関するニュースである。当時家内と私は家の二階と一階にいたが、お互いを案じつつも動くことができなかった。幸い何事もなく、生きた心地がしなかっただけで終わったが、犬たちは何事もなかったように不思議そうなな顔をして「どうしたの」と聞かんばかりに私達の顔を見上げるばかりであった。
 一方、遠方の友人からも温かい電話があったが、その時に山口県東和町小水無瀬島に釣行していた友は、「まるで島全体が沈むのではないかと、流石に恐ろしかった。」そうだ。その場に居たらと思うと背筋が寒くなる想いで、その時から少しの揺れでも、余り丈夫でない心臓がドキドキするようになった。困った事ではあるが仕方が無い、正直に地震は嫌いである。
 昔から怖い物は「地震、雷、火事、親父」と言い伝えられているが、時代と共に違って来たのは親父の権威が下落傾向にあることではあろう。「親父たちよ、頑張れ!」である。
 私は前にも書いたが地震と、雷・火事が嫌いだ。中でも雷は一番嫌いだ。我が家の住人である、犬達も、家主に敬意を表しているのか、家主以上に雷が嫌いなようだ。遠くで稲妻が走り、雷鳴が聞こえ始めると不安そうに鳴き始め、稲光のが近くなり音が大きくなるにつれて家のまわりを走り廻り出す始末である。雷も犬もどちらもかなり煩いのである。
 我が家の住人である犬「ケイ」は、以前前の飼い主と共に神戸に住んでいたが、平成7年未明の大震災で家がつぶされ、階段の下に蹲って九死に一生を得たのだが、雷鳴が聞こえると神戸の地震を思い出すのだろうか、鳴くことも出来ずに震えている。これも一種の『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』だろうか、可哀想に思えてならない。
 私が雷を嫌う理由は多々あるが、何れも釣り場での遭遇である。一度は家内と山陰浜田の「犬戻し」という名のポイントで、晴れていた空が一転真っ暗となり、同時に雷鳴と共に豪雨が襲ってきたのだ。家内と急な崖を今では考えられない早さで這い上がり、命からがら車まで逃げ帰った思い出がある。また、磯釣りをしている時に釣友と二人で雷と豪雨に襲われた事もある。岩国市にある福良島の北に辺る続島の3番のポイントでN氏と二人で夜釣りをしていた時である。このポイントは海の中の小さな磯で、人が2人やっと上がれるような独立礁であるが、チヌ、アジ、メバルの名所で特にチヌは30~40㎝級が数出る場所である。雨は覚悟の磯上がりであったが、アジの入れ食いに、大型の鯖が混じり二人とも笑みが絶えない大漁であった。雨の事など忘れてしまっていたのだ。
 一休みしていると、空があやしくなって来た、予報通りの雨が雷を連れてきたのだ。 ピカッとするとドカンという音がする。それに豪雨である。しかも海のまっただ中にある小さな磯にいる二人である。真っ暗な中にピカッ、ドカン、ピカッ、ザ-のくり返し。夏とはいえ雨具の上から雨が染み込み、だんだんと骨身に応えてきた。相変わらずのゴロゴロ、ピカーである。こんな時に善いことは想い出さない、小西和人氏の著書に「釣り竿に雷が落ちたことがある。」の行があったことを想い出した。
 こうなれば釣りどころではない。逃げ場がない小さな磯の上で「運を天にまかせる」「神頼み」意外はないのである。地震は予知して避けることは難しいが、雷は天気予報である程度避ける事は出来る。釣りに行くにもお天気情報を良く確かめてからにしないと、痛い目に遭ってしまうのだ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第8話 《閑話:女房の一言 第1回》
 私が最初に釣りに興味をもち、やってみたいと思うようになったのは、40年近く前になるだろうか。その当時は女性の釣師など見当たらない時代だった。
 釣りキチの旦那は、休日ともなれば何はさて置き、何処でも良いから釣りに行く。私は犬とお留守番が定番だった。別に不思議な光景でもなく、特に不満があった訳でもないが、ある時留守番に飽きて、弁当持ちで一緒に出かけた。犬も一緒だから、旦那と違って釣りが目的ではなく、気分転換のようなものだった。
 そのうちに、魚が針係りしたままの竿を渡され、上げてみろと言うことになった。旦那にとっては大したことでは無かったが、私にしては青天の霹靂・・・・人目も憚らない大騒ぎをしてしまった。とはいえ、騒いでいたのは私だけで、上げてみれば何とも小さなチヌ(黒鯛)だった。今では十分放流サイズなのだが、その手応えに魅せられてしまったのだ。旦那の後悔がここからはじまる。釣りはやりたいが、エサの付け方から投げ方まで全く解っていないのだから、全て旦那任せの大名釣りである。旦那は自分も釣りたし、女房には手が係る、犬は相手しろと煩い・・・大変だったようだ。夫婦二人の釣りならば遠慮が無くて良いが、クラブの口さがない連中が一緒だとそうはいかない。ある時私がスズキを掛け、旦那がタモ網で掬う段になって、最後の手際が悪くバラしてしまった。周りには、すわ大物と目を凝らしてみているクラブの連中である。バラした途端のヤンヤの大歓声、旦那が酒の肴にされてしまったのは言うまでもない。釣りの手順も覚え、何とか自分なりにできるようになると、一端の釣師気取りで釣行を催促するようになった。休日を待ち構え、余程のことがない限りは、遠近を問わず出かけるのが習慣となった。
 「車に乗れなくなったら、出島の波止で釣りましょう。」と 釣りだけは体が動く間はお互いにやりたいと思う。最初の私の釣りといったら、五目釣り、何でも針に係ってくれた魚を釣り上げては有頂天になり数を自慢していた。『釣りとは何と簡単でおもしろい遊びだろう、黙って竿をおろしていると魚の方から係ってくれる。』と言った調子である。ともあれ、美しい自然の中で聞こえるものは、波の音とカモメの鳴き声、クーラーを満杯にして帰る時の歓び、満足感、翌日からの仕事にも力が入った。
 しかし、徐々にそれだけでは満足できなくなり、拘りの釣りになっていった。ウキの微妙な動きに全神経を集中したり、大物との出合いに全身でやりとりしながら「何だろう」と釣り上げる迄の期待と緊張感、また逆に魚の喰いが悪い時、獲物を誘い出す知恵比べなど、いろいろと経験してみて本当の釣りの醍醐味はこれだと思った。旦那を始めとする釣りキチの気持がわかったような気がした。
 釣りとは、のめり込めば限りなく奥深くまた難しい、だからこそ、目的の魚をものにした時のよろこびは格別である。
 釣りは、いつも私をすべて煩わしさから解放してくれ、そして和ませてくれる究極の癒しでもある。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第9話 《美味なる魚 第1回》
 秋である。残暑が厳しく季節の変わり目が判りにくくなった昨今だが、海はきちんと秋を告げてくれる。魚好きにはこれから2月の寒にかけてが、何より有り難い、美味い魚が味わえる時期である。魚好きにも一家言あると同じように、同じ魚でも地方によって有難味が異なるから面白い。概して好まれ目出度い席に欠かせないのが「鯛(たい)」である。鯛釣り師に言わせると、釣り上げたときの魚体の美しさは何とも表現し難い程のものとするが、美しさでは太刀魚やシイラ、地味ではあるがグレ(メジナ)やイサキも釣り上げた直後は実に美しい。この美しさと美味加減が一致しないから魚好きには一言多い方が目立つようだ。
 私は鰺、鯖、鰯が好きだが、鰯の中でも「小イワシ」が好きだ。カタクチイワシの事だが、広島を中心とした瀬戸内地域では「イワシ」とはカタクチイワシのことであり「イワシは七度洗えばタイの味」と言う程庶民的な魚の代表であると思う。一般的には「イワシ」は真鰯(マイワシ)を指し、「イワシの頭も信心から」と揶揄されるものであるが、これも安くておいしい魚で庶民の味の筆頭であったからであろう。
 古い本に「イワシ」は紫式部の大好物であったとある。或日、夫の宣孝が、帰ってきて「こんな下品な魚を食べるな」と叱られあり、式部は「日の本に はやらせ給ういわし水 まゐらぬ人はあらじと思う」と和歌で答えたという。
 真鰯はその体側模様から「ナナツボシ」と呼ぶ地域もあり、約15㎝程度を中羽イワシ、20㎝以上になると大羽イワシと呼び、最大30㎝ぐらいまで成長するようだ。どのサイズも塩焼きにすると、実に美味しい魚である。
 秋と言えば「秋刀魚(サンマ)」が目に浮かぶ。流石に釣り上げた事は無いが、食欲の秋の代名詞のような魚である。
 イワシの刺身は良く食べたが、サンマの刺身は数少ない。サンマは北国の魚であるため、昔の輸送力では刺身に出来るような活きが良いのが手に入らなかったためであろう。
 作者は知らなくても「サンマ サンマ サンマにがいかしょっぱいか」の文節は良く知られている。佐藤春夫氏の「秋刀魚の歌」という詩集の一節である。同じ詩集に
 「あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ
  ――男ありて 今日の夕餉(ゆうげ)に
  ひとりさんまを食(く)らひて 思ひにふけると」

 男心の郷愁に触れる一節である。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第10話 《海釣りとの出会い》
 話は私の若い頃に遡るが、台湾在住の17歳の年に兵役編入を命ぜられた。戦局の悪化により本来の徴兵適齢19歳であったものが、満17才以上を兵役編入にくり上げることになったためである。私は海軍の予科練を目指していたのだが、その結果発表の前に陸軍歩兵連隊へ招集された訳である。あまり例のない話であったようだが、新兵の訓練は過酷であった事は言うまでもない。ただ師範学校生であったために、授業で修得していた教練の延長のようなものもあり、息抜きも辛うじてできたものだった。後日海軍からの出頭命令で、陸軍からは解放され、予科練に入った訳だが、そこで再び新兵扱いを受けることになったのには閉口した。軍隊に良い思い出はないが、駆け足とカッター【※編者注:母船に整備されている救命艇(中型の手漕ぎボ-ト)の操船訓練のこと】だけは思い出として残っている。当事者は必死だったことだが、今では笑い話となる様なことを回想するだけで楽しくなる。
 入隊した所は高雄の海兵団で、学歴などは役にたたない。訓練は陸軍も海軍もほとんど基本的には変わらないが、苦しくても海軍の方は我慢すれば飛行機に乗れるんだ、予科練にいけるんだという目的があるだけ楽だったように記憶している。
 私があこがれている予科練も戦局と共に著しく変化していく。戦況が刻一刻と日本にとって不利に向かっていくのだが、私達少年兵はその様なことを知る由もなく海軍の予科練にあこがれ飛行機に乗る事だけを夢見ていたのである。実際には大空での活躍などという予科練入隊の目標は次第に絵空事となり、飛行予科練習生とは名前ばかりの本上防衛要員として特攻訓練の日々となっていったのであるが、これは後日に知らされたことだ。
 そのような過酷な訓練の合間にも休日はあった。同僚と「今度の休みはどこかに釣りに行こうか?」そう誘われて選んだのが海釣りであった。海軍を選んだのも海が好きだったからだし、大空から見るキラキラ輝く海、特に夏の海は宝石箱のように美しく、空の青さが映し出される水面と、そこに映る機影の勇壮さが大好きであった。
 夏と言えば、暦の上では立夏から立秋の前日までを言い、俗に六、七、八の三ヶ月を総称するいい、日中が長く蒸し暑い時期である。釣りには過酷とも思われるこの時期にとよく言われるが、釣り好きにはあまり関係はない。暑ければ暑いなりに、その逆もまた真なりである。春夏秋冬それなりの楽しみ方があるから海に通うのである。
 この世の中にもしも「魚釣り」と言うものがなかったら日々の生活はどんなに味気ない無味なものとなった事であろうと思う。私が平和を心から実感するのは、磯に立ったときであり、海に向かえば懐かしき友との語らいも浮かぶ。横では家内が竿を振り、振り返れば年の差無く仲間が笑いかけ手を振る。海は故郷であり、庭であり、居間でもある。我が親愛なる友である海と何時までも語らいを続けるために、年を経ても納得するまで頑張って釣りたいと思う。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第11話 《黒鯛(チヌ)釣り一考》
チヌ 広島を中心とする瀬戸内海一帯は黒鯛(チヌ)釣りが盛んである。磯まで足を運ばなくても、型さえ問わなければ、波閑かな湾内の防波堤や汽水域の河口部でも釣れる。誰でも狙えるが、賢くて警戒心が強いために簡単には釣れないことと、針掛かりした途端の引きが強いことも人気の秘密があるようだ。
 食味の評価は、釣り場や時期によっても大きく差が出るが、基本的には寒の時期から五月初め辺りまでが評価は高い様だ。
 私や少々年配のチヌ釣り師には「御荘のチヌ」が憧れだった。長崎県の対馬も同様の評価を受けるが、距離的に無理があるので、大型のチヌ釣りはここから始まったと言っても良いであろう。
 「御荘」は愛媛県南宇和郡愛南町の「御荘湾」を示すが、現在の評判は如何なものだろうか。私がせっせと通っていたチヌ釣り全盛期の頃は、九州や大阪からも大勢の腕自慢釣り人が押し寄せていた。私の相手をしてくれた船頭は「楠本さん」と言い、民宿も兼ねて居られた。「磯釣りは魚を釣る前に船頭を釣れ」の通説通り、昵懇にして頂いたお陰か、「御荘の釣りならまかせんさい。」と船頭の次に詳しいのは我であると自負できたものだ。
 家内も「御荘なら安心して釣りができる。」とよくお世話になったものだが、その家内の一番の思い出話が昭和53年(1978)4月2日、御荘湾左右口という場所でチヌならぬ「ボラ」をかなりの時間をかけて釣り上げたことである。
ボラ
 家内が言うには、周りの釣り人は殆どが己の竿を上げて「大チヌじゃ、記録物じゃ」と大騒ぎをして注目していたらしい。実はボラだったのだが、流石の私も一瞬「チヌか」と思ったほどのもので、本来水面近くでジタバタするボラが底へ底へと逃げようとした結果だった。なかなかタモ網で掬えず、結局周り中に迷惑をかけて釣り上がった物は、優に70㎝はある大物だったのである。大チヌが大ボラに化けた顛末だったが、私も永年釣りをやっていてこんな大ボラを見た事は初めてであった。
 その磯は船頭のはからいで「シミズバエ」と名づけられたそうであるが、現在でもその名が使われているかは定かでは無いし、使われていたとしても由来はわからなくなっているだろう。
 御荘にはその後も大型のチヌを狙って通ったが、「松の下」というポイントで実長59㎝のチヌを釣り上げたのが最高に止まった。外道では「大島」というポイントで家内が夜釣りにも関わらず30㎝近くもある大ギスを二尾、「小具バエ」で何とも大きなウスバハギを釣り上げて笑った思い出がある。
 その頃はチヌなら湾内どこでも来いと言った調子であったが、そうもいかない話も残っている。ある時、同じ広島方面から来られていた釣り人のご夫婦が、家内が余りにもよく釣るのでうらめしく思っていたそうだ。それに気がついた家内が、自分のポイントを譲り、離れた場所に移動したのだが、折角譲って差し上げたご夫婦には、最期まで釣れず、家内はそのまま釣れ続いてしまったと言う笑い話のような話である。釣りとはこう言ったものなのである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第12話 《鰤(ブリ)釣り一考》
 立冬が過ぎると、雪の便りもチラホラと天気予報の画面から出てくるようになり、暦の上では冬を感じる時期がやってくる。これからの数ヶ月は大物釣りの季節となる。
 四国宇和海、現在は養殖漁業が盛んだが、ここの地形・潮回りは北風とともに大型の鰤が廻って来ることで知られている。広島からはフェリ-で松山に行き、法華津峠(ほけつとうげ)を越えて宇和海を目指す。この峠の雪で立ち往生した事も2度や3度ではないが、「ホケツに雪がふりゃ鰤がくる」と仲間内では言われていたものだ。
 「鰤」魚ヘンに師と書いて「ぶり」と呼ぶ。師走近くになる頃から急激に成長し味がよくなってくる。最近までおせち料理の中にはこのブリの「照り焼き」が定番であった様に記憶している。今日は豪勢なものをデパ-ト等で予約するようだが、私には幼い頃は母が、今はその味を覚えてくれた家内が作る「照り焼き」がご馳走である。これに焼酎があれば正月到来である。
 鰤は、出世魚の代表格で、呼び名が関西では「ハマチ」「メジロ」「ブリ」関東では「イナダ」「ワラサ」「ブリ」と成長するにつれて呼び名が変わってくる。当然味もそれに連れて出世していく。寒くなると旬を迎え「寒ブリ」の頭や目玉のところは良い出汁がとれ、腹の部分「ハラモ」の刺身は「砂じり」「霜ふり」と云って最高の味だと言われている。
 近年は船から疑似餌で釣る事も盛んになっている様だが、王道は磯からの生き餌釣りだろう。エサに活きたアジを使うこの釣りは、先ずはエサとなるアジ釣りから始める。アジは鯛釣り等の餌取りとして、エサを採って逃げる俊足を誇っているが、決して生命力の強い魚ではない。
そのため大きなエアポンプ付きの水槽をいくつか準備して行かなければならないので、釣り始める前から体力勝負になってしまう。若手の体力自慢達は、カゴ釣り仕掛けで遠投し、深みを狙うが、そこまでの体力が無い年配者は、如何にアジを巧くポイントに泳がせるかの知力を絞るのである。
 一端針に掛かればあとは日頃鍛えた長期戦で、道糸の出し入れをしながら鰤の体力が弱るのを待つのである。力任せにやると、いとも簡単に道糸を切ってしまう力を持っている。海の綱引きは魚が上手である。生き餌釣りの場合は小物は掛からない。体長70㎝、重さ6㎏でも小物扱いである。せめて9㎏ぐらいからが対象となるから、1本釣り上げれば刺身でも、煮ても焼いても充分10人前はある。あとは、料理が出来るのを待つばかりで、焼酎片手に釣り談義に突入なのである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第13話 《鹿島の猿》
鹿島 四国愛媛県南端に足摺宇和海国立公園がある。チヌ釣りのメッカ御荘湾から車で1時間程の距離であるが、そこには全国の磯釣り愛好者が夢にまで見る名磯が点在する。中でも中泊渡船基地から向かう磯は、巨グレ(尾長グレ)に挑戦出来る磯が多い。また、ここは、日本で最初に指定を受けた海中公園『宇和海中公園』行きグラスボ-トの発着場であり、色とりどりのサンゴや熱帯魚の楽園など、南宇和の美しい海の魅力を堪能できる。
この海中公園がある「鹿島」が、多くのポイントを持つ、釣り場案内の書では有名な磯釣島なのである。
 ここ「鹿島」は無人島であり、ここの住人は野生のニホンザルと、鹿である。この住人は、決して釣師と仲良しな訳ではない。猿が居ようがお構いなく釣師は魚が釣れるであろう場所を求めて渡磯する。「鹿島」は上物、底物いずれも狙えるポイントが多く、比較的足場の良いのが特徴である。渡船基地からも近く、独立島であるから、風や波浪に合わせた対応も可能である。
 磯釣りには暗黙のル-ルとして、『竿は一人1本、撒餌は余分に持たず、残ればゴミと一緒に持ち帰って港で処分する。』ことがある。タバコと一緒で、マナ-を守れない人が少なからず居るから、磯が汚れ、ゴミだらけになってしまう。このゴミに、猿が餌付いてしまったことから、「鹿島の猿」は、磯釣り師と仲良しになれなくなってしまった。
 この猿にとって島の磯辺に来る人はお土産をもって来る生き物と映るようで、このお土産こそが、釣師の持参する食料であり、撒き餌に使う集魚材なのである。私やその周りの仲間達は、底物師と呼ばれるカテゴリであるから、餌類に猿が気に入るものはない。気になるものは弁当であり、お八つにと持参した果物類である。
おさるさん
 釣師が準備をしている間は、猿はどこを見渡しても気配は無い。釣りを始め、竿に集中し始めた頃合いを見計らったかのように、何処からともなく足音もなく現れ、それらを失敬して行く。リュックに入れていても、利口な奴もおり、ご丁寧に紐を解いて持っていってしまう。大きさは座った高さが60~80㎝ぐらいで、近くで見ると、威嚇してくるだけ恐怖感はある。
 私は、盗られたら仕方ないと諦めることにしているが、中には猿と格闘をした人もいるらしい。下手をすると命懸けになるから、これは止めた方がよいと思うし、怒らせると、石や岩を落としてくるから始末がわるい。逆説的になるが、このような島であるから磯荒れが少なく魚影も濃いのかもしれないと思うが、バナナやリンゴは集猿材となるので、それらの先住民が生息する島には、決して持って行かないことである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第14話 《石鯛釣りについて-1》
 磯釣りの中でも豪快さでは石鯛釣りが一番である。グレやチヌ釣りのような上物釣りとはまた違った趣もあり、一度経験すると麻薬のように虜になってしまう釣りである。まずは、この釣りのタックルについてまとめてみた。
【竿について】
 竿は食い込みの良さが第一である。次いで、釣り師の体力と釣法が竿を選ぶ目安になってくる。この釣りを始めた頃は、取り込みを優先させる剛竿を振り回していたが、次第に微妙な当たりが竿先に出て、魚に異常感を与えないような竿、軟調子でしかも丈夫な竿に変わっていった。他の釣りと同じように石ダイ竿にも並継竿と振り出し竿がある。初めは並継竿を愛用していたが、振出竿でもあまり変わりがないことから振出竿に変えた。並継竿の場合は置き竿にし、振り出竿の時は手持竿にする人が多いようだが、私は振り出し竿で使い分けている。手持ちにした釣りはどうしても「攻め」の釣りを中心とした宙釣りになるから、が竿は短く軽いものが好まれる。私はこれに加えて、自分一人で大物がきても竿を起こして魚を浮かせて取り込めるような竿を選びたいと思っている。
【リ-ルについて】
 石鯛釣りは、竿とリールで勝負が決まると言っても過言ではない。それだけにリールがタックル全体に占める重要性を考えると竿と共に大事になってくる。竿にしてもそうだが、釣り師の個性が最も表れるのがリ-ルの選択である。上物と違い基本は両軸リール(通常タイコリ-ルとも呼ばれる)が基本だが、各社が?を付けるような個性的な物から小型軽量のものまで様々にある。個人的には外国製がシンプルで使いやすいと感じているため、「アブ」や「ペン」が優位と思っている。使いやすさで選ぶのが一番だろう。
 石鯛釣りは一見するとのんびりと向こう合わせで釣っているように見えるが、上物を釣っている時のように小物のエサ取りが激しい。オモリが底についてから1~3分でリールを巻く。巻いてみてエサがついているか否か分かるようになってくると一人前だ。
 潮表(しおおもて)を釣るのが石鯛釣りの秘訣である。潮が磯に当たる所が、甲殻類や小貝類を餌にする石鯛が寄りやすいからである。あとはポイントの見方が勝負を左右する。渡磯したら上げ潮、下げ潮の状況、潮が当たる場所を確認することも必要だが、予めその磯の状況(成り立ち)を確認するなり船頭に聞くなりして狙うべきポイントを定めるようにしなければならない。
 「なぜ石鯛釣りに拘るのか」かと聞かれると「努力すれば努力するほど結果に表れるから」と答えたいと思う。努力とはマキエの方法、潮の見方、釣行までの体力の管理、情報の収集であり、釣り場の確保である。加えて、どの様な釣りにも言えることだが、その日の天候、水温で魚が寄りつくタナが異なり、釣果に大きく影響がでる。心の準備とともに情報分析に掛かる気構えもお忘れ無く。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第15話 《石鯛釣りについて-2》
イシダイ 磯釣りの中でも豪快さでは石鯛釣りが一番であるとは前編で記したが、繊細さもグレやチヌ釣りに劣らない。磯の代表的なふかせ釣りのように相当量の撒き餌や集魚材を使うわけでは無いが、高価な餌を効率的に効き目良く活用するには、潮を読むことも一つだが、竿先の僅かな動きを通じて獲物と遣り取りをする繊細さは不可欠である。神経質である必要は全く無いが、何れの釣りにおいてもではあるが、特にこの釣りには集中力が無ければ無理である。
 今回は代表的な石鯛釣法について私見をまとめてみた。
【置き竿釣り】
 先調子の竿を基本に、餌を求めて回遊している石鯛の習性と、潮回り、磯のポイントを確実に狙う方法である。干満差の現れる磯では、石鯛が好むフジツボやカメの手などの貝類や、その間を動き回る磯カニを目にすることが出来る。
また、磯周囲の岩相や、高い位置から磯周辺を見渡すことで、周囲の根や海溝(ミゾ)を推測することもできる。これらの地形情報とその日の潮回り、海水温から、攻めるポイントと深さ(棚)を設定し、徹底的に餌を落とし込むのである。この釣法は古くから行われているものだが、熟練を要する方法でもあり、アタリを待つ形になるので、多くの方々からは「待ち釣り」と思われている。実際には、この釣法は、基本に則った「攻め」の釣りであり、多くの自然情報を読み切る力が不可欠であり、深い山で長期に獲物を求める「マタギ衆」の感覚に近い、磯(自然)と共生する方法と思っている。磯
【南方宙づり】
 短めで軽い胴調子の竿を基本に、撒き餌をこまめに行い、磯際に潮やポイントにあまり拘らず石鯛を釘付けにして浅めの棚で狙う方法である。基本的に離島や離れ磯の魚影が濃いと思われる地域で有効と考えている。餌には貝類の剥き身を主に用いて、素早い手返しで繰り返し同じポイントを攻めるのがコツである。見た目に手返しが早いため「攻め釣り」と目されるが、魚影が薄い地域では効果が乏しい様に思われる。「置き竿」方式の基本と併せれば良いとも思われるが、「釣りを楽しむ」事からは離れてしまう様に思えてならない。小物まで釣り上げてしまうことになるので、あまりお薦めとは言い難い方法と思っている。
  どの様な釣りも魚が居なくては話にならない。小さな幼魚まで数釣ってしまっていては何れ種が枯渇する事にも繋がってしまう。石鯛釣りはその力強い引きに魅力を感じて取り組む、言い換えれば大物釣りの醍醐味を味わうものである。魚の生態系を変えてしまうような乱暴な方法は避けるべきではないかなと思う。「釣れればよい」では情けない話である。
 石鯛釣りに取り組まれる方々には、磯に竿を構え、一段落して見渡す時の海の美しさ、磯の不思議さに、自然に溶け込む魅力を感じる釣り師になっていただきたいと思う。撒き餌の多さは磯に残されるゴミ、不廃物の多さに繋がってくる。美しい磯、輝く海、楽しい釣りを次世代に引き継ぐのも、現在の釣り師に架せられた役目と心得てもらいたいものだ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第16話 《石鯛釣りについて-3》
 広島市は瀬戸内海のほぼ中央にあり、更に深く抉られたような広島湾の奥深くにある。気候は温暖で、海も波浪注意報が出たところで、波高1.5mもあれば大時化となる。当然のように『荒磯』とは縁がなく、石鯛釣りにも感心は薄い。暫く前までは、釣具店にも底もの釣りの部類に属する小物を見つけることさえ難しかった状況にあった。
 このような環境で石鯛釣りを極めるためには、石鯛の居る磯を求めて遠征するしかない。
このため、底物を狙って釣り歩いた場所は、山陰は島根半島、陰岐、浜田、益田、四国では高知県、古満日、中バエ、柏島のムロバエ群礁幸島、更に足摺岬に西海、御五神島と時には釣りクラブの有志達と、時には夫婦釣りで、時にはこの連載の編者を連れて遙々通ったものである。
 釣りには個人の努力も必要だが、船頭さんの協力が無くては、単なる理論派になるだけである。私が、西海で「山木屋」と出会ったのは昭和48年頃であったろうか。「山木屋」は西海武者泊湾地区でも有名だと言う。渡船事業組合員でもあるし、会っている中に、性格や態度がおだやかで、その上気持がさっぱりしている、いわゆる虚心坦懐な人物である事が分かった。
 出会ってから初めてのうちは渡磯しやすい磯にあげ、徐々に難しい磯へ移って行った。
最初は「野地」次は「高茂崎」「鼻面崎」「地蔵鼻」「フタゴ」「アブセ」「ヒラバエ」「ヤッカン」移って行く。
渡磯は慎重に磯へ渡しからも見まわり来たり磯によっては船を待機させてくれた。
 このような船頭さんなので、私より家内の方がほれこんでしまった。月に2回は武者泊に釣行した。そして釣友も増して行った。船の中であいさつをかわす人、進んで荷物を持ってくれる人、磯の上を運んでくれる人、一年もたたない間に夫婦釣りは有名になってしまった。
 上物、底物などについて見なれた磯でも変わった釣り人の目で見ればいろいろと異なった磯に見え、アドバイスをしてくれる。新しいポイントも教えてくれる。石鯛釣りについても様々な知識を授けて貰った。今では当たり前の様なことも、ここで覚えたものだ。
 自分では、「石ダイ釣りのすべて」※小西和人氏の本を求めて読みふけり、山木屋渡船の中で釣友から聞いた話を一つ一つ確かめるとともに、磯で実践してみることを繰り返した。『技は実践から身に付く』、間違いなくその通りであった。
※編注:釣り専門誌『週刊釣りサンデー』の元会長、小西 和人(こにし かずひと)氏が先日1月7日に逝去された。あらゆる磯釣りの先駆者であり、バイブルの様な書物を多く創刊していただき、感謝の言葉もない。心からご冥福をお祈りする。合掌。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第17話 《美味は海にあり》
 『網代(アジロ)』中国地方や九州地方では、魚の良く集まる漁場をこのように呼ぶ。山口県にある周防大島では、海岸縁までせまった山の樹々が陰となって、鰯がよく集まってくると言う。このような海岸で沖に磯がなければ良い網代になると言われ、昼網、夜網の場所が変わるという。このような漁場で、他国の漁師が来て漁をするときは、網であれ釣りであれ、「アジロ金」「アジロ科」なる課徴金を科すのが習慣だったと聞いた。資源を枯渇させないで、漁師が共存する方法をの一つであったようだが、ここの鰯が人気があったためでもあろうか。
 『烏賊』と書いてイカと読む。この由来は、イカが水面に浮かんでいるとカラスが来て、イカが死んでいるものと思って食べようとしたところ、イカはカラスに足を巻き付けて海に引き込み食べてしまった、つまりカラス(烏)を賊害(傷つける、損なうの意味)するので『烏賊』と名がついたそうだ。
 烏賊はコウイカ、アオリイカ、スルメイカが有名。海産の頭足類十腕目の軟体動物で魚ではない。脚は十本、内二本はほかより長く伸びエサを捕ったり交尾をするときに使うと言う。普通はしまっておき、エサが近づくと伸ばして食べる。イカは貪欲な肉食性の動物である。
烏賊 コウイカ(甲烏賊)、漢方ではこのイカの軟骨を「イカ骨」といって粉末にして煎じて飲むと「喘息(ぜんそく)」によく効くという。イカのフネ(軟骨)は魚屋などでは捨てるものだが、これを2~3日陽に干してカラカラにしたものをミキサにかけて粉末にしたものを砂糖をまぜて飲むとよいらしい。これをで「喘息(ぜんそく)」は治ると言われているらしいが、真相は定かではない。よく墨を吐くのでスミイカとも呼ぶ様だ。
 アオリイカ(障泥烏賊)、寿司ネタには最高、中国地方ではミズウオと呼ぶ地域もあるが、大きい物では70~80㎝にもなる。大きさに拘わらず美味であるため、釣りの対象としても人気が高い。
 スルメイカ(鯣烏賊)、全体があざやかな赤褐色であるが、襲われると半透明の白色に変わる。イカ素麺に人気が高い、庶民的な烏賊である。そのものずばりで最もスルメに適した烏賊である。
 昔から「鯛(たい)」や「鱸(すずき)」を釣ると良い魚を釣ったと高く評価される。味も良く、姿・形も良い。私自身も、石鯛釣りをやるまでは鯛に鱸を追いかけ廻したものであった。
寿司屋に行っても鯛、鱸、鮃(ひらめ)、縞鰺(しまあじ)等が目につき、石鯛は縁がない。されど、鰯や鯖、鰺に烏賊も美味しい。広島ならではの小魚料理は、鮪(まぐろ)に引けを取らない。『美味は海にあり』、将に言い得た言葉である。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第18話 《海に魚あり、磯に友あり》
 磯釣りに限る訳ではないが、魚の情報を基に釣り場を訪ねれば、様々な人との出会いがある。愛媛由良半島での出会いもその一つだ。
 由良と言えば忘れられない友人がいた。それは竹田利夫氏である。由良で会って名伯楽佐々木寅雄船長を紹介してもらったが、船長は温厚で礼儀正しい立派な人物であった。磯周りの特徴が未だ把握出来ない私に、由良の磯をいろいろと教えてくれた。釣り場の帰り船長室に呼んで、釣り場(ポイント)とその釣り場によって釣れる魚を教えてくれたものだ。
 ---「沖釣り」は最も沖に位置する由良での一級磯で上物、底物ともにやれる。底物は北の船着場の右手で大判が狙える。エサはカラス貝が最も良い。「地釣」上物は年中釣れ、魚種はグレにアイゴ、ヒラマサ、マダイ、イサキとなる。
底物は、石ダイにカンダイが主で、ポイントは船着きの左手、引き潮がねらい。「小猿」底物は東側向き、小猿の南側にある小島では大型石ダイが記録されている。「大猿」底物はワレメが最高で、ハナ向きに投げるとよい。エサはカラス貝が良いが、エサ取りが多い時はウニエサを使う。---
 まるで教典の様だが、現場の隅々まで把握している人の一言一言には、その他いろいろと教えてもらった事も含めて、説得力が溢れ、記憶から消えることは無かった。
 このように竹田さんからの強い推薦もあって、佐々木船長には大変世話になったのだが、残念ながら竹田氏とのつき会いはそう長くはなかった。その後は磯でお会いすることも徐々に少なくなり、全国大会から帰りに宇和町の審査場でお世話しておられる竹田氏を見かけるのが精々になってきた。竹田さんは由良の釣り場で会ってから急速に親しくなった方だが、由良ばかりでなく愛媛の釣り界をよく知っておられ、長年にわたっていろいろとお世話されておられたのである。また、全関西磯釣り連盟の理事として活躍されておられる私にとっても大先輩であるにも拘わらず、真に気さくな人であった。佐々木船長が「竹田さんは本物の人格者なんよ。」と話していたのを思い出す。
 愛媛件の大会で夫婦そろって入賞し、その竹田さんから表彰して頂いたことは忘れもしない。わざわざ送って下さった当日の表彰式の写真とビデオは、我家の宝物の一つとして魚拓と共に大事にしている。最後にお会いしたのは広島での連盟理事会であったが、その後急逝されたとの便りが届いた。短い時間であったが、今でも心に残る暖か味のある親しい友人であったことを思い出す。
 友との触れ合いは、時間の長短や、損得、年齢の上下では図りきれないものがある。相手の人格を尊重して、敬意をもって触れあえば、得る物は多く、自身の成長にも繋がる。『朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや~』である。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第19話 《美味なる魚 第2回》
 「寒」である。「寒」は二十四節季の小寒の日から立春の前日(節分)までの約30日間を言い、大寒の日がほぼ中間となる期間の総称である。釣師としては、桜のつぼみが膨らむまでが「寒」のように思うが、これは海水温の上がり下がりからくる感覚の話である。
 海水温は、季節が冬になったからと言ってそう簡単には下がらない。私が本拠地にしている四国南予中泊地区を渡船基地とする磯釣り場は、四国沖を通る黒潮(暖流)から豊後水道に向かう分流の影響で温かい潮が廻り易く、簡単に冷え込むことはない。
ちめたいこの海水が冷えるのは、中四国地方に雪や冷たい雨が降り、水温が下がった河川の水が瀬戸内海に流れ込み、それによって冷やされた海水が豊後水道の海底側に流れ込むことからである。これは風呂の原理と全く一緒で、熱い湯を水を張った風呂に入れても、温かい水は表面だけで、底は冷たい水のままである。
 すなわち、暖流の影響を受けた温かい海水は海面側に流れ、冷やされた瀬戸内海の海水は海底近くに滞るので、これが混ぜ合わされ無ければ海水温は下がらない。この「混ぜる」作業をしてくれるのが冬の季節風と、この時期特有の「時化」である。この結果で海水温が下がるのであるから、節季の「寒」とは少しずれてしまうのは仕方がない。これは雪解け水が無くなる桜の季節まで続くから、その季節までが「寒」であるように錯覚してしまうようだ。
 「寒」の時期には魚の身が締まって旨味も増す。但し、魚の活性(食欲)も下がるから、釣り難いことこの上ない。大型魚の「鰤(ぶり)」類は逆に活性が高くなり、良く小型魚を追い回す様になる。「寒ブリ」と呼ばれ重宝されるのは、この時期の脂のよく乗ったものである。
 上物釣りで人気の高いグレ(尾長グレ)も、この時期には大型化するが、活性は低く「寒グレ」と呼ばれるほど美味くなっているにも拘わらず、大変釣り難い。
夏場には「磯臭い」と食味を敬遠される方でも、この時期のグレは賞賛されるほど美味しい。刺身にしてもよいが、水炊きの主役として登場させれば、これ程美味い磯魚はなかなか見つからない。九絵(クエ)を筆頭に底物の魚が美味くなって、鍋物を彩るのは当然だが、上物では「寒グレ」が最高だと思う。是非にお試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第20話 《美味なる魚 第3回》
 桜の便りが聞かれ始めると真鯛(マダイ)が最も美しく美味しい時期になる。『桜鯛(サクラダイ)』と呼ばれ、全身を美しいピンク、桜色に染めて豊後水道を群れて北上し、産卵場としての瀬戸内海に向かうのである。『桜鯛』とは、この産卵を控えた真鯛のことを呼び、真鯛の最も美味しい旬と桜の咲き誇る時期が揃うことからこのように呼ばれるようになったらしい。
 真鯛は、基本的に年中釣りの対象となる魚であるが、磯から釣れるのはこの春先と真夏の夜釣りが最も多い。春先には大物もよく釣れるが、美しい魚体に産卵に備えた栄養をたっぷりと溜め込み、さらに冬の冷たい海で引き締められた中型の真鯛は、得も言われぬ旨さを味合わせてくれる。この時期を外すと、真鯛愛食家には失礼だが、特別上品な旨味は消え、特に産卵後は、俗に「麦藁鯛」とも呼ばれる大雑把な食味になってしまうようだ。これは、地域性があるから一般論にはならないので、個人の感想として受け取って戴きたいが、桜鯛の旬を過ぎた真鯛は、生(刺身)よりも焼くか蒸す料理の法が味が引き立つように感じられる。味は兎も角、見た目の美しさは、季節を問わず「王者の風格」を持っているのは間違いがないだろう。
 この桜鯛の時期には、是非シャブシャブを試して戴きたい。寒の時期に「鰤のしゃぶしゃぶ(鰤シャブ)」を好まれ、高評価をされる向きも多いが、春先の桜鯛を使ったそれは、鯛に繊細な旨味をしっかり活かしてくれて、きっと病み付きになることと思う。養殖技術が向上して、養殖鯛が多く店先に出回るようになってきているが、この旬を味わえるのは、やはり自然界からの贈り物だけだろう。
釣味を愛し、その姿を愛で、味を愛しむに相応しい「桜鯛」に是非挑戦していただきたいと願って止まない。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第21話 《春の海~1》
めばる『桜鯛』とともに「春告魚」と呼ばれるものに『目張(メバル)』がいる。地域によって「春告魚」は異なり、北海道では「鰊(ニシン)」と聞いたことがある。瀬戸内海では「鰆(サワラ)」は将に名が表しており、「玉筋魚(イカナゴ)」も関西では「春告魚」と呼ばれる種類である。
 メバル釣りは「竿あしらい」入門にはもってこいと思っている。色々な釣り方があるが、是非に延べ竿をお薦めしたい。初心者には難しいと敬遠される向きもあるが、ここで手にした「竿あしらい」は全ての釣りに応用ができる。延べ竿で取り組むメバル釣りは面白さがまた格別とも言え、この竿のあしらい方と判断力で釣果にはっきりと差が出るものでもある。
 延べ竿は、昔ながらの尺貫法で呼ぶことが多い。三間竿ならば5.4m、三間半なら6.3m、四間ならば7.2mの長尺竿となる。初心者の方は最低でも三間竿を使って戴きたい。今は短い振り出し型の渓流竿を使われる方も見かけるが、1mの竿差が釣果に大きく影響するのが延べ竿の面白いところである。因みに私の拙文の編集者は、四間の長尺を見事に操り、端で見ていても感動するほど実に美しい弧を描かせている。
 メバル釣りの仕掛けや餌は様々な紹介本があるので、此処では遠慮するが、『メバルは足で釣れ』と言われるように、ポイントを探って動くことが多く、また、夜釣りの方が効率的とも言われているため、出かける時に安全装備だけは充分にして頂きたい。お節介ながら一言付け加えると。『目張凪(めばるなぎ)』と言われるように、海に波が目立つようではなかなか釣れない。実はメバルは魚のくせに泳ぎがあまり巧く無いのである。
 最期に美味しいメバルの味わい方を一つ。メバルは数釣りの対象であり、生命力はあまり強くないので、針係りした場合大半は弱ってしまうので、小さい魚を釣り上げても放流は無意味である。そこで、小さいメバルは、南蛮漬けを好まれる方も多いが、腑を出して風通しの良い日陰で干し魚にされることをお薦めする。この干しメバルの出汁で真夏の冷やし素麺の汁を作ると料亭以上の格別なものになる。お試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第22話 《春の海~2》
 少し磯釣りから離れて、個人的な春の風物詩を一つ。防波堤からの「鱸(すずき)」釣りである。この魚は汽水域から磯、狭い水道周辺まで広く釣りの対象となるもので、若い方達には「シ-バス」としてルア-の対象とされる向きも多いようだ。
スズキには【スズキ】と【ヒラスズキ】が日本には生息しているとされていた、今では【ホシスズキ(タイリクスズキ)】なる外来種もその仲間になってきたらしいが、何れも豪快な釣味が魅力となっているようだ。
 ご存知のようにスズキはフィッシュイ-タ-(小魚を餌にする肉食魚)であるため、水温が上昇して小魚の動きが活発になると、それに連れて動き出してくる。春先の河口周辺の汽水域近くでは、ゴカイの産卵期もあって、ゴカイや小魚を追って水面近くを動き回るスズキを見かけることができる。3月に産卵して体力の落ちたスズキが体力回復のために荒食いをする時期でもあり、爆発的な大釣りになることも少なくない。
この時期に防波堤からのスズキ狙いは半夜釣りが良い。足下は防波堤であるから悪くないし、寒の様な強烈な冷え込みも少ない。釣り方も簡単で、ゴカイを房掛けにしてルア-釣りと同じよう波頭の陰(暗部)に落とし、潮の通しによって明るい処に流れる様にすればよいだけである。但し、このような釣り方が通用するのは、精々1~2週間の好調時だけであることを付け加えておく。
1匹釣れれば肴には充分であるから、程々に楽しまれたなら早めに引き上げられることお薦めする。風邪をひきやすい季節の風に吹かれながらの釣りではある。ご用心を!
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第23話 《春の海~3》
 桜も終わり海の模様も冬から春の気配が漂い始めると「ノッコミ」の季節になる。「ノッコミ」とは、冬場に海水温の低下に伴って活動量が少なくなった魚が、安全の為に深場で時を過ごし、海水温の上昇とともに、繁殖期を迎え、産卵のために浅場に戻ってくる状態をいうものである。典型的にその生態が表れ、よく知られている魚には、チヌや真鯛がある。『桜鯛』と呼ばれるのも「ノッコミ」の一つであり、どの魚種にも共通しているのは、産卵に備え体力を付けるために荒食いをする、言い換えれば、釣りやすい状況になることである。深場に移動する際にも、荒食いに近い状況は発生するが、この時期は少々堅い餌でも捕食するが、「ノッコミ」時期には、軟らかい餌を好むようだ。動物の世界も力の強いものが真っ先に餌に有り付けるのだが、この時期の魚も、日頃の警戒心を忘れるのか、老成した大型魚から餌に飛びついてくる傾向が見られる。このためか、この時期に釣れた魚は記録になるものが多い様に思える。
さざえ 私に馴染みの石鯛は「ノッコミ」期に貝類の剥き身を多く餌に用いる。夏場から冬近くまでは、餌取りが多い為でもあるが、貝類は殻付きのまま、それ以外にはウニ(ガンガセ)を主だって使う。この時期の石鯛は、貝の殻を、例えサザエであっても、あの強い歯で割り砕いて身を捕食する。ウニも同様で、あの鋭いトゲを噛みちぎって、最も好物とされる口(芯のように見える部分)に囓りついてくる。堅いとか痛い(?)とかはお構いなしなのである。
 ところが「ノッコミ」期には、これら堅い餌には振り向きもしない。強いて堅いものと言えば、伊勢エビや磯ガニの殻程度なのである。生態論的には様々の説があるのだろうが、不思議なものである。自然界には分からないことが多いものだ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第24話 《初夏の海~1》
 陽射しに強さが増し、風が新緑の爽やかさを運び出すと、磯釣りは絶好の時季を迎える。
陽射しは暖かくても、風は肌を刺すような春先から、直接の陽射しも強く、海からの照り返しが強烈となり、南の噎せ返るような湿気を帯びた風が襲ってくる真夏との過渡期になるこの季節は、磯に立っていても気持ちが良く、青い海と空に溶け込める様な錯覚にも楽しさがある。この頃の海は、幼稚園の運動場と化す。春の産卵期を過ぎて、ふ化した幼魚が群れを成してアチラコチラで泳ぎ回っている。その群れをシイラ等の大型魚が追ってくるのだが、襲われて水面近くに飛び跳ねる幼魚には、鴎や鳶といった空中からの脅威が待っている。まさに成長するためには闘いの連続であることを報しめす光景が展開されるのもこの時期ならではあろうか。
 釣りも同様で、磯端で撒き餌をすれば、小さな魚が雲霞の如く寄ってきて、目論見通りの釣りが出来ない状態になる。この時期には釣果の差が経験に裏打ちされた読みの差としてが出てくるのだが、それを度外視しても磯釣りを始めるには良い季節であり、魚の大小、対象を気にしなければ、必ず何かがヒットしてくれる、面白い時季でもある。
 さて、真剣にこの時季の磯釣りを楽しむには、イサキ釣りをお薦めする。初夏が産卵期のイサキは、この時季には磯近くに群れを成して集まってくる。釣りのポイントは、この時期は群れで行動する魚であるため、群れが磯近くに居着く撒き餌をすることで、撒き餌を切らさず散らさないことを心懸ければ特に難しい釣りにはならない。根本は夜行性の魚であるから、昼間のタナは深めから探ってみるのが効果的と思える。
 どのように食べても大変美味しい魚であって、人気の高い魚であるが、この時期に磯際で釣れるイサキは産卵間近のメスが多い。数釣りも可能な時季ではあるが、種の保存の為にも控えめに御願いしたいものである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第25話 《初夏の海~2》
かつお 『目に青葉 山ホトトギス 初鰹』多くの人がこの季節に口にするであろう有名な句は、江戸時代初期の俳人山口素堂の作である。この句は江戸の季節感を表したものであり、句中の「鰹」は房総沖を北上する「のぼりガツオ」とされている。
秋の「もどりガツオ」と違い脂の乗りは少ないが若々しい味が売り物のようである。この鰹の血合い(魚の筋肉をつくる細胞のうち、赤色筋繊維という細胞が多く集まった部分。
血液中で酸素を運ぶ役割を果たすヘモグロビンや、筋肉の中で酸素を貯蔵する役割を果たすミオグロビンといった赤い色の色素たんぱく質が多く含まれている。)は酒飲みには強い味方になるそうで、某健康飲料でお馴染みのタウリンが多く含まれ、他に鉄分、ヴィタミン、カリウム、DHAの含有率も高いそうである。
特にタウリンはコレステロールを下げ、不整脈を改善して心筋を強化し、肝臓の解毒能力を高めるとも言われており、これにニンニクを添えると効果は高まるそうだ。刺激が強く、高齢者には厳しい味覚となりがちなので、私はタマネギを代用して頂くこととしている。
 青葉が美しいこの時期には、地域差はあるが真鯵(マアジ)が絶妙な旨さを醸し出す時季でもある。鰺釣りは、岸壁等でサビキ仕掛けを用いた小アジ釣りがよく知られているが、磯から釣る30~40㎝のマアジはかなりの技術を要する難敵である。アジは、どの種類も共通のようで、口の周りの筋肉が弱く、簡単に切れやすい魚であるため、磯釣りでヒットさせても、暴れ回る内に針掛かりしたところが切れて針が外れてしまうことが多い。高級魚の縞鰺(シマアジ)も同様で、いくらヒットさせても取り込めるのは僅かなチャンスしかない。釣り師にとって、針が外れて喜び勇んで深みに還って行く魚を目の当たりにする事ほど悔しいものはない。新鮮な旬のアジを味わうには房総半島の代表的な郷土料理として知られる『なめろう』が一番だろう。新鮮な大葉(青じその葉)とショウガをみじん切りにして、小さく刻んだアジを混ぜ合わせ、味噌で味付けながら叩いていく。粘りが少し出てきたところで形を整えれば出来上がりである。これに甘酢を併せれば酢なますとなり、また格別な味覚となる。真夏には、これを氷水に溶いて氷なます(水なます)とすれば、暑気払いに最適なものとなる。魚好きには堪らない一品となることは請け合いである。お試しを。(一部読売新聞社『もの知り百科』を参考にして加筆しました。編者)
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第26話 《初夏の海~3》
 磯釣りから離れて、浜釣り(投げ釣り)に寄り道してみよう。初夏から盛夏にかけて狙う代表的な魚に「鱚(キス)」がある。ここで言うのはシロギスのことで、筆者もこれ以外にお目に掛かったことがない。
江戸前の天麩羅料理には欠かせない魚で、初夏が産卵期であるため「夏魚」と思われているが、基本的に年中釣れる魚でもある。昼釣りの対象魚で、初夏から盛夏に書けて浅瀬で群れていることが多いため、海水浴場でもよく目にすることができ、家族釣りには持ってこいの魚である。仕掛けや竿も釣具屋で手頃に揃えることができ、釣りのポイントも砂地であるためトラブルも少なく、子供でも容易に釣ることが出来る。投げ釣りの基本をお復習い(おさらい)するには丁度良い題材となり、子ども向けの「釣り入門編」には必ず載っているものである。
 キスは砂地を好むと書いたが、荒磯近くの岩場と岩場の間に点在する浅めの砂地も当然生息域になっている。磯釣りの対象魚にはならないため磯釣り師が狙うことはないが、延べ竿で砂地に餌を這わす釣り方で、結構な釣果を上げる熟練者も見かける。小型のキスを餌にして「鮃(ヒラメ)」を狙う技を披露してくれる芸達者もいるが、ハオコゼのように砂地に棲む毒を持つ魚に手を焼く事も少なく無い。
これは海水浴場の様な場所でも同じであるから、無闇に小魚を捕まえようとしないことだ。また、砂浜で乾涸らびたハオコゼを踏んだり拾い上げてトゲが刺さると、一日中疼き続ける事になるからご用心を。例えその様になっていても毒が消えるわけではないので、釣り上げた魚を無闇に投げ捨てないように御願いしたい。
 キスは刺身にしても焼いても美味しいが、やはり天麩羅が一番人気のようだ。中骨も軽く炙るか揚げて小塩を振れば、軽い食感も相まって大変美味しい。磯でキス釣りをする朋輩は、釣り上げたキスの頭を堕とし、背開きにして腑をとり、磯際でキスの干物(本人は「チョイ干し」と言っているが)を作る事を楽しみにしていた。瞬く間に20匹前後を釣り揚げ、手際よく処理して水汲みバケツのロ-プに洗濯ばさみで干すのだが、海水が程良い塩加減としてくれるようで、酒宴の肴には最適のものとなった。問題は、時として鳶(トビ)の襲撃があり、折角の干物を持ち去られてしまうことだ。本人は本来の磯釣りに集中しているため、鳶にとっては「スキ有り」の状況だろう。
 砂浜の釣りは開放的で楽しいものだが、仕掛けやゴミを散らかしたままにしておくと、怪我や不快感のもとになり、悲しい思い出になってしまう。どうか使った仕掛けやゴミは持ち帰り、美しい海辺を護って貰いたい。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第27話 《初夏の海~4》
餌木 前回に次いで再び寄り道してみよう。
初夏の防波堤にはエギングに興ずる若者が増えてきている。
障泥烏賊(アオリイカ)を餌木と呼ぶ疑似餌で狙うのである。
アオリイカは刺身や寿司ネタとしても喜ばれ、文献によると日本本土には3種類のものがいるらしいが、専門家でなければ区別は難しい様だ。但し、食味は何れも上質とのこと、安心して狙って頂きたい。イカ類は地域によっても呼び名が違うものでもあるから、判り難さに拍車が掛かるが、アオリイカはヤリイカやスルメイカの仲間である様だ。詳しくは専門書等でお調べいただきたい。
 さて、アオリイカは晩春から秋口(立秋)辺りまでの長い産卵期があり、産卵後孵化まで約1ヶ月、孵化から2ヶ月で10㎝程度まで大きくなる、成長の早い種である。磯から観ると大小様々なアオリイカが群れを成しているが、これは産卵期が長いのと、成長が早いことによる現象らしい。従って初夏の時季に狙うと大小様々なアオリイカにお目にかかれることになる。アオリイカ
アオリイカの餌をとるのは、概ね朝と夕の「マヅメ」と呼ばれる時間帯が多い様だが、小さい内は昼間でも収餌活動が活発なようで、10㎝前後のものは磯でもよくヒットする。この「マヅメ」の時間帯は、小魚が多く活動する時間帯でもあり、初夏の日没直後に集魚灯を付けて小魚を寄せると、それを狙って結構大型のアオリイカが寄ってくる。今般アオリイカの釣り方は、様々な書籍が写真入りで出版されているので、此処では遠慮するが、防波堤には危険が多いので注意喚起は怠らないで頂きたい。加えて、ビギナ-から熟練者までそれなりに楽しめるアオリイカ釣りだが、イカ墨を防波堤の上でまき散らしたままにするのは困りものだ。せめて海水を汲んで流す等して、どなたでも気持ちよく楽しめる様にしていただきたい。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第28話 《真夏の磯つり(1)》
 釣りをしながら、よく考えたものだった。釣り人生の中で何を得たのか、何を失ったのか。釣りを通して自然の美しさと、反対に自然を破壊しつつある人間の身勝手さを嫌と言う程知らされたと思う。何はともあれ、釣りは楽しいから釣るのだ。なんだかんだと理屈をつけて道を究めようとする修行僧のように大層なことを言うなと私は思う。
 真夏の磯は修行僧になった気分を味わえる。強烈に照りつける太陽、陽射しを遮るもののない水辺、焼けた磯の岩に海面からの照り返し、まるでオーブンの中に居るようなものである。このため、真夏の磯つりには徹底した熱中症対策が必要である。足下には短靴型の磯靴に厚手の綿ソックス。通気性の良いズボンとヒップガ-ド。ヒップガ-ドは通気性とともに耐熱性が求められる。磯に腰掛けた場合の火傷と汗疹にやられてしまうからだ。
上着は襟のある厚手ながらも通気性の良い綿シャツ、下には吸汗性、発汗性に優れた丸首の半袖シャツ(Tシャツ)は必須である。襟が無いと延髄が直射日光を受けて熱せられて脳炎を起こしてしまう。頭には日除けのついた帽子と、ヘルメットが望ましい。ここまで読まれればお判り頂けると思うが、露出してる肌は手首から先と、顔だけである。さらに、手首から先には手袋(フィッシンググローブ)でカバーすることが、指先の裂傷と火傷を防いでくれる。これにサングラス(偏光眼鏡)をセットすれば、町中では立派な銀行強盗スタイルである。
 水分の補給は欠かせないが、大きなクーラーは荷物となる。小さくても性能が良いものが水分補給専用にほしい。これに、使用済みのペットボトルに湯冷ましを入れて凍らせたものを持って行くと良い。氷の代用にもなり、溶ければ飲料水となるからだ。他のものを凍らせた場合には、全部が溶けるまで飲みにくい状態になってしまうし、アルコールを飲料水と扱った場合には、汗が噴き出して体内濃度が上がるばかりとなってしまい、かえってバテてしまうことになるので、ご注意を。
 最期に必需品として推奨したいのがビーチパラソルである。風が強い場合は邪魔になってしまうが、大半は風もなく暑いばかりであるから、日除けを作るのに役に立つ。クーラーにロープで縛っておけば、氷も長持ちし易くなる。竿ケースに1本忍ばせておけば助かることになるので、お薦めである。呉々もロープをお忘れ無いように。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第29話 《真夏の磯つり(2)》
蚊 真夏の磯には必需品が3つある。水分補給は前編で述べたが、塩分と糖分の補給も忘れてはならない。これだけでは単に修行僧になるだけであるが、意外な強敵が磯には存在する。ヤブ蚊である。これが一筋縄ではいかないやっかいな存在である。海なのにヤブ蚊がいるのかと訝しがる方々も多いと思うが、意外と磯はヤブ蚊の宝庫なのである。
海面に近い水たまりは「潮だまり」と呼ばれる海水池でヤブ蚊も敬遠するのだが、波を避けて海面から高いところに立つ釣り師の側にある水たまりは比較的雨水が溜まったものが多い。直射日光があたる場所の水たまりは、高温の温泉の様になるから、流石にボウフラは見あたらないが、少しでも陰になる場所にはしっかりと生息している。このヤブ蚊たちの格好の標的が、誰でもない釣り師たちである。
夏だから汗をかくのも半端ではない。この炭酸臭に引き寄せられてヤブ蚊はやってくる。彼らは必死なのだから、半端な襲い方はしない。少々の厚手の綿シャツなどいとも簡単に突き抜いて、血を吸い出そうとする。虫除けスプレー等は汗とともに流れ去るから、全く役に立たない。将に生け贄状態になる。
もっと拙い状況になるのは、このヤブ蚊を餌にするトンボの襲来である。このトンボの群れを相手に竿を振るのは、なかなかと勇気が必要である、一降りで何匹かが撃墜される羽目になるからだ。ヤブ蚊を叩くことに躊躇はないが、トンボをたたき落とすには気が引けるのである。磯で少し強めの風が吹き抜ければヤブ蚊もトンボも居なくなるが、これはこれで釣り難くなる。
そこで、ここで登場するのが昔懐かしい「蚊取り線香」なのである。これこそが真夏の磯の必需品である。当節は家の中で「蚊取り線香」を風流に炊いているご家庭は少ないと思うが、磯ではそうはいかない。自分の周りに狼煙が上がるように置き、煙を絶やさないようにするのが秘訣である。一度の釣りで、ほぼ8巻程度は使用すると考えて丁度良いと思う。磯のヤブ蚊に刺されると、街中のそれとは比較になら無いほど痒い。釣りにならなくなるので、用心に超したことはない。蚊取り線香
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第30話 《真夏の磯つり(3)》
 真夏の磯には危険が多いが、この時期にしか出来ないものに一昼夜の通し釣り(夜釣り)がある。夜釣りそのものは、天候が許せば年中試みることは可能な釣りだが、比較的安全で過ごしやすい上に、そこそこの釣果が期待できるのはこの時期が一番だろう。友人達は、夜釣りがしたいのか、磯でキャンプがしたいのか判らないような準備で、大挙して磯を楽しんでいる。これも一つの楽しみ方だが、当然灯りはないし、足下は不安定であるから、気遣いは陸のキャンプ場の比ではない。十分に安全策を講じておくことである。
 真夏の磯にある危険性は、熱中症があることは先に記した。次いで考えなければならないのが、気候の急変である。夕立・落雷がこの類に入る。滅多にないが、地震が起きて津波に遭遇することとて無いわけではない。何が起きるか判らないこと自体が危険の因なのであることを忘れてはならない。一例として、日本海での体験を挙げておこう。真夏の日本海は、冬場とは全く様変わりする。海面は将に鏡のように凪ぎ、灼熱の照り返しとともに、噎せ返るような風を送ってくる。夜には漆黒の闇となり、夜光虫が「ここは海だよ。」と教えてくれなければ、そのまま歩いて行ってしまいそうなほどである。
 ある時、手頃な鯛を数枚揚げ、ほどほどの釣果と満足して寝床に着いた。寝床と言っても磯の窪みであるが、海面から10メートル程の大きな磯の頂上近くである。上るのには苦労したが、安定した寝床を確保し、10数名の仲間におやすみを言って、満天の星空に包まれた夢心地の気分であった。突如けたたましい複数のホイッスルで目が覚めた。突然の高波に襲われ、クーラーや竿、その他の小道具類が根こそぎ海に掠われている。仲間も頭から潮を被り、救命ロープで安全を辛うじて確保している状況である。駆け上がった大波は、私の足下まで押し寄せていた。時刻は午前2時過ぎ、それは満天の星空の下で起きた、予想も付かない突発事象であった。
幸い人の被害は無く、ずぶ濡れになっても季節柄風邪もひかないで済んだ。神様がクシャミをしたような大波一発だったが、将に何が起こるか判らないことの証明であった。道具やクーラー等の被害は惨憺たるものとなったが、命に代えられない授業料として諦めた。気をつけても、人知に勝る自然の猛威である。夜釣りには十分すぎる安全策を施して貰いたい。命あっての云々である。ご用心を!
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第31話 《初秋の磯つり(1)》
クラゲ 立秋が過ぎ暦の上の季節は「秋」となっても海はまだまだ「夏」真っ盛りである。表面海水温は優に25℃を超え、磯の小さな潮溜まりは恰も温泉水のように熱せられている。 「秋」の声を聞くと目立って変わる景色が、波、うねりとクラゲが目立ち始めることだ。島しょ部の言い伝えに「お盆が過ぎるとクラゲが出て足を捕られる。」といったものがあった。
クラゲが増えて目立ってくるのは子供でもわかっていたが、「足を捕られる」のは不思議だった。これは真夏を過ぎると表層部の高い水温に比較して、中層部以下に冷水域が出来てくるために、足先にかなりの冷たさを感じることになるからだろうと、今になって納得している。そしてこのことは秋口の釣りに応用できる。それは、秋の釣りは海水温で微妙に変わると言えるからだ。タ-ゲットにする魚種、大きさを念頭に置くならば、その魚種の生息域の水温は非常に重要なものとなる。上物と区分される魚種の場合は、上層に近ければ餌取りが多く、中層以下ならば食いつきが悪くなる。餌取りの小魚は、冷水域には近づこうとしないので、上層部の餌取り領域を通過出来した後で食いつけば大物の度合いは高いのだが、そこまで辛抱出来るかが問題となる。
 底物の場合は、錘で水温を推し量ることが必要となる。足下の海水温と、巻き上げた錘に触れた時の温度感触が同じ程度なら問題は無いが、錘がかなり冷たく感じられた場合には、冷水域に投入されたと判断して良い。この場合は、魚の動きが緩慢となる傾向があるので、食いつきやすい貝や、エビ、蟹などの比較的柔らかい餌が良い。錘が暖かい場合は、魚の活性が高くなるので、柔らかい餌では太刀打ち出来ない。貝ならば殻付きにするか、ウニ等のように堅い餌が望ましい。何れにしても秋口は比較的小振りな魚が多いのが底物の特徴となる。
 釣り上げた魚は、素早く締めて、古新聞でくるんで氷に浸けておく必要があるのは、真夏と同じである。特に、秋口といっても陽射しは強く、直射日光にあたると、潮溜まりに活かしておいても魚は傷みやすい。日陰に置いても、人にとっては気持ちの良い乾燥した風が、魚の鮮度を忽ち奪って行く。秋の釣行は、小荷物が一つ二つと増えて晩秋に向かっているように思える。潮溜まり
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第32話 《初秋の磯つり(2)》
 今年も紅葉の季節が近づいてきた。秋磯も本番間近である。とはいえ、昨今の海は温暖化の影響とかで、魚の種類に変動があるらしいが、実際には未だ目にしていないので、実感がわかない。季節感のない海はご勘弁いただきたいものだ。
 秋は、小魚が成長途上であるのと、移動性の魚が元気になるのがほぼ一致して、海は賑やかになる。移動性の魚をねらって大物の回遊魚が動き始めるためだ。大型の回遊魚はこの時期は脂が少なく旨味は少ないが、餌を追う元気は一杯なだけに、釣味は十分である。大型化してずっしり重みのある味と違って、若者が走り回る力強さの味がある。
 意外に知られていないが、真鯖(マサバ)は回遊魚である。世界中の暖海に広く分布し、日本全域で見られるために居付きと思われているが、春から夏にかけて北上し秋から冬は南下する回遊魚である。海面の表層近くを大群となって回遊し、産卵期は3月から8月で、最大は50㎝を軽く超すものがある。脂の乗りの良い秋が旬であるが、青物に弱い方は、旬時はアレルギ-が厳しいかもしれない。一方で、青物好きにはこの魚の旬時の旨さは何物にも換えられない。生サバのお刺身は、寄生虫の怖さを別にして、実に美味しい。ここに面白い話がある。関西以西の海岸地方(漁港に近い地方:広島もここに入る)でサバ刺しと言えば、当然のように生ものである。一方、築地を代表にする関東圏では、決して生ものは出てこない。無条件でシメサバとなるようだ。広島では、生サバと〆サバは確実に区別するから、東京で「鯖のお刺身」と頼むと、〆サバが出てきてがっかりすることがある。所変わればの一つだが、逆もまた有りなので、気をつけるに超したことはない。
 旬の鯖も磯で釣れば釣味は十分である。釣り上げれば瞬時に締めて、血抜きをしっかりすることだ。これを怠ると、折角のサバが残念なことになる。血抜きした後は、海水に浸した古新聞にくるんで、ク-ラ-に確保しておく。群れで回遊する魚であるから、群れを逃がすまいと焦る気持ちも解るが、他の魚と違って、極めて痛みの早いものである。お気をつけられると良い。(沢山釣ってご近所に配っても困る場合が多い魚でもあるから、少なく釣って、きっちりお土産にする方が効率的と思います。)
 最期に、この時期のサバは味噌煮が美味しい。ショウガと併せて煮込むと、臭みも消えて柔らかく、高齢者にも大変食べやすい。お試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第33話 《初秋の磯つり(3)》
シャブシャブ 磯釣りの対象魚とは言い難いが、瀬戸内海から大分県辺りまでの秋魚にアコウ鯛(キジハタ)がある。関西では夏魚の部類に入り、「アコウの薄造り」として人気があるようだ。こちらでは、秋口のシャブシャブが筆頭だが、そう簡単には入手できない高級魚である。近年は漁獲も少なくなり、幻の魚に近づいてきているようだが、習性とポイントさえしっかり押さえておけば、釣師の特典にお目にかかれる訳となる。
 アコウは比較的潮通しの良い、沿岸岩礁域に生息し、底物(ハタ科)の部類に入る。警戒心が強く、夜行性であるが、ハタ科魚の特徴でもある縄張り意識が強いため、ポイントは絞り易い。かといって群れで行動する訳ではないので、ポイントの絞り込みには熟練を要する。アコウ
瀬戸内海では稚魚の放流が行われているが、比較的低水温にも強いため、瀬戸内海で越冬することができるからのようだ。成長すると70㎝程度まで大きくなるようだが、ハタ科の魚にしては小振りの部類であり、最も釣り上がるには40㎝前後の物が多いようだ。最近はルア-フィッシングの対象に狙う方も居られるようだが、基本は生き餌を使った探り釣りであろう。クエのように大型の餌は必要としないが、生き餌であることが望ましい。養殖場では、稚魚の共食いまであるようだが、余りお行儀は良くないようで、丸呑みにした餌を喉に詰めて昇天するそそっかしいのも居るようだ。
 産卵期は夏場だが、雌雄同体で生まれ、大型化するに従って雄の割合が多くなると言われている。釣り魚に雌雄は関係無いが、雌は種の保存の為にも避けたいと思って居るので、可能な限り大型を狙うと良いかもしれない。当たりがあれば、素早く竿を立てて、岩穴に逃げ込まれないようにするのは、他の底物魚と同様である。
 食味は、最高の部類に入る。文句なく、どんな料理にしても美味しい。癖が無く、脂も決めが細かいので、女性の方には美肌効果が望める食材である。新鮮な内には刺身で、出来れば皮を残して、少し炙って紅葉おろしで召し上がられると、病み付きになることは請け合いである。なかなか手に入らないものであるから、病み付きになっても次までには忘れてしまうかもしれない。釣り師であることに優越感を感じられる魚である。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第34話 《晩秋から初冬のつり(1)》
 秋が終わりに近づくと、広島の汽水域では大型の真鯊(マハゼ)が釣れ始める。ハゼは成長が早い魚で、冬場から初春にかけて海の深場で産卵したものが4月頃には1~2㎝となり夏場には6~7㎝となり、初秋から晩秋にかけて15~20㎝ぐらいまで成長する。晩秋を過ぎると産卵のため、再び海の深場に戻り、産卵して一生を終える。まるで駆け足で過ごすような一生だが、見方によっては少々儚い気もする。
 さて、このハゼを釣るわけだが、広島市の太田川放水路川岸では、晩秋の風物詩のようにファミリ-フィッシングが盛んになる。大人から子供まで楽しめ、また、ビギナ-からベテランまで様々に工夫を凝らした仕掛けで楽しむことができるのも嬉しい釣りである。釣り味も、意外に引きが強い魚であるから、小さな竿を使う子供達でも十分楽しめる。例によって、釣りの仕掛けは様々に公開されているのでここでは割愛するが、数を釣ることが出来るこの釣りの一番の情報は、ポイントと潮である。瀬戸内海の干満差は大きく、干潮時には釣りにならないので、天気予報などで満潮時間を良く見て行かれることだ。
満潮前後2時間が目安である。干潮時には川の流れが徐々に速くなり、釣りづらくなるので速くなったと感じられたら終了時刻と判断されると良い。ポイントは岸の近くや、橋脚の周り、航路の端など、川底が盛り上がっている場所を狙うとよい。限られた場所ではないので、隣の方と競合しない場所を選んで、長閑に楽しまれるのがよいと思う。中には天ぷらセットを持参されるグル-プもあり、新鮮なハゼの天ぷらを賞味されているのも風情かなと思う。
 地域によっては、ハゼを陰干しにして保存し、お正月のお雑煮の出汁に用いられると聞いたことがあり、実践したことがある。鮎やハヤの出汁とはまた違った円やかさがあり、温和しい味になる。多く釣られた場合は、お手数だろうが、このような工夫をしてみてはいかがだろうか。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第35話 《晩秋から初冬のつり(2)》
 秋が終わりに近づくと、沖磯の景色も様変わりしてくる。広葉樹が多い離島はそれほど多くないが、紅葉が秋空に映えての美しさは、渓谷の紅葉に引けを取らない。そんな景色が目に入る時期になると、海の様子も目に見えて変わり、夏の明るい緑色から深みのある濃い緑になって行くように思う。これが真冬となるとまた変わるのだが、それは別稿で表すことにしよう。秋の磯には楽しみが多い、春から夏にかけて生まれ育った稚魚が一気に成長する時期であり、一年経った若魚が大人に駆け上がる時期でもあるからだ。
zzzzz 越冬する動物に冬眠があるように、越冬する魚にもそれに近いものがあるようだ。生物学者ではないので、学術的な後ろ盾があるわけではないが、冬を越す魚は、動物と同じようにこの時期から初冬にかけて、非常に餌を取ることからそのように思う。越冬する魚は、しっかり餌をとり、身に脂を蓄えてから深みに消えていく。温度差に敏感な上物達にその行動は顕著である。
中には気紛れもいて、寒中に釣れる事もあるが、来れば間違いなく大物である。底物の魚にも、石鯛のように深みに向かうものもいるが、ハタ科の魚には居付きが多く、冬にも狙うことが出来る。大物を狙うにはもってこいの時期となるが、水温が下がるので、魚の動きも緩慢となり、なかなか食いついてはくれない。来れば超大物となるので、夢は膨らむ釣行である。
 この季節は、磯からハマチを狙う事が多くなる。回遊魚のハマチは、夏場は痩せて脂も少ないが、この時期にはしっかり餌をとるので日に日に大きくなって美味しくなってくる。出世魚の鰤の若魚であるハマチは、磯周りの近場で釣れるのは7~8㎏程度までであり、これを越えると磯から少し離れて、狙うには遠投が必要となる。結構な重労働となるが、1本(1匹とは言わない)釣り上げれば満足できるので、磯に大型のクーラーを持って行く人は少なくない。
 脂ののったハマチは、どのように料理をしても美味しい。最も一般的なのが、照り焼きだろうが、粗塩を塗しての塩焼きも捨てがたい。何しろ物が大きいだけに一度に食べ切れるものではないが、味噌漬けや切り身にして冷凍しても保存が利くのが有り難い魚でもある。我が家では、一度塩焼きした物をそぼろ(粗おぼろ)にして味噌汁の出汁に使っている。なかなか乙な味となる。お試しあれ。焼き物
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第36話 《寒の釣り(1)》
 暫くご無沙汰している内に、「寒」の音が聞こえてきたようだ。以前にも述べたが、「寒」は二十四節季の小寒の日から立春の前日(節分)までの約30日間を言い、大寒の日がほぼ中間となる期間の総称である。例年小寒は1月5日であり、我が釣友たちは、長きにわたってこの日を竿始めとしている。と言っても、納竿は12月の初め「大雪」、昨年は12月6日としているのだから、なんの1カ月釣りに行かないだけである。さても釣りは大変な道楽と言われる所以である。
 最近は冷凍技術が進歩し、個人でも大型の冷凍庫を備える強者が増えてきたが、特に底物の超大型魚を狙う輩には、餌とする中・小型の魚を貯蔵しておく必要があるため、その傾向が強いようだ。その一人である親子ほども年齢の離れた年下の釣友は(弟子と呼ぶには失礼な腕前なので)、毎年この時期に無謀にも「九絵」を狙うことにしている。
まあ年中狙っている訳だから特筆すべきではないかもしれないが、どの様な釣りに関する書物にも真夏の夜釣りで狙うと記してあり、主として船釣り対象とされるこの魚を、酷寒のこの時期に磯から狙う人はまず居ない(本人は、「私が居ます」と涼しい顔で言うのだが・・・・)。それも幻と呼ばれ、当たりも滅多に捕ることのできない釣りである。これでは口さがない友人達が『耐寒訓練』と呼ぶのも宜なるかなと思える代物である。
 この時期は、「鰤」に代表される回遊型の大型魚は、小型の回遊魚が餌となるため不自由は少ないが、居付きの魚は、小魚が深みに下ってしまうので餌も少なくなる。一方で、そうなる前に秋口から初冬にかけて餌を十分に獲って身に脂肪分を蓄えた自分自身の動きも怠慢になり、いわゆる冬眠状態になるため、この種の魚が「寒」には最も釣りにくいのも事実である。但し、釣れれば超大型であり、美味しいことこの上が無い。狙いたくなるにはその実績が有るからだが、寒さとの戦いは楽では無い。食欲と釣欲が寒風を押し返すのであろうが、私には到底真似が出来ないし、よほどの熟練でもない限りお薦めできない釣りである。只、お裾分けが無上の楽しみであることから、引き留めることもしていない。今年の釣果はどうだろうか。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第37話 《寒の釣り(2)》
 釣りに限らず、方法は全く同じでも、狙っている獲物(結果)と全く違う結果がでてくることはよくあるものだ。釣りの世界ではこれを『外道(げどう)』という。この言葉は仏語(編者注:フランス語ではありません、仏教用語と言う意味です。)から来ており、本来の意味は『仏教の信者からみて、仏教以外の教え。また、それを信じる者』と言うことらしい。まあ耶蘇教(編者注:キリスト教の日本における別称。イエスの中国音訳「耶蘇」の音読み)から看れば、仏教が外道となるわけだから、要は自分にとって『ハズレ』といった軽い意味に取れば罪はないだろう。
 『外道』にも様々あるが、嬉しいものも有れば、金輪際御免だというものもあるが、これも所変われば評価は変わるのでやっかいでもある。底物釣りで、生餌(貝類や小魚類)を使っている場合の外道で、最も嫌われるのが『靫(うつぼ)』である。この魚自体は白身のきれいな魚であり、強壮滋養の効果もあると言われるものなのだが、如何せんその風体、顔立ちが近寄りがたい。さらに獰猛で鋭い歯を持っており遠慮無く噛み付いてくる上、表面は粘液で覆われているため、実に始末が悪い。大型ともなれば1mは超える物も珍しくはなく、釣り上げた時に恐怖すら感じるものである。
どんぶり先ずは皆さんが敬遠される一番手なのだが、これが南国高知(紀州もそうらしいが確認していない)では珍重されるものだから不思議だ。この地方では専門店もあれば、小料理屋では堂々とメニューにもなっている。お断りをしておくが、私は一度も食した事はない。まっぴら御免である。
 今年も性懲りもなく酷寒時に渡礁して大型の底物魚を狙った年下の友人は、予想通り全く当たりのない時間を無為に過ごしたようだ。ところが、最終日の納竿時に途轍もない大当たりに遭遇したと酒肴の話となった。彼は実に話が上手く、聞き惚れることが多いのだが、ホラ話はしない。今回も船頭さんの証明付きだから真実だったようだ。さて、釣りの最終日、迎えの渡船も近づいてきたし、当たりもないと諦めて竿の片付けを始めた途端、とんでも無い大当たりが彼を襲ったとのこと。気持ちの準備もなく危うく海に曳き込まれる処を何とか踏ん張り、渡船の釣り客が船縁で注目する中、大格闘が始まった。船頭も大物と判断したらしく、助手を応援に寄越した。
格闘すること・・・時間は不明らしい・・・何とかあと少しまで引き上げた途端、船頭から一言「まあ大きなエイだわ、お疲れさん!」。海面を見ると真っ白になっている(エイは裏返って、腹を上にして上がってくる)、実に畳2枚分、土地にしたら1坪分はあるかという大物。よく釣り上げたものだが、ここに追い打ちの一言「さあ帰るよ、そんなもの要らんから、放しよ。毒があるから刺されないように!」、ギャラリ-からは「すごいね」と「なんだつまらん」のご感想だったらしい。慌ただしく片付けて帰港したとのことだが、流石に筋肉痛になったと笑っていた。話だけでも楽しい外道もあるものだ。エイ
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第38話 《寒の釣り(3)》
 『最近の海は暖かい』『「寒」とは言えどぬるま湯の海、まるで◎◎◎のようですよ』等と連絡が入る昨今である。本当に地球温暖化はここまで来たのかと思案するが、やはり「寒」は冷えるものだ。とは言え、10年前には水温12~16℃まで下がっていた四国太平洋岸でも、この時期そこまでは下がっていないのだから、様変わりは本当のようだ。相変わらず酷寒の底物釣りの話で恐縮だが、今年はどうもハズレだったらしい。
だが前回と違い嬉しい「外道」がお土産として食卓に上った。『マハタ』(漢字では「真羽太」が正解?)である。「ハタ」と言う言葉は「鰭(ひれ)」を指すものであり、ハタ科の魚が鰭に特徴があるからこの名が使われるのかもしれない。名前の由来を探るのも面白い。因みに高知県では「ハタジロ」とも呼ぶらしい。
写真参照【市場魚貝類図鑑:「www.zukan-bouz.com」】より(編者)
 『マハタ』は、将に「クエ」の縮小版と言っても差し支えない風体をしている。縞模様や体色もそっくりであり、間違えそうなものではあるが、この魚は大きくても7~80㎝までが磯で釣れる限界である。かと言って、「クエ」より釣れる確立が低いほど個体数が少なくなっている。現在は養殖が盛んになっているから、中型のものは料亭などに出回っているようだが、魚屋の店先で見ることはない。
大型になっても1m前後と言われ、老成魚と言われる『カンナギ』は深海で2mぐらいまでなるとのことだが、定かではない。
 さて、今回の『マハタ』だが、釣り上げた当人も一瞬「クエ」と見間違えたようだ。「クエ」ならば放流サイズの60㎝そこそこだが、クエの幼魚にしては色が黒い。以前釣った『マハタ』はもっと色白だったし、と思案投げ首だった。彼らのプライベートルールに「クエ」の1m未満は放流との約定があり、船頭に確かめてからと磯の大きな潮溜まりに活かしておいたらしい。「クエ」の大仕掛けによく食いついたものだと疑う人もいるが、餌によってはハタ類が食いついてくる。今回は中型の針にイカを短冊にして付け、仕掛けを底から少し浮かせ気味にしたものだったそうで、手を変え品を変えて釣ろうとする意欲には頭が下がる。
 船頭の証明で運良く我が家の食卓に上った『マハタ』だが、白身が美しく、豊富な旨味が何とも言えない充実感を与えてくれた。今年も有り難いお土産に出会えた「寒」であった。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第39話 《春来たりなば》
さくら 桜の美しい季節がくると、海にも美しい真鯛が帰って来る。以前にも紹介させて頂いたが、桜鯛の季節である。桜鯛は確かに美しく王妃のような神々しさがあると思うが、美しいのは鯛だけではない。春が来てうきうきするのは、人(日本人?)だけではなく、海の中も同様のようで、ウグイ(石斑魚)の婚姻色ほど派手ではないが、上物釣り師が好んで狙うグレ(メジナ:目仁奈)、場所によってはクロとも呼ぶこの魚の、群青色の美しさもこの時期には際だって見える。
同様にチヌ(黒鯛)の銀褐色の輝きも捨てがたい。釣りはその対象魚の味覚もさることながら、曳きを楽しみ、知略を講じて取り込むことから、釣り上げた時の達成感と魚体の美しさへの感動があると思う。その際だった時期が「春」なのだろう。
 先日、近所の高校生コンビが水の都広島市を象徴する太田川河口に鱸(すずき)を狙いに出かけ、見事70㎝級を2本取り込んできた。ともにホンスズキ(日本在来種のもの)で、3月の産卵期を過ぎたばかりのためか、少し痩せてはいたが見事なもので、岸からのルア-釣りで粘った結果、若さが生み出す体力と根気の賜だったようだ。
 話を聞くと、セイゴの群れもかなり見えたそうで、今年はよくルア-を追っているから楽しみだと語ってくれた。セイゴは鱸(すずき)の幼魚名で、この時期に群れているのは昨年生まれて年を越した2才魚で、20~30㎝程度まで成長し、この大きさまでがセイゴと呼ばれている。鱸(すずき)も出世魚の一種で、成長と共に呼び名が変わる。但し地方によって様々に異なり、統一的な定義はない。セイゴの次はフッコ、地域によってはハネと呼ばれる事が多く、60㎝程度までをこう呼んでいる。これを超えると晴れて鱸(すずき)となるのだが、名前が変わると味は格段に変わる。
旬は夏となる鱸(すずき)だが、広島を中心とした中国地方西部、瀬戸内海沿岸の汽水域では、春先が最も釣りやすい。昔からの言い伝えに『鯊(はぜ)の少ない年はセイゴが多い』とある。汽水域に生息する鯊(はぜ)の幼魚はセイゴの好物でもあるから、セイゴの多い年は、秋には鯊(はぜ)は少ないと言うことらしい。太田川の鯊(はぜ)釣りも秋の風物詩だが、鯊(はぜ)釣り師には有り難くない春のセイゴ情報と言うことか。鱸(すずき)も立派な「春」の使者なのである。ハゼ釣り
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第40話 《春来たりて最早初夏なり》
 今年は少し長かった桜の美しい季節が終わり、新緑の美しい初夏が最早到来と言っても良い気配である。GWも終わったが、美しい花々の季節は今が盛りの様で、家族連れでその名所に出かけるには最適な季節である。釣り師と言えば、渓流釣りや鮎釣りの解禁まで今少しとなり、内水面(川や湖沼釣りの総称)に興味のある方々は、準備に余念がないと思われる。
申し訳ないが、私にはこの釣りへの造詣は全くといっても差し支えが無い程持ち合わせていないので、本拙文にその向きの話題は登場する機会は極めて少なくなる。申し訳ないがお許し頂きたい。
 百花繚乱の季節になると海面を渡ってくる風も心なしか暖かく感じられる。この季節は、磯釣りも寒中の苦行から解放され、灼熱地獄化する真夏までのしばらくの時間は、磯も過ごしやすく、周りの風景も楽しめる時期となる。
 私や友人達が本拠地とする四国西南岸地域で海中に目を映せば、この季節の代名詞とも言える黍魚子(キビナゴ)の群れが頻繁に足下を通過し、実に美しく魅惑的な銀白色の帯を魅せてくれる。この時期のキビナゴは概ね10~15㎝の大きさに成長し、脂の乗りも良く、刺身で食するには最適なサイズになっている。余談だが、黍魚子(キビナゴ)は食物連鎖の最下層に位置する魚(つまりいろいろな魚の餌になるもの)であることから、大変臆病で神経質な生き物である。さらに、生態系も良好な水質を必要とし、環境への順応を苦手とすることから、最新設備の水族館でも生育は難しいと聞いている。魚自体も傷み易いものであるため、冷凍技術が進歩した最近になるまでは、刺身は捕獲した地域でしか味わえなかったそうである。
 黍魚子(キビナゴ)は鹿児島県の郷土料理としてよく知られるが、西日本の太平洋岸では一般的な食材としてあるようだ。文献によれば、魚の中でDHA含有率がもっとも高いと言われ、EPAやカルシウムも豊富だそうだ。DHAやEPAは魚の油分に含まれる不飽和脂肪酸で、三大成人病(ガン、脳血管疾患、心臓病)すべてに予防効果があると言われている。刺身で食することが多い様だが、お薦めは唐揚げがいい。
友人はまだ花冷えの時期に3~5㎝程度のものをかき揚げにするのが良いと言う。何れも酒肴に最適なのだが、酒量が増えても成人病の予防効果には・・・・・
効き目があるのだろうか・・・・・・
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第41話 《目に青葉~初夏の賑わいに》
 「目に青葉、山ほととぎす初鰹(はつがつお)」江戸時代初期の俳人、山口素堂の名句である。桜の余韻を楽しむ間もなく眼前に拡がる青々とした若葉の季節を表して爽やかな気分を醸し出す句である。ただこの季節になると必ずこの話題となるものでもある。(編者注:第25話参照)
カツオ 一般に呼ばれるカツオはマガツオ(真鰹)で、学術的にはスズキ目サバ科カツオ属に属する魚で、1種のみでカツオ属を形成している。暖海・外洋性の大型肉食魚で、大型のものは体長1m以上、約18㎏にも成長するそうだ。一般的に店頭に出回るものは50㎝程度が主体であるから、意外に感じられる。
類似種には、ソウダカツオ、スマカツオ、ハガツオなどがあるが、これらの区別は側線や腹部に浮き出る縞模様である。食味はそれぞれに特徴があり、漁師にも好みが分かれるようだ。
 鰹の時期に相対的に話題となるのが鮎(アユ)である。6月には中国地方の大半の河川で解禁になる「鮎の友釣り」は、一度手を染めたら止められないと愛好者は口を揃える。海釣りの熟練者にも鮎釣りの愛好者は多いが、残念ながら私はその経験が無いので、ここではその醍醐味は伝えられない。仲間内には、この時期仕事そっちのけで中国地方の主立った河川に出かけて行く家庭内争議の常習犯もいるが、それぞれの好みに意見は無用の様である。彼らは、香魚とも呼ばれる鮎こそ初夏の代表魚と主張して止まず、その容姿の美しさと塩焼きの旨さを力説する。
 基本的に山育ちの友は鮎を好み、海育ちの友は海の魚を好むのは道理であるが、高知や紀州、鹿児島を故郷に持つ友は、揃って鰹派である。私もそうだが、酷寒の磯に底物を狙う友は島育ちであるため、川に湖沼に海も相手にして育ったためか、鮎と鰹のどちらにも軍配は上げ難い。引き分けと言うわけではないが・・・・旨いものは旨いとしか言えないかなと思う。あゆ
 鮎と鰹の共通点に-食味に限っての話であるが-塩辛がある。鰹の塩辛は『酒盗』であり、鮎のそれは『うるか』である。どちらも酒飲みには堪らない食材ではあるが、特に『うるか』は、鮎の捕れた河川毎に微妙に味や香りが違うようだ。鮎自慢が河川自慢となる所以かとも思える程、その差は顕著で、私も手作りのものまで含めると随分食してきたが、実に上品な苦みが有り難く感じられる。『酒盗』は、文字が表す通りの強者の味があり、大人にならないと理解できない味とも言えるだろう。私や友人達は高知の漁師が送ってくれる『酒盗』に惚れ込んでいるが、家内や友人の奥方連は塩焼きの鮎や『うるか』を好んでいる。何れにしても初夏の賑わいには欠かせないもののようである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第42話 《初夏を贅沢に》
 天気予報で『南海上に台風が発生しました。』の台詞が聞かれるようになると、磯釣りは慌ただしくなる。近年発生数は少なくなった様に感じられる台風であるが、雷雲を伴った夕立ととともに、これからの季節には、磯釣りの将に天敵である。特に台風によって遙か南からもたらされる『うねり』は、磯の底物釣り師の死命を制するものとなる。
ある時、まだ『うねり』は小さいとの判断から、沖にある『うねり』が直撃する面に背の高い岩壁を持つ磯に渡り、ワンドのように波穏やかな内面に釣座を構えた。徐々に強くなる風と、大きくなる『うねり』は岩壁が遮り、『うねり』が磯にぶつかる「ど~ん、ド~ン」と音は響くものの、特に危険は感じなかった。ところが、2時間ほどして船頭が迎えに来て『撤収』と告げた。半信半疑で片付けを始めたその時である、「ドオオオ~ン」の地響きと共に、磯にぶつかった『うねり』が高波に化け、5~6mの岩壁を遙かに越えて頭上から叩き付けてきた。あっという間にずぶ濡れになるだけでなく、気が遠くなる程の衝撃である。なんとも表現し難い程の痛さである。這々の体で磯から離れたのは言うまでもない。
 夕立の雷も恐いものだが、雷雲が近づく直前には、磯から離れがたい場面によく出くわす。気圧と風の悪戯なのだが、海面が波立ってくる。小さな波が、小魚が群れて暴れているような気配に似た状況を創り出すのである。この気配に寄せられて、小魚を補食する中大型魚が海面近くまで上がってくるようで、初夏のこの時期には、中型の勘八(カンパチ)や、縞鰺(シマアジ)の確率が高い。この瞬間に合わせて撒き餌を投入し、浅めの棚で魚を誘うのである。ルア-のような疑似餌でも良いが、勝負に許される時間は極めて短い。短気な雷様が邪魔だてに来るからだ。海面を雨が叩き出すと、忽ち撤収開始である。カーボン質の釣竿は、避雷針を持っているのと変わりがなく、危険度はすこぶる高い。魚を掛けたからと言って、頑張っている場合では無いのである。畳んだ竿からなるべく離れて、身体を小さくして雷雲が通り過ぎるのを待つだけである。雨に濡れた磯に落雷があって不幸な結果になった例も少なく無い。お気を付け願いたい。
 勘八(カンパチ)は釣味も良いが、それ自体も高級魚の名に相応しく、実に美味しい。身が硬く歯触りのよい魚で、刺身にして旨い魚の最右翼である。調理方法は鰤(ブリ)と変わりが無いが、30㎝程度の中型でも実に爽やかな脂あって、魚体の大小に寄らず美味しいのは、鰤には無い特徴である。
 例によって、この季節にお薦めを一つ。豚肉の料理にある【冷シャブ】である。勘八(カンパチ)の身を薄めに切り揃え、昆布を入れて沸騰させた湯にくぐらせ、冷水に一気に浸けるのである。水を切って季節の野菜とともに盛りつければできあがりである。贅沢の極みにもなる。お試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第43話 《猛暑中閑あり》
 まるで砂漠の街になったかのような猛暑日が続く立秋後の広島である。熱帯夜とも言われる寝苦しい夜が続くと、流石に釣りに行けない。
蘭釣りどころか、日々の所用すら億劫になってしまい、口さがない友たちには『関節にサビが出てきますよ~』とまで指摘される始末である。我が家で元気なのは北海道犬の『蘭』嬢だけであり、彼女に引き摺られながら朝夕の散歩と、「ボケ防止!」と釘を刺されている本編の執筆だけが日課となっている。それにしても昨今の夏の暑さは尋常では無い。諸兄にも熱中症対策はお忘れ無く。
 さてこのような状況でも、せっせと磯通いをする釣友連の報告は絶えることがないが、残念ながら今夏には目立った釣果は見当たらないようだ。今年は不思議と台風の発生が少なく、高気圧が頑張っている加減で、海は穏やかである。台風が南方海上に姿を現すと、少なからず「うねり」が沿岸に現れ、前線が天気図に描かれると、大小の波浪を発生させる。夏場は『夜釣り』には有り難い季節であるから、今年のように海が穏やかであることは実に有り難い。では何故釣果が今ひとつなのであろうか。唯々暑すぎるのである。
昼間の磯は、ともかく暑い。直射の陽射しは強烈であるうえに、磯場の岩壁や海面からの照り返しも半端ではなく、多少の誇張を加えれば、まるでレンジ付きのスチームオーブンの中に居るようなものだ。釣りから帰った友の顔は、例外なく「食べ頃の焼むすび」状態であることから、その凄まじさがよく分かる。例年ならば、土砂降りの夕立や日が暮れると発生する放射冷却作用による風、海面と海底部分の温度差によって発生する潮の攪拌で空気や海水の温度が落ち着くものであったため、夜の海は、魚も釣り師も活性化したものであった。やきむすび
今年はそうではないようだ。海水は、海面はもとより海底近くも温度が高く、潮の廻りも期待できる状況ではないようだ。言い換えれば、磯近くの浅場では昼間に熱せられた海水が冷める暇がなく、魚がこの暑さを敬遠している状況にあるようなのだ。水温には敏感な魚たちである、深みの心地よい海水域に「避暑」としゃれ込んでいるのだろう。これでは、釣りにはならないのである。今年の夏は、釣り師も「夏休み」が賢明のようである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第44話 《名言との出会い》
 秋磯(あきいそ)の文字が釣り情報誌に登場し始めると、齢を幾つ重ねても心が踊ってくる。春先にも似た小魚が目立つ海面ではあるが、秋は春に比べて小魚に元気があるように見える。人と一緒で、暑い夏を乗り越えて、食の秋を迎えるのかもしれない。
 釣りには様々な名言があり(迷言はもっと膨大にあるのだが)、名人、名手と呼ばれる方々のそれは含蓄があって忘れがたいものである。中でも、愛媛県伊予市出身の安東氏が申された『イシダイは釣らんほうがむずかしい、そこにイシダイがおったら釣れてあたり前です。やさしく扱ってやれば大型も簡単に浮いてくるんです。そして魚を散らしさえしなければ数釣りもできるのです。』は、実に本質を言い当て、何とも簡単明瞭な表現なのだが、悔しいほどに実践が難しい、『蓋し名言!』の一つであると心得ている。
 皆さんは石鯛が鳴くことをご存じだろうか、
 私は石鯛釣りの餌にはカラス貝のむき身を好んで使う。竿は年齢を重ねるに従って軽く短めに加工した先調子を使い、餌をつけて仕掛けを打ち込み、手持ちにして竿先からの魚信を感じとる事に集中する方法を好んでいる。渡磯から納竿までこのくり返しで、まさに集中力と我慢のくり返しである。この緊張感・集中力、我慢もたまらない魅力に感じられるから、石鯛釣りは止められない。
 我が家に1枚の魚拓がある。石鯛63.8cm、5.3kg、俗に大判と呼ばれるサイズである。この記念すべき1枚を釣り上げた時も、相棒は連れ合いであった。夫婦で背の低い、渡り易い慣れた磯に上がった。周りの高場には、例によってクラブの釣友達が、各々得意とする釣り方で石鯛を狙っている。中判の石鯛を2~3枚確保し、目指すは50㎝以上と気を入れ直して構えていた。
家内の記憶によると「今日は何かが起こりそうだ。」と言ったらしいが、覚えていない。
その言葉が終わらないうちに竿先が海中に舞い込み、魚を釣っている本人が、魚に釣られているかのごとくフラフラ引っぱられていたらしい。危ないと判断したのか、若手の2~3人が高場から飛び降りてきて、何時でもサポート出来るように位置取ってくれている。手を出して竿に触ってしまうと私の釣果では無くなってしまうので、タオルとロープで安全帯を作って腰に巻き付け、最期まで身体を支えてくれていた。懸命に竿を立て直そうとするが、竿は極限まで曲がり込み、竿が折れるか、海に引き込まれるかの遣り取りだった様に覚えている。
長いようで意外に短い時間の格闘だったらしいが、なんとか海中より引き上げ、波の勢いも借りて取り込む事が出来た。精根尽き果てた私を、皆が拍手喝采で祝ってくれ、仲間の承認を背に、見事な魚拓が居間を飾ることとなった。この時初めて石鯛の鳴く声を聞いた。グッグッグッグッと鳴くのである。釣友は、『よほど悔しかったんだろうね、ヘミングウエイ状態(「老人と海」のことらしい)だもんね。』と酒肴にするほどのはっきりとした鳴き声だった。家内も『磯の王者だって悔しくて泣く事があるんだよね。他の釣り人にも聞かせてあげたいものよね。』と笑っていた。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第45話 《今年の秋は・・・》
まつり 秋酣である。各地では運動会や秋祭りが一斉に行われ、我が家の周りにも「奉寄進」と染め抜いた旗指物が角々にはためいている。今日は子供御輿も登場して、町内を練り歩いていた。当然、我々が子供の頃とは随分趣が変わってしまっているが、やはり祭りは楽しい物だ。暗く聞き苦しいニュ-スが多い昨今だが、今年も秋の祭り囃子が元気づけてくれるようで、少しは笑顔にもなれるだろう。
 秋を旬とする魚に『赤羽太(アカハタ)』がいる。この時期に定置網に時々掛かる魚で、間違いなくハタ科なのだが、それ程大型にはならない(平均で30㎝程度とか)らしい。一般的には石鯛釣りの外道として釣れることが多いと書物には記載されているが、実は私も、友人達も釣りでお目に掛かったことがない。アカハタ
常宿にさせて貰っている船頭さんの家で、ご馳走になって秋を知らされる魚なのである。刺身で食すると、鮮度の良い状態ならば実に美味しいが、なんと言っても煮付けにすると、その旨味は筆舌に尽くし難いものがあるほどのものを醸し出す。やはりハタ科の魚である。鮮度が少しでも落ちると刺身には向かないが、煮付けならば問題は無い。蒸して中華風の味付けをしても問題なく美味しい。朱色の鮮やかな魚体は、お目出度い席にもよく似合うものだが、失礼を顧みずに申し上げれば、寿司ネタだけには遠慮して頂きたいものである。
 ハタ科だけでなく、魚料理と言えば煮付けと言って憚らない友人がいる。底物を好む釣り師であるが、釣るより食する事が大好きな好漢である。常宿にさせて貰っている船頭さんの奥方は、彼が来ると頭を抱えるそうだ。魚が豊漁ならば夕餉の酒肴はすぐに定まるのだが、不漁の時は何を煮付けていいか困ってしまう。彼は、先ず煮付けに箸を付ける。次いで、煮付けの出汁でご飯を頂き、最期に骨を集めて汁を作り、これを頂いて終わる。跡には見事な骨だけが残っているのだが、酒豪で大食漢であるため、小魚の煮付けでは量が足らない。この煮付けを食べ終えてからでないと酒盛りを始められないから、小魚だと酒量が鰻上りになってしまい、周りにいる流石の酒量自慢の友人達でも太刀打ち出来なくなる。この季節、彼が最も好み、周りの友人達が和むのが『赤羽太(アカハタ)』なのである。質、量共にお薦めである。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第46話 《年末は土鍋の季節か・・・》
 天気予報に「冬将軍」のイラストが登場すると、鍋料理の季節到来である。鍋料理となれば羽太(ハタ)や笠子(カサゴ)のような根魚や、鱈(タラ)や鮟鱇(アンコウ)に代表される将に鍋魚(?)が浮かぶ。ここでは一般的に磯・波頭釣りの対象にはならないお魚や甲殻類は遠慮していただいて、何とか自分で手配できるものについて紹介したい。
 地域差があるのはご勘弁頂くとして、上物であればグレ(クロ)を推奨したい。魚体の大小に関わりなく、刺身にすると磯臭さが気になって敬遠される方でも喜んで頂けるものである。カワハギとともに、水炊きには最適なものと思っている。カワハギは、河豚と見紛うばかりで有名であるが、細かいことは抜きにして、大小関係なく角を落として皮を剥ぎ、お腹を綺麗に水洗いしてそのまま土鍋にポイで十分である。
カワハギもグレも釣りづらいと申される方には、メバルが代替品となる。鱗を落とすのが多少面倒ではあるが、後はカワハギと同様である。ただ、小骨が残ってしまうので、〆に雑炊をされる場合は、鍋の底から綺麗に掬っておくことが肝要である。
 磯釣りの対象魚ではないが、この時期になると俎上に上がるのが『アイナメ』である。夏場の投げ釣りに引っ掛かるような小型ではなく、俗に「麦酒瓶」「ポン級」と呼ばれる大きさのものが産卵期を迎えたこの時期には狙える。
もともと淡白な白身の美味しい魚だが、身の保ちが悪く、刺身にするにはなかなか難しい。一般的には煮付けがよいとの相場になっている魚であるが、美味しい魚であることは請け合いである。この釣りの仕掛けは、必ず仕掛け集に載っているので割愛するが、ポイントがメバル、カサゴとほぼ同じなので、難しくはない釣りである。大型が釣れたら、是非「しゃぶしゃぶ」にされると良い。小骨が多い魚だから、鱧(ハモ)のように骨切りする必要があるが、プロのような細かさは不要で、素人でも十分賄える。この魚が持つ美味しさを十分堪能するにはこれが一番と思われる。是非おためしあれ。
 追記だが、「アイナメ」の出汁で「焼いたお餅」を入れたお雑煮をすると、これも納得の味になる。「焼いた餅」がキーポイントになるのだが、こちらもお試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第47話 《今年の竿はじめは・・・》
雪道 今年は年末から年始に掛けて急激な寒波が訪れている。季節風は冷たく、山陰地方をもとより日本海側では大雪の便りが聞かれている。先日釣友が所用で山陰に出掛けたそうだが、結構な吹雪に出会い、「将にホワイトアウトです。恐いですよ・・・」と渋滞中の車内から連絡をくれた。20年以上も前に、四国は伊予街道国道56号法華津峠(ほけつとうげ)越えで「寒鰤釣り」に出掛けた折に夜間雪中立ち往生を体験したことがあるが、これは伝説の「雪女」が出るような雰囲気もあり、怖さが先立つものだった。今は携帯電話が普及しているから連絡も付け易いが、当時は沿道の公衆電話しかなく、寒さと孤立の恐怖で釣りどころでは無かった想い出がある。
とは言え、「ホケツに雪がふりゃ鰤がくる」と、渋滞を通り抜ければ意気盛んになったのも事実であり、所詮釣り師なんてものは・・・・である。
 年明けの磯は、地上の寒波襲来の割には海水温が高く(太平洋側)、大型の回遊魚は岸を離れているようだ。こうなると必要なことは『魚群探知』である。『魚群探知』と言っても実際に漁船に取り付けられている『魚探』を示すものではなく、友人達が情報交換をすることの隠語である。
四季折々の宴会では一堂に会する友人達であっても、彼らが同じ「磯」や渡船基地に集う事は、年に何度も無い。それぞれが得意とする釣りに、それぞれが気の合う船頭さんの情報を基に、磯に出掛けるからである。すなわち、この船頭さん達の情報を集めて回遊魚のルートを探索することが『魚群探知』なのである。ご存じのようにこれからの時期に最も狙われるのは鰤(ハマチも含む)やカンパチ、ヒラマサの高級魚であり、彼らは何時どの辺りに出没するかはわからない。船釣りであれば、「魚探」を駆使して魚を追えば良いが、磯釣りは魚の回遊路近くにポイントを獲らねば意味が無い。回遊路近くに撒き餌を討ち、小鰺や鯖を生き餌として放して当たりを待つのである。ぶり大根
冬の磯 寒の『鰤』を代表する回遊魚は大型で、脂の乗りもよく、実に美味しい。餌に食らいつけば釣り味も存分に楽しめ、満足感もあり、季節風による寒さも飛んでいく。然りとて、この時期の磯には、暖かい季節には無い危険が潜んでいるのも事実である。釣行は経験豊富なベテランと複数人で計画して欲しい。魚は1本釣り上げれば5~6人で分けても十分お土産となる。
家族は無事な顔を待っていることを忘れないで、安全第一でお願いしたい。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第48話 《『寒○○』・・・》
 毎年の事ながら『寒』である。年始の急激な寒さから一息ついて、今年の『寒』は『暖寒』なのかなと思わせたが、やはり『寒』は『寒』となった。別段に禅問答するわけではないが、二十四節気を編み出した方は素晴らしい感性をお持ちだったのだなと感心してしまう。この「節気」とは「陰暦で季節の変わり目となる節目」を表すのだが、釣り人にとっては潮の干満や流れと密接に関わりがあって、無視出来ないものである。
今日では情報化が進み、「日めくり」から潮の状況を推察する釣り人も減ってきているようだが、漁師さんや船頭さんには欠かせないものであることは変わりがない。「日めくり」には、一般的に旧暦(陰暦)と月の満ち欠け、六曜(大安とか友引とか)や歴史的に「今日は何々の日」とか、格言のようなものが一日(一枚)毎に書かれているものだが、若い方達にはご存じ無いかもしれない。毎日捲るのが面倒かもしれないが、是非一度部屋備えて、利用して欲しいものだ。結構楽しみなものである。
 さて寒釣りの真っ只中となったが、例の「耐寒訓練」組は、勤務先の日程と天候の相性が悪く、今年は磯に出られていないようだ。上物組はポイントが多いことから好調の模様で、四国では良い型の目仁奈(メジナ)通称「グレ」が上がっているようだ。瀬戸内海では黒鯛(クロダイ)通称「チヌ」が大物との情報が入っている。まだ眼張(メバル)には早いようだ。中型の鰺(アジ)がポツポツと掛かるような状況では、まだまだ海は「冬」真っ盛りと言えるだろう。
 私の周りでは「寒○○」と言えば「チヌ」を指す事が多い。春先から初冬までにこの魚を狙う人は多いが、「寒」の時期に狙う人は余り多くはいない。暖かい時期でも難度が高い方に分類されるらしい「チヌ釣り」であるが、この時期には格段に反応が小さく。慣れた友人達ですら坊主の日がある。「耐寒訓練」ではないが、寒風の中、凍える手先を息で温めながら微妙な反応を待つのもなかなか大変なことである。
 先日、小春日和を見計らって近場の島に渡り、港の防波堤でチヌを狙った友人が、良型のお裾分けを持ってきてくれた。彼の話によると、海水温が「寒」にしては意外に高く、釣りやすい状況ではあったが、海水が温かいために、小振りのものが多いとのことだった。小さいものは放流し、なるべく底(深いポイント)を狙って『寒チヌ』を狙ったが、半日やってもそれ程の釣果にはならなかったそうだ。
「ぐっと冷え込んで、雪解け混じりの川水が流れ込めば良いのですが・・・」と言い置いて帰っていった。お裾分けは、刺身と生姜風味にした炊き込みご飯で頂戴したが、良い脂があり、やはり『寒』は美味いと実感させてもらった。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第49話 《『寒』去りて『小春』来たりなば・・・》
 『小春』とは陰暦の10月、太陽暦では11月を指し、冬に向かう寒さが一段落した時の穏やかで暖かい天候のことに用いる冬の季語である。決して春先に用いる言葉では無いと承知しているが、『寒』の寒さが一段落し『春』の到来に想いを馳せる気分には最適な言葉ではないかと思い使わせて戴いた。
 さて、春が旬として釣りの対象となる魚に『黒曹似』(クロソイ)がいる。『眼張』(メバル)のごく近い親戚で日本各地に生息し、この時期の磯釣り対象魚としては、十分大型(30~60㎝)になるものである。中小型のものは見た目こそ『眼張』そのままであるが、目の下に棘があることで区別ができる。体色はクロっぽく「タケノコメバル」と呼ばれることもあるが、これは筍と旬が同じであることが語源のようである。
たまごとじ因みに「旬」とは、一ヶ月を上旬・中旬・下旬と分けた表記をする場合に用いるように、「凡そ10日」という単位の意味を持つ文字で、タケノコは地表に顔を出して10日もすれば竹になってしまい食べられなくなるとの意味から「筍」となったそうだ。真偽は定かではないが、メバル族の魚と筍は実に相性が良く、魚の出汁に筍を加え、魚の白身とサヤエンドウを共に玉子で綴じて山椒の葉を添えれば実に美味しく香り豊かな春らしい一品が出来上がる。
 クロソイは白身の美味しい魚である。刺身で味わうと、えも言われぬ味があり、幸福感を得ることができる。惜しむらくは鮮度落ちが非常に早く、刺身で食するには食卓近くまで活魚で持って帰る必要がある。当節はエアポンプ付きの蓋付きバケツが簡単に手にはいるから、海水とビニ-ル袋で水漏れしないようにした氷を入れて活かしたまま運ぶことも難しくない。旨い物を味わいたいならば、多少の苦労は厭わぬ方がよい好例である。黒曹似
 磯で狙うソイは、底物釣りの応用編で大型狙いになるが、仕掛けは実にシンプルである。エサは、底物釣りの餌を少し拝借すれば事足りる。底物(根魚)の大物を狙って渡磯する友人達は、ちょっとしたお土産として、また、その日の夕餉の酒肴として、ソイを1匹ぶら下げて帰ることが多い。焼いて良し、煮付けてまた良しの重宝な魚である。
 毎度で恐縮だが、美味しいソイの味わい方を一言。白身で味に癖のないソイは、酒蒸しがお薦めである。昆布を敷いた蒸し器にソイと豆腐、シメジ等のキノコ類、忘れてはいけない筍を入れ、魚体の上から酒をふりかける。後は普通に蒸して、出来上がればポン酢が良く合う。これも春の味である、お試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第50話 《土佐・・・》
 震災に揺れた故国にも再び巡り来たる春爛漫が通り過ぎた2カ月だった。
地域差はあるにしても、そこかしこで桜を愛でる宴が開かれていたようだ。昨年来我が国には哀しい出来事が多く、笑顔には程遠い切ない顔を見ることが多かった。春である『せめて輝け櫻華 涙涸らせて笑顔、蘇れ!』声高に叫びたいと思ったのは編者だけではあるまい。自粛自粛の昨今に四国土佐は高知の英断である。今年も『よさこい祭り』が弾けるようだ。『負けるなニッポン、挫けるな東北、俺達は頑張れる日本人!』なのである、せめてこのポスタ-からも弾ける不屈のチカラをもらって欲しい。
  出典参照:『ほにほにWORLD:
   http://honiyayosakoi.seesaa.net/
【ここまで文責編集者】
 我々西日本で磯釣りを愛好する者にとって、土佐(高知県)の存在価値は計り知れない。西の宿毛、足摺を経て室戸から阿波鳴門境に係る長い海岸線には、様々な個性を持った磯が連なっている。この中で、特に我が友達が足繁く通うのが、南予西海から宿毛の鵜来島、水島群礁、沖の島、柏島等の西南地域である。この地域で底物でも大物を狙う彼らが、資材や情報を入手するのに高知市は欠かせない、物品、情報の最前線基地でもある。情報を入手するためには、前日から岡山経由で高知に入り、馴染みの小料理屋で、これも馴染みの地元の釣り師から最新情報を酒肴がてらに頂くのであるが、時として沈没・欠航の憂き目を見ることも少なく無い。まあ、酒の好みは別として、酒肴の旨さと人柄、飲みっぷりの良さは一級品の土地柄である。無理も有るまいと納得してしまう。
 初夏の声を聞き始めのこの時期は、グレ(尾長グレ)の大型が良く上がる。グレ釣りは、愛好家が多く、上物釣りの対象としては最上位になるだろう。釣り味も大変良い物だが、この時期には、タタキとして味わうには最高の旨味を持っている。
寒のグレも鍋友としては申し分無いが、この時期のグレのタタキは是非に味わって貰いたいものだ。土佐はカツオのタタキが有名であるが、大葉(青紫蘇)をツマにしたグレのタタキは、これに勝るとも劣らない土佐の旬味である、お試しあれ。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第51話 《夏到来》
なつ 今年も猛暑が予想されるが、震災の置き土産で暑さ対策に知恵を絞らなければいけないようだ。近年は、先人の知恵を忘れて、電力・機械力に頼りきっていたことのツケが一気に降りかかってきたようである。縁台に風鈴や簾、葦簀など、子供の頃の風景が思い起こされるが、やはり先人の知恵は棄て難いと痛感する昨今である。
 地震と魚の因果関係、と言えば大袈裟だが、「魚は地震予知ができるのか」という命題のエッセイを友人が紹介してくれたことがある。『施工』と言う建築専門誌にシリ-ズで掲載されていたものの1編だが、実に面白い視点と感心して読んだものだ。
うろ覚えで恐縮だが、東日本の太平洋岸では、16世紀からの記録では鰯【イワシ(マイワシ)】の豊漁期に大地震が多かったが、その谷間の不漁期には大地震がなかったそうだ。もともと、岩手県の三陸地方には、イワシがよく捕れるときには大地震がある、という言い伝えがあるそうだが、今年はどうだったのだろうか。被災された方々には申し上げる言葉も無いが、微力ながらも遠く安芸の地から気持ちを込めたチカラを送らせて頂いた。挫けないで頂きたい。
 夏到来といえばイサキ(鶏魚)釣りである。関東では船釣りの対象魚として名の知られた実に美味な魚であり、棚(魚の回遊層)さえ間違えなければ、数釣りも可能な人気魚である。一方で磯から狙うには簡単にはいかない魚でもある。棚が頻繁に変わるため、こまめな調整が必要なのである。船釣りには魚探という心強い味方があるが、磯では釣り師の経験から来る感が頼りである。更に、イサキは群れで回遊するため、群れを逃がさないように、こまめな撒き餌が必要。棚調整に、刺し餌附けに、餌撒いて、竿振って・・・・忙しい釣りでもある。夏バテ、熱中症にならない程度で釣果を・・・・頑張って頂きたい。
 夏バテ防止、熱中症防止に「イサキの水なます」をお薦め。ペットボトルに、昆布と味噌を溶かし込んだ出汁を入れて、しっかり凍らせてクーラーに。長ネギ、大葉(青じそ)、生姜を細かく刻み込んだ具を小さなタッパに入れて、これもクーラーに。必要に応じてお醤油もあると便利。一匹目のイサキをゲットしたら、躊躇無くしっかり締めて血抜きして古新聞に包んでクーラーに。そのうち食いが止まる(群れが磯から離れて釣れなくなる)から、それを潮時に包んだイサキを捌いてタタキを作る(小骨は気にしない)。
出汁のペットボトルが凍っているなら、ロープを掛けて海に3分ドボンであっさり解凍(解かしすぎないように気を付けて)。キャンプ用のドンブリに具とイサキのタタキを入れて混ぜ混ぜして出汁をぶっかけ、はい出来上がり。磯で頂くから最高の味、食感は保証。すっきり元気になって後半戦突入、お試しあれ。出汁
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
清水三徳氏(元城北小学校校長)の釣り人生を振り返ります
第52話 《夏本番》
 今年の猛暑も予想通りだが、意外に天候が落ち着かないようだ。蝉も出番を図っていたようで、なかなか本番の喧しさにはならない上に、庭では上手く脱皮できずに力尽きた蝉が、例年より遙かに多く見受けられ、気象状況の不安定さを象徴している。西日本では週末毎に台風や前線が顔を出し、なかなか釣行に踏み切れないと、欲求不満気味の友が嘆いていた。春以来、誰彼の見境無く、気忙しさだけが纏わり付いているようだ。
 とは言え、海に行けない磯釣り師は絵にはならないので、手近な沖波頭(防波堤)に出掛けてみた。お供は二人、家内には「黄門様の漫遊記」と揶揄されながらの釣行である。狙いは勿論内海とは言え、『石鯛』である。

 防波堤は、足場は磯に比べて平坦で安定感は良いが、構造物の性格上、海面からは非常に高く、陽射しを遮るものは全く無い。コンクリートの白い面から照り返しも厳しく、真夏には鉄板焼き状態になる。
勿論我々は「具」である。
 若い友人達は、クーラーに飲み物と氷を十分確保すると共に、足下には筵を敷き、ビーチパラソルを備え付けて照り返し防止と日陰を確保してくれた。後は釣るだけである。ここからは年齢差は関係ない。こちらが獲物を選ぶか、獲物がこちらの餌を選ぶか、はたまた空振りかのどれかが答えである。繰り返すが狙いは『石鯛』である。
 厳しい陽射しの中、些か涼風とも思える風に嬲られながら閑かな時間を過ごすこと暫し。突然友の竿が海面に突っ込んだ。石鯛特有の前当たりもなく、然りとて海底目指してぐんぐん突っ込むのは半端なチカラでは無い。竿を預けたピトンもその怪力を支えることが適わず、徐々に海にむかってお辞儀をし、その姿勢も深く深くなっていく。それどころか竿を持つ釣友の尻が上がり、自由形競泳のスタート、あの飛び込みの姿勢になっていきつつある。ここは防波堤の上、磯と違って踏ん張る為の岩礁の突起や、捕まる岩も無い。慌ててもう一人の友が彼の腰にしがみつき、私がその後ろにぶら下がる。まるでロシア民話の「おおきなかぶ」(作:A・トルストイ)の様である。3人合わせれば約200㎏(?)である。これが徐々に徐々に引き摺られていく・・・・何物だい????
 闘うこと暫し、やっと何とか海面に引っ張り出したのは、優に1mは超える白い影。寒鯛(かんだい)、通称コブダイ(瘤鯛)である。石鯛釣りの外道としてちょくちょく参加するベラ(ギザミ)の親戚である。雌性先熟種で子供の頃は全て雌であるが、50㎝を超えるとコブが張り出してきて、オスに性転換するそうだ。成魚の雄は、その名の通り巨大なコブ(瘤)が頭の上に突き出しており、雌や縄張りを争って互いの瘤をぶつけ合って闘う。そうは言っても性格は総じて温厚で、何処かの観光地では人に慣れて餌附けも出来たる程のものだ。釣味は強い引きが魅力だが、食味は淡白すぎて人気が高くない。楽しんで釣り上げて、がっかりして放流のタイプである。
 旬は冬で小骨が少ないことから鍋材には適しているが、我が食いしん坊の釣友は余り薦めない。身が柔らかいこともあり、高齢者の方には食べやすい魚である。一口サイズに揃えて酒蒸しやフライにされる方がよろしいかと思う。
株式会社 ラディックス
広島市中区西川口町18番7号
Copyright(C) RADIX.Ltd
本ホームページ内に掲載の文章・写真などの一切の無断転載・無断引用・販売等を禁じます。
モウニはまた、水色のフリルのブラレットを着て、サイハイのスリットが特徴のタイダイサロンを着た自分の写真を投稿しました.  彼女は、センターパートの三つ編みのヘアスタイル、日焼けした肌、最小限のメイクで、ビーチに対応したアンサンブルをスタイリングしました. (Instagram/@imouniroy)
2022 年 4 月 9 日午後 4 時 19 分更新

モウニはまた、水色のフリルのブラレットを着て、サイハイのスリットが特徴のタイダイサロンを着た自分の写真を投稿しました. 彼女は、センターパートの三つ編みのヘアスタイル、日焼けした肌、最小限のメイクで、ビーチに対応したアンサンブルをスタイリングしました. (Instagram/@imouniroy)

俳優のモウニ・ロイは私たち全員が夏にやってくるということであり、彼女の新しい投稿はその証拠です.  夏の到来とともに、私たちは皆休暇を切望しています。 ブラフマストラの星も同じように感じます。 彼女は今日、インスタグラムのプロフィールに、昨年のモルディブでの休暇の思い出の写真をいくつか投稿しました。 彼女はそれらに「#takemeback」というキャプションさえ付けました。 先にスクロールしてすべてを表示します。 公正な警告:彼らはあなたに大きな放浪癖を与えるでしょう.(Instagram / @imouniroy)
2022 年 4 月 9 日午後 4 時 19 分更新

俳優のモウニ・ロイは私たち全員が夏にやってくるということであり、彼女の新しい投稿はその証拠です. 夏の到来とともに、私たちは皆休暇を切望しています。ブラフマストラの星も同じように感じます。彼女は今日、インスタグラムのプロフィールに、昨年のモルディブでの休暇の思い出の写真をいくつか投稿しました。彼女はそれらに「#takemeback」というキャプションさえ付けました。先にスクロールしてすべてを表示します。公正な警告:彼らはあなたに大きな放浪癖を与えるでしょう.(Instagram / @imouniroy)

2/8
最初の写真は、ホルターネックライン、ギャザーのディテール、逆さの裾が特徴のダークブルーのノースリーブブラレットを着たMouniを示しています.  彼女はそれを、同様のシャーリングアップ要素を備えたお揃いのミニスカートと組み合わせました.  彼女は、レイヤードされたゴールドの分厚いチェーン、風に吹かれた開いた房、スモーキーなアイシャドウ、コールされた目、日焼けした肌のアンサンブルを着ていました. (Instagram / @imouniroy)

コメント

このブログの人気の投稿

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

vggfg

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相